前回、日々の糧が「与えられる」は「不足分が加えられる」と解読するのが正しいと言った。

<焦点は心の安息に>
「これでもか、という程に沢山」ではないのは何故だろうか。
イエスは人間の地上の生活においては「心の平安・安息」に焦点を置いているからである。
不足分が常に補填されるならば、倉に糧をため込む必要が全くない。
そもそも糧が倉にふんだんになっても、もっともっとという貪欲が人の心に常駐するのは何故か。
心底に「食べられなくなって飢えるかも知れない」という恐れがあるからだ。
だから、いくら持っても貪欲の心は続く。
(余談:稲盛経営哲学はこの貪欲の心を処理する必要と方法を説いている)
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だが、食えなくなる事態が全くなくなったら、もう糧は日々満たされたら十分となる。
それが御国が来れば実現するとなれば、もうため込む必要は全くなくなる。
その結果、糧については完全な安息が得られるのだ。
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イエスはかく、安息を重視していた。
だから、「自分は十字架で殺されてしばらくいなくなるよ」と弟子たちに告げた時にも、動転する彼らに~
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「私は、諸君に平安(安息)を残します。・・・(中略)・・・諸君は心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」
(ヨハネによる福音書、14章27節)
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~といった。

<②は借金、貸金の話だ>
今回は、このことを心に留めて、「御国がくればこうなる」の第二番目に移ろう。
筆者は先回、その邦訳文を「②罪が許され、他者の罪をも許せるようになる」と述べた。
だが、この邦訳にはもっと適切な文がある~。
「②負債(借金)が帳消しされてなくなり、かつ、他者への債権(貸金)も帳消ししてあげられるようになる」がそれだ。
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この部分の英文は~、
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And forgive our debts, as we also have forgiven our debtors.
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~となっている。
debutという語の意味は、ほとんどもっぱら債務・負債である。
他の意味は、派生したものだ。
「恩義」もそのひとつだ。
これは、「金を借りたこと」から「何かしてもらったこと」を拡大連想してできた派生語だ。
「罪」もこれと同様に、神学で考案された派生語である。
つまり、「負債(借金)を赦す」という言葉の意味はよくわからなかった。
だがここで動詞がforgive(赦す)とある。
「赦す」となればまず、犯罪gilt)が想起される。
そして犯罪は聖書にある罪(sin)を連想させる。
そこで、このdebtsは「罪」だろうとした。
(英文聖書にも、sinと英訳したものがある)
そんなところだろうが、もしここで負債で意味が通るのなら、ここは素直に本来の意味でもって解するべきなのだ。


<カネの貸し借りは人の安息を壊す>
地上の人間の心の安息に焦点を当てれば、②の文は「負債」で明確に意味を持つ。
借金が人の心の安息を奪う度合いは甚だしい。
借金していると、期限までに返せなくて取り立てられるのではという恐怖が常時心につきまとう。
利子が付いていたらなおさらだ。
日々返済すべき金額(元利合計)は増えていくのだから。
現代のサラ金などはこれがバカ高くて、うなぎ登りに増えていく。
これは恐怖だ。
恐怖で安息を破壊されると、人は正常な思考、判断が出来なくなる。だからどんどん窮地に追い込まれていく。
これは人間に対する根底的な悪だ。

<御国の波動が来ると>
だが御国が来れば、その波動は借金・貸し金なる存在を無くしてしまう。
貸主が貸金を帳消しすると、その分は波動が物質化して出現した貨幣によって補填される。
だから、貸主は気楽に貸金を帳消し出来、返済義務から解放されて借主は安息を取り戻せる。
その意味で②の部分の邦訳文は「負債(借金)が帳消しされてなくなり」がより妥当となる。

<貸した側も安息を失う>
金を貸すことも、心の安息を失う。
そもそも、貸してくれと言うのは、金がないから言うわけで、返してくれなくなる恐れは常にあるのだ。

<綾小路きみまろ>
綾小路きみまろという芸人さんがいる。
苦労時代の長かった人で、その間、交わった人も沢山いる。
彼らの内で金銭的にうまくいっていない人に「お金を貸してくれ」と言ってくる人が一人ならずいるそうである。
これに対して、きみまろさんはいつも30万円入れた現金封筒を準備している。それを渡してこういうそうだ~。
「このお金は返さなくていいからね。そして金のこと言ってくるのはこれ限りにしてね」~と。本にそう書いていた。
何度も来ないように、という思いもあるだろう。これでもって依存心を切り捨てて立ち上がるようにとの思いやりあるだろう。
が同時に、貸した金を思うことによる安息の破壊、それによる話芸への障害を避けようとする意図もあるだろう。
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だけど、何度も30万というのもまた、苦痛が全くないことはないよ。
ところが御国が来たら全然苦痛でなくなる。その分が毎回補填されるのならばそれを帳消しにしてあげたるのは楽なことだ。
そして心は平安・安息となるのだ。
だから御国がくれば、すべての貸主は帳消しにしてあげることになる。

つまり、こうして、その地上空間では借金も貸し金もなくなるのだ。
金銭的に、すべての人が安息の中で暮らせるようになる。
御国が来て覆い重なった地上空間ではそうなる。
②のdebtはそのまま「債務」でいいのだ。
このようにしてイエスは「くだくだ祈るな。御国を来たらせてくださいとだけ祈れ」と教えたのであった。
