フェースブックなどにみられる米国論のほとんどはあまりに実体から離れている。
この問題の根は深く、正すためには多くの知識を導入する必要がある。
それゆえ鹿嶋は、これを論じる気力がなかなか湧かなかった。
しかしYamamotoさんという、米国在住の女性が孤軍奮闘して正論を述べておられるのをみた。
これにうながされて、私も妥当なアメリカ観を示そうという気になった。
以下にしばらく連載するのがそれである。
話をどこから始めたらいいのか、にも悩んだ。
主要な起源は様々に分派したキリスト教諸活動の性格にある。
国家というモノ、戦争というモノの性格もそれに絡んでくる。
だがこんなことから示しはじめたら、ついてこられる読者はあまりに少なくなるだろう。
そこで、第一次大戦あたりからとりあえず開始することにした。
<第一次世界大戦の衝撃>
今我々は第一次大戦を歴史の中の一コマとして暢気に眺めている。
それが幸いにして収束したことを知っているからだ。
さらに第二次世界大戦もおきたが、それも、当面70年間ほど収束している。
だから我々は平静な気持ちで 眺められておられる。
だが、これが起きたただ中に生きていたフーバー青年(Herbert Hoover, 1874~1964、後の米国第31代大統領)は大ショックを受けた。
彼にはこれは全人類が二つの陣営に分かれて、近代の大量殺戮兵器を駆使して殺し合うという未曾有の現象だった。
人類世界が破滅に至る暗黒の未来を予感させる恐怖の大事件であった。
どの近代国家も、これを避けることが出来なくなっている。
まるで悪魔に目隠しされ誘導されるがごとくに、どちらかの陣営に加わっていき、そして殺戮をしあっている。
機関銃という近代兵器は、兵士をなぎ倒すかのごとくに短期に多数の兵士を殺傷した。
毒ガスも使われ、終戦後も兵士はその後遺症で地獄の日々を送った。
<フーバー研究所を造る>
フーバーはこの戦争の正体を見極める必要を痛感した。
原因を究明し人類の未来の暗黒を避けようとした。
そのため彼は、母校のスタンフォード大学に、私財を投じて戦争と平和を研究する機関を造った。
「戦争と平和を課題とするフーバー研究所(Hoover Institution on War and Peace)」がそれである。
彼はフリーの戦争記者を数多く雇い、戦場の前線に送った。
そこで戦争の現場資料をかき集めさせた。
現場に散乱する死んだ兵士の手帳、メモ書き、日記から水筒などの所持品に至るまで、ありとあらゆる現場資料を収集させた。
スタンフォードのキャンパスに今もそびえるフーバータワーを造り、その中に、資料を収納させた。
<ロシアに革命が起きる>
ところがこの大戦のさなかの1917年、ロシアに人類史初の社会主義革命が起きた。
社会主義革命もまた、世界動乱の一大原因だ。
国家の既存の統治権を暴力で奪い、自らの理念に沿って人民を「命令=服従」のシステムに組み入れて支配していく。
フーバーはまた、この現場にも命知らずの現場記者を送り、ありとあらゆる現場資料を収集させた。
かくして彼の研究所は「革命」というもう一つの課題をも抱えた。
その名も「戦争と平和を課題とするフーバー研究所(Hoover Institution on War and Peace)」から
「戦争と革命と平和を課題とするフーバー研究所(Hoover Institution on War,
Revolution and Peace)」に変わった。
研究所は今日まで続き、タワーもキャンパスにそびえている。
<親のいない子として>
フーバーはアイオワ州のクエーカー教徒の一家に生まれ、親はすぐに亡くなったと言われているが、
親のわからない、いわゆる孤児だったという説もあり、実体はよくわからない。
彼は幼くして、オレゴン州の親類の家に転居したともいう。
以後、どのように成人したかも筆者には不明なところが多いが、成人するとスタンフォード工科学校にて鉱山学を学んだ。
そして金山を発見し、若くして巨万の富を手にした。
彼はその私財の多くをおおやけごとに注いだ。
政治に注力し米国大統領として働いたのはよく知られている。
だがスタンフォードとフーバー研究所のことがらを知る人はさほど多くはない。
<鉄道王スタンフォードと工科学校>
親のないフーバーが、若くしてスタンフォード工科学校に学べたのは、その授業料が無料だったからだ。
創立者は米大陸横断鉄道の西部地域を建設したスタンフォード(Leland S. Stanford. 1824~1893)である。
彼は巨万の富と鉄道の経営権を、一人息子に譲るつもりだった。
だが、その愛息は17才にして病死した。
鉄道王は悲しみに暮れた後、息子への愛情をカリフォルニアの若き青年たちに注ぐ決心をした。
当時必要性の高かった工科技術を教える学校を造り、青年たちに無料で学ばせた。
フーバーはその恩恵を受けた学生の一人で、鉱山学をそこで学んだのである。
そしてその知識を駆使して金山を発見し、巨万の富をおおやけごとに注いだのであった。
(続く)
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