鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

15.「私(イエス)の言葉に留まる」とは?

2018年11月03日 | 鬱を打破する聖書の論理


<人間は意識波動体>
 
 さあ、ヨハネの記録したイエスの夢の言葉の解読に入ろう。

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「(Ⅰ)「諸君がわたしの言葉に留まり、(II)わたしの言葉が諸君の内に留まるなら、(III)求めるものはすべて与えられます」
(ヨハネによる福音書、15章7節)
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~後の解説のために、各フレーズに筆者が番号を付けている~

 
まず、(I)「諸君がわたしのことばに留まり」から始めよう。
 
「諸君」とは弟子たちのことだ。
だが、量子力学ベースでは、彼らも含めて人間は意識波動体となる。
 
 
 
<言葉も意識波動体>
 
「わたし(イエス)の言葉」はどうか。
これもまた、意識波動体である。

言葉が波動体であることは、量子論以前より物理学的に多分に認識されてきている。
言葉を表現する音声は波動となって伝わっていく。

量子論ではさらに、印刷された文字もその印刷媒体から波動を発していることになる。

加えて、それを構成する意志も感情も量子論では波動であり、それは波として伝わっていく。
それらを総合して言えば、「言葉は意識波動体」ということになる。

イエスの言葉も同じだ。
だから(I)「諸君がわたしのことばに留まり」は、「弟子たちの意識波動体がイエスの言葉が構成する意識波動体に留まり」となる。



<"in" My Word>

ここで注意すべきことがある。
この「意識波動体に留まり」は正確には「「意識波動体『のなか』に留まり」だ。英語では "in" My Wordとなっている。

だが、その意味が邦訳者にはわからなかった。弟子たちを「物質的な身体を持った人間」とうけとったので、「身体が言葉のなかに留まる」などは想像できなかった。
そこでもう"in"を省いて邦訳文を造ったのだ。



<ニコデモも物的身体をイメージした>

こういう事態は福音書のなかにも現れている。「ヨハネ伝」3章だ。
ここにニコデモというユダヤ教の高僧が登場する。彼はイエスの天国に関する説教にわからないところがあって、密かに質問に来る。

(彼はイエスの教えを受け入れつつあったが、それを知られると所属教団から迫害されるので闇に紛れて教えを乞いに来たのだ)

イエスは彼に「天国(天の創造神王国)は、新しく生まれないと見られない」という。

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するとニコデモは「もう一度母の胎内に入らないと新しく生まれるなんてできないのですが」という。

イエスはここで霊(という意識波動体)のことをいっている。
対してニコデモは文字通りの物理的肉体しかイメージできないでいる。

このニコデモと同じ状況に、聖書邦訳者はいる。だから「(言葉)のなかに」とはどうしても訳せなかったのである。

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だが、ここでは言葉が意識波動体であり、弟子たちもまた量子論的にはその本質は意識波動体である。そして「波動体が波動体のなかに留まる」ことはあり得る。

「諸君(という意識波動体)がわたしのことば(という意識波動体)のなかに留まる」という事態は物理学的にもありうるのだ。

今回はここまでにしておこう。



 
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