「御国が来れば、御心が天になるように地にもなされます」の具体的中身の第一声は「(御国が来れば)日常の糧は与えられます」
~だった。
今回はこれを吟味しよう。
われわれ人間は地上にいる間は肉体を持っているので、それに日々糧(食べ物)を与えねばならない。
もちろん、衣食住といって、衣料も住み家も必要だ。ここで糧はそれらを総称しているとみていいだろう。
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そして、それをうる方法は地上の「この世」でのものと、「御国」のなす方法とで異なっている。
<「経済学の父」アダムスミス>
「世の方法」は、自然物に働きかけて、もの(財貨)を生産する方法だ。
古代、中世を通して、人々の生産効率は低く、人類は貧しかった。
近世になって「経済学の父」アダム・スミスは、生産効率を急速に高める方法を見つけ出した。
社会に分業を行き渡らせる、というのがそれだった。
<鍵は分業にある!>
分業とは、生産の作業を細かく要素(部分)に分けて、人々が割り当てられた作業に専念することだ。
分業が広がると、個々の生産作業は単純化する。
たとえば、釘を造るという活動には~、
「仕入れた針金を伸ばし」「短く切り」「一方の端をたたいて頭を造る」「他方の端をヤスリで削って先を造る」「火入れと水による冷却によってヤキを入れる」
~などの作業が含まれる。
中世までは、この一連の作業を一人の職人がすべてやっていた。
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だが近世になると、人々を工場に集め、各々の作業を各人に専門的に担当させるという方式が現れた。
スミスはこの方式を社会全体に普及させることをすすめた。
この方式を採ると、生産効率は急上昇する。
個々人の作業は単純化し、それを繰り返すと熟練して技能が上がる。
<生産が機械化される>
さらに、単純化した作業部分は、機械に置き換えやすくなる。
それを水車などの動力につなぐと、生産は自動化し、生産量は飛躍する。
スミスはこの方式が社会に広がることが、人民富裕化の鍵だとみた。
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こういうことが、様々な生産分野で起きたのが、産業革命だ。
それが進展して今の人類は、歴史上かつてなかった物的富裕を享受している。
<五千人の糧を造る>
御国がやってきて地上でなす方法は、スミスとは全く別である。
存在の源である波動を、物質に様態変えさせる、というものだ。
この事例は、新約聖書に記録されている。イエスが「魚とパン」を次々に出現させた状況に見ることが出来る。それはマタイ伝にも下記のように記されている。
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「イエスは言われた『あの人たちに何か食べるものをあげなさい』
しかし弟子たちはイエスに言った『ここにはパンが五つと魚が二匹よりほかありません』
するとイエスは言われた『それをここに持ってきなさい』
そしてイエスは、群衆に命じて草の上に座らせ、五つのパンと二匹の魚をとり、天を見上げてそれらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
人々はみな、食べて満腹した。
そして、パン切れの余りを取り集めると、12のかごにいっぱいになった。
食べたものは、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった」
(マタイによる福音書、14章16-21節)
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量子物理学は、この事態を物理的現象として理解させてくれる。
この物理学はすべての存在の元は波動であることを明かした。
その波動が凝集した部分が粒子となり、粒子は組み合わさって物質を形成する。
イエスが行ったのはこれだったのだ。ちなみに『創世記』冒頭に期されている「創造」のわざも同様にして理解できる。
<資源がなくならない方法>
アダム・スミス流の「この地上の方法」も画期的だった。だがこちらでは天然資源が細って行くにつれて、生産物も細っていく。
対して、御国がやってきてなす方法では、資源は無限だ。波動だからだ。波動は創造神から全被造界に際限なく放射され続けていてる。
<関連するイエスの言葉>
「パンと魚」の出来事の際には、イエスの事件に関連した言葉も記録されている。
上記「マタイ伝」では~
・「あの人たちに何か食べるものをあげなさい」
・「それ(五つのパンと二匹の魚)をここに持ってきなさい」
~がある。
同じ出来事を記録した「ヨハネ伝」には~
・「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」(ヨハネ、6:5)
・「人々を座らせなさい」(ヨハネ、6:10)
・「余ったパン切れを、一つも無駄に捨てないように集めなさい」(ヨハネ、6:12)
事件に関連した言葉は記憶しやすい。これも人の意識波動体が住まうべき「イエスの言葉群」のなかに入れておくのがいいだろう。