鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

38.「夢の約束」の具体論述がマルコ16章の約束

2019年02月17日 | 鬱を打破する聖書の論理

鬱を打破する聖書の論理を追ってきた。
ヨハネ8:32の解読にいきついた。
「イエスの言葉が内に住まうように(ステージIIIに)なれば、求めるものは何でも与えられる」という。

その(内に住まう)方法がわかったのだから、あとはそれに沿って、鬱の打破も求めたらいい。
自分でなく、うつ病の人を救う際にも、「この鬱の霊(波動体)を追放してください」と願いもとめてあげたらいい。

あるいは、~理由は後述するが~「鬱の霊よ、この人から出ていけ!」命じてもいい。


 
<具体例で埋めると>

これで本筋は解決したが、この8章3節の聖句は非常に一般的で広い(ありがたいことでもあるが)。
これをもう少し具体的な形で例示している聖句がある。

これを吟味することで、イエスの夢の聖句をもう少し具体例で埋めてみよう。
それはマルコによる福音書16章の聖句である。



復活したイエスは、天に上る前にこう述べている。

・・・・・・・・・・・・・
「全世界に出て行き、全ての造られたものに、福音を宣べ伝えなさい。
信じてバプテスマを受けるものは、救われます。信じない者は罪に定められます。
信じる人々のは次のようなしるしが伴います。
すなわち、私の名によって 
悪霊を追い出し、
新しいことばを語り、
蛇をもつかみ、
たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、
病人に手を置けば病人はいやされます」
  (マルコによる福音書、16章15~18節)
・・・・・・・・・・・・・・

 
この聖句を吟味しておくのは、イエスの夢の約束を、多様な現実の中で活かして行くのに役立つように思えるのだ。
そのために、各フレーズに番号を打とう。
 
・・・・・・・・・・・・・・・
「①信じる人々には②次のようなしるしが伴います。
すなわち、③私の名によって 
④悪霊を追い出し、
⑤ 新しいことばを語り、
⑥ 蛇をもつかみ、
⑦たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、
⑧病人に手を置けば病人はいやされます」
  (マルコによる福音書、16章15節)
・・・・・・・・・・・・・・




<「信じる」を再考>
 
 さて①「信じる人々」の「信じる」から~。

これまでにもみてきたが、「信じる」という語は、広い意味を持った言葉である。
イエスの言葉についてみると、まず、

①その言葉を拒否しない、
 ~という状態もその一つだ。

自由意志を与えられている被造物(天使と人間)では、ケースは「排除する」と「受容する」二つだから、拒否しないというのは受容することだ。
「わたしは拒否はしてませんよ~」というのも「信じる」に入るのだ。

+++

②はイエスの言葉の中に住まう状態である。
前述の「夢の約束」に対するステージ(II)だ。

+++

③は「夢の約束」の(III)だ。

 イエスを全身全霊込めて愛し、イエスに同一化し、分身となる。
イエスと同じに「父なる創造神の言葉(=イエスの言葉)」が内に住まっている状態になる。

実は この状態に達して、はじめて、このマルコ16章の約束も実現される。
ヨハネ15:7に重ね合わせてみると、ここでいうイエスの「信じる」はその意味であることがわかるのだ。

 
<クリスチャンが「パス」するのは>

ところが「信じる」の語は、その全てを含んでいるから、そのままでは、理解は混沌としてしまう。
その状態だと、マルコ16章の言葉は全然実現しない。
そこで、多くの信徒も牧師さんも、この聖句は「パス」となっている。
これについてはニッポンキリスト教だけに限らないよ。

+++

繰り返すが、ここでイエスの言っている「信じる人々」とは、
ステージ(III)のイエスを同一化するほどに愛し、その分身になっている人だ。
その結果、(イエス)の意識波動体(言葉)が自分の意識波動体の内に住まっている人々」だ。

そして「そういう波動状態になっている人には、②次のようなしるしが伴う」といっている。
しるしの中身は後にして、③にすすみたいが、長くなるので、次回にしよう。

 
 
 
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