ヨハネ伝解読、17章が終わるまではこのまま進みます。
今回は17章23節です。
(右上に「文字サイズ変更」機能があります。
クリックすると、文字が大きくなります)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
「わたしは彼らの中におり、あなたは私の中におられます。
それは彼らが完全に一体になるためです。
そしてそれは、あなたがわたしを遣わされたことと、
あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
(17章23節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本日の聖句もやさしくないですね。
文の構造からすると、二番目の文章、すなわち「弟子たちが完全に一体化すること」が中心になっています。
そしてその前の文 はそれをもたらす原因です。
具体的には「わたし(イエス」が彼ら(弟子たち」の中におり、
そのイエスの中にあなた(父なる創造主)がいる」ことがそれです。
あとの文では、それ(弟子たちが完全に一体になること)によって引きおこされる結果が述べられています。
具体的には世の人々が「創造主がイエスをこの世に遣わし、
彼とその弟子たちを愛されてきたのだなあ」と悟ることです。
<一体性の維持は至難の業>
この聖句を解読する大きな鍵は、
「複数の人間が自分たちの力で一体となり続けるのは至難の業だということを悟ること」にあるとおもわれます。
人間は各々自分の思想や欲を持ちます。
同じ師匠について芸や思想を学んだ間柄でも、深いところでの思いはなかなか一つにならない。
個々人には私欲があって望むところが一致しない。
茶道、華道の上層部世界をみてごらんなさい。会社で有能な上司に仕えた部下たちを見てごらんなさい。
一時的に一体化しても、他のところでの不一致が浮上してまもなく分裂しいさかいます。
<不動の言葉を共有したら奇蹟が起きる>
そんな人間たちでも、イエス(の言葉と霊感)が共有できたら、一体化できる。
それは心の底を揺るがし感動させる不動の言葉だから、
これに霊感が協働して霊魂に浸み込んだら自然に一体化していくのです。
その上に、そのイエスの中に父なる創主がいたら、一体化は完全になる。
万物の創造主はいのちエネルギーの源泉です。
そこから流れるエネルギーがイエスに注ぎ込み、イエスを通して弟子たちに注入されたら、
彼らの意識には力が与えられます。
いのちエネルギーに満ちたイエスの言葉が彼らの心底に充満するのです。
だから弟子たちは完全に一体化する。
そして外部者から見たら信じられないような連携活動もしていくのです。
<創造主の愛と働きを悟る>
あとの文はその結果を述べています。
こうした異例な一体化、連携行動をみたら外部の世の人々はどう思うかです。
彼らは「人間のこんな姿はこれまでみたことない」のです。
「人間だけではとても出来ない」ことだと思わざるを得ない。
すると「弟子たちが共に信じているイエスという存在は、やはり只者ではない。人間だとは思えない」
「万物の創造主がこの世に送った存在としか考えられない」となるでしょう。
ユダヤ人たちは、奇蹟は創造主だけが起こすもの、との思想を旧約聖書によって抱いていますから。
それだけではない。ただこの世に遣わしただけでなく、愛していのちエネルギー(栄光)をおくられたのだ。
そして、イエスの弟子をも同じく愛してエネルギーを贈られたのだ~と思うことになる。
そうイエスは創造主に向かって言葉に出して確認している。これが本日の聖句だと解せられます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます