鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

随想9.原語からの聖書解読

2016年11月15日 | 随想






「人間の血」のついての考察から、「イエスの血」に進もうとしていますが、

ここで、一つ臨時の話を差し挟みます。

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最近、同じ町にお住まいのクリスチャン女性に、歯医者の待合室で偶然再会しました。

聖書信仰をしたら直行する情熱家で、行動が素速く外連味がない。

変わり身も速い方です。

4ヶ月前より、ヘブル語、ギリシャ語を本格的に学びはじめ、持ち前の情熱で速やかに習得されていました。

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そして、原語から、訳語聖書からは得られない境地を指導者に示され、感動の日々を送っておられました。

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大阪に、そういうアプローチをする本部があり、愛知県にそれに連動して働く牧師さんが居られて、

教会もそこに代わったという。

杉原千畝記念館のユダヤ人からも学んでいる、というから、もう本格的です。

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お会いする早々、ヨハネ伝にある「カナの婚礼」の話について、原語からの新解釈を興奮気味に説明してくださいました。






これらの事柄を通して、鹿嶋は、本を読む際に重要なことを改めて悟らされました。

その「思想の全体像への問題意識を持ちながら」読むことがそれです。


聖書に限らず、全ての本についても、その論旨の全体像への仮説を持ちながら読むことは重要です。

暫定的なもの、漠然としたものでいいから、とにかく一つの全体像仮説をもつ。

聖書に於いても、それをもって行うのです。

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なぜなら、聖書の個々の場面、個々の出来事の解釈は、全体像によって枠付けされるからです。

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鹿嶋がよく出す例を、ここでも持ち出しましょう。

あるオウナー企業経営者の認識・理解も、それを包む全体像次第で別物になってしまいます。

マルクスは、自由市場世界の本質は、「資本家が労働者を搾取する」ところにある、と見ます。

そういう全体像の中に位置づけますと、「このオウナー経営者は労働者の搾取にいとまのない資本家だ」という認識になります。

彼のどんな行動も、搾取に結びつけて解釈されます。

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他方、自由市場経済はおおむねよく機能する、という経済社会の全体像もあります。

こういう肯定的な世界観・経済観のなかで彼を認識しますと彼は、

「世の中に生産物を増やし、雇用を増す、社会への貢献者」という理解になります。

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同じ一人の物への解釈が、全体像次第で、かくも別物になっていくのです。

聖書を読む場合にも、まずこのようなことを、しかと悟るのが大切です。







世界のほとんどの人々は、母国語に翻訳された聖書を使っています。

米国人も英国人もそうです。

そういう我々には原語は、訳語との意味のブレを確認する手段です。

全体像の中での解釈に、釈然としないものがあるときには、原語に戻ってそのブレを確かめる。

原語の役割は、基本的にそれだけのものです。





<聖書も全体像イメージから>

聖書を読むには、我々はまず、全体像のイメージを得ようとせねばなりません。

それには、慣れた言葉で、聖書を飛び飛びに眺めることを、繰り返す必要があります。

そういう作業は、自らの母国語でやるのが抜群に効率がいいのです。

(それでも一定の全体像イメージをつくるのは一仕事ですよ)


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話を、純真で一本気なクリスチャン女性に戻しましょう。

今彼女は、原語からの解き明かしに感動する日々を送っておられます。

これはもう、しばらく、そのまま進むしかないでしょう。




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鹿嶋は、最近、このブログで、聖書に対面する姿勢は二つあると申しました。

(=聖書に対する二つの姿勢=  参照)

その第一は、聖書でもって心の平安を得ようとする姿勢。

第二は、、見える世界(物質界),見えない世界(霊界)をも含む、存在界全体を知ろうとする姿勢でした。

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だが、この第二の中にも、二つの生き方があることを今回知りました。


全体像への問題意識を抱きながら個々の出来事にアプローチする姿勢と、

全体像なしでいきなり、聖句にある個々の出来事の解釈に入って、細部を探る姿勢、

~との二つがそれです。




けれども、原語の意味からの細部の解釈に入り続けていると(全体像イメージなしに)、

あるとき、従来自分の持っていた聖書の全体的な教えすらも自覚しづらい状況が来るでしょう。

細部の情報が、それを覆ったり、ゆがめたりするからです。

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その時にまた、偶然お会いするのを期待しています。

いまはとにかく、行き着くところまで行くしかなさそうに見えますので。


(完)








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