
イエスはその「祈り方」で「御国が来ればこうなる」と教えた。
その内容は三つであったが、もう一度掲示しよう。
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(御国の空間が来れば)
~①私たちに日常の糧が与えられます。
~②我らの罪は許され、我らも私たちに罪を犯すものを許せるようになります。
~③我らは悪の試みに会わせられることはなく、すでに悪に誘い込まれているものは悪魔より救い出されます。
(マタイによる福音書、6章9-13節の真意)
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今回はその第③番目である。
ここでは悪魔という「見えない存在」が出てくる。
聖書で言う悪魔は、日本人には理解が難しい。
その常識範囲の外にある存在イメージだからである。
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日本人の心には人間の性善説が伝統的に根付いている。
どんな悪人にも善の値がある、という思想だ。

<人間愛の作家、山本周五郎>
山本周五郎の小説が「人間愛の詩(うた)」と称されたのも、人に根付く性善を慈しみの心で描いた作品が多かったからである。
その代表作『深川安楽亭』は江戸時代の話だ。ある屋敷の裏で「荷抜け(ご禁制の商品取引)」をしている、生まれつきの極悪非道とみられていた連中が囲われている。彼らは必要に応じて、簡単に人を殺す。
そこに多額のカネを返済せねば結婚できなくなった無力な若い男女が、小鳥のように舞い込んでくる。
何故かこれを哀れんだ連中は、危険がいっぱいの荷抜けを試み、お金を造って二人に与えるが、自分たちは捕方に発見されて死んでいく。
このようにして、命を捨てていく人間の姿を周五郎は感動的に描いている。
(名作『さぶ』にも、その種の「悪人」が挿入されている)

<真っ黒黒な存在>
だが、悪魔にはそんな意識はいっせつない。
彼らはただ、人間を苦しめ殺すのが楽しいだけ、という真っ黒黒の存在だ。
彼も配下の悪霊も、物理的な力はもっていない。
人間に意識波動を送って、その意識と行動を方向付ける。
こういう行動には、性善説人間観では説明できないものがある。
認識の範囲に入らないものがあるのだ。

<無力な子どもを何故殺すか>
性善説では認識できない事例は現実に多い。
幼子は無力だ。それを情け容赦なく虐待し、死にも至らせる実の親が出る。
ニュースを聞くだけで胸が潰れる。このどこに性善があるのか。
幼子を誘拐し、人身売買し、あるいは、殺してその臓器を闇市場でビジネスとして販売する人間がいる。
どこに性善があるのか。

<人類を二分して殺し合わせる>
もっと広域的な事例を言えば、第一次大戦だ。
そこでは欧州を中心として、歴史上初めて人類が二手に分かれて殺し合った。
その際、機関銃や毒ガスなどが開発され、開戦後の5ヶ月で前線での死者が合計100万人に達したという。
彼らはほとんどは、敵方に遭遇する前に、機関銃で無残に殺された。
(塹壕が考案されるのはその後)
こんな事件など、性善説の人間観では妥当な認識はできない。
(性善説人間観をベースとする日本軍指導層には、極悪非道の近代兵器を使う時代の軍人を統治する能力がごく自然に不足する。戦後の憲法九条は、GHQなど戦後指導者が、日本民族に統治能力が本性的に不足しているという洞察が背景になっているのだ)

<レーガン「悪の帝国」との呼称>
その真っ黒黒の存在が、見えない影響者として配下に悪霊たちを従えて地上に存在している。
この世(宇宙)にはそういう悪の王国が併存している。
ベルリンの壁崩壊前のソ連をレーガン米大統領が「悪の帝国(Evil Empire)」呼んだのも、そのイメージを踏まえた事実認識による。
これが聖書の世界観だ。そしてその悪が人間界に惨劇・悲劇を引き起こすと聖書はみる。

<御国は地上の「世」の上位にある>
だが、「御国が来れば」その悪魔の王国(政府)はこの地上に併存できなくなる。イエスの「③」はそれを言っている。
その論理構造はこうなっている~
天国(御国)は創造神が王として統治する、創造神の王国だ。そこには創造神の政府がある。
これはこの地上(宇宙)の世界の上位にある。
この上位の性質を持った空間が来れば、悪魔とその配下の悪霊たち(の王国)は、そこに併存できない。
二つの王国が併存することはないので、存在する権威を失うのだ。
それが「③我らは悪の試みに会わせられることはなく」の意味だ。

<すでに誘い込まれていたものは>
それに続く「③すでに悪に誘い込まれているものは悪魔より救い出されます」は、こうだ~。
御国が来たときに、すでに悪魔の罠にかかっている人間もいる。
天国空間が来ても、存在する権威が亡くなっても、まだ、とりついた犠牲者にしがみついている悪霊もいる。
これらは壁に留まっているハエのように、とりついている。
だが、すでに留まる権利はなくなっているのだから、「出ていけ!」と命じれば、ハエが逃げ去るようにして出ていく。
~以上が③の解読だ。
だからイエスは「くだくだ言ってないで、御国を来たらせてください、とのみ祈れ」と教えたのだ。

<御国が来たというしるし>
なお、この③は「御国が来ているかどうかを」示す手がかりをも示している。
イエスの次の言葉がそれを言っている。
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「わたしが創造神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう創造神の国はあなたがたのところに来ているのです」
(マタイによる福音書、12章28節)
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悪霊が追い出されたら、それは御国が来ている証拠なのだ。
今回はここまでにしよう。
