そもそもの最初から思考を進めますね。
人間は集まって集団社会を作ります。
その最初は部族集団でした。それがあちこちの地点に出来ました。
お釈迦様も、インドのある地方の部族社会(国家)の王子だったと言います。
後に広域大国家になるローマも、はじめはイタリア半島の中部を横切るチベレ川の流域に出来た一部族社会でした。
チベレ川の近辺には、他にも部族社会が沢山あったでしょう。
<昔の食糧確保は大仕事>
人間が群れて暮らす理由の一つは、集団で効率よく食物を生産することでしょう。
食料生産は、昔は、一大仕事でした。
鹿嶋は聖書に親しんでおりますので、天使という言葉によく出会うのですが、
聖書での天使はイメージ上の存在ではありません。れっきとした霊的実在です。
霊ですからいろんな姿に変身しますが、そのデフォルトというか、基本形は人間と同じです。
羽が生えているというのは、後から作ったイメージ上のフィクションです。
聖書にそんなことは書いてありません。
だが天使は肉体をもちません。
ということは肉体を維持するために食物を得る必要がないということでもあります。
これには鹿嶋は本当にうらやましく感じました。
人間は肉体を持つ(ように創られた?)が故に、常時食べ物を確保しなければならない。
食べても一日に何度かまたおなかがすくのです。
それに病気になるし、けがをするし、死の恐怖をもたねばならないし、本当に大変です。
(天使はいいなあ・・・)
<襲撃の恐怖のなかでの生活>
ともあれその食料生産は、集まって分業ですると、効率が飛躍します。
それが集団社会を造る一大理由でしょう。
しかし、もう一つの理由の方が直接的で強大です。
他の隣接部族からの襲撃、略奪を防ぐことがそれです。
人間は、同じ群れの人に対しては、共感も同情ももちます。
だが、会ったことも交信したこともない人間には同情は生じません。
だから、自分の食料が足りなくなったりしたら、野獣のように他部族を襲撃して物品を奪えるのです。
この襲撃を防御するために、人間は互いに集まり部族集団をつくって暮らします。
昔の部族集団は、四六時中外部からの襲撃の危険の中で生存しておりました。
<知力・腕力に優れた家族>
部族の中には、腕力、武力、知力に優れ、勇敢でもある人の多い家族もあります。
この人たちは、他部族からの襲撃に率先して戦い、防御します。
他の家族は、この腕力に優れた家族の防衛活動を頼りに思っていきます。
またこの家族は、部族内のもめ事の調整・処理に関しても頼りにされます。
知力に優れた彼らの裁きには、他の人によるよりも知恵があり、尊敬されます。
また腕力があるから人々は恐れ従います。
その裁きが、一定のルールでもってなされれば、集団社会には秩序が生まれ、保たれることになります。
こうして、この勇敢ものの多い家族は、対外抗争と内部秩序の維持を集落民から請け負うことになります。
権力委任の開始です。
<統治の成立>
時と共に彼らはそれを専業的に行うようになります。
だが自分たちも食べなければならない、着なければならない。
彼らはそれらの物質を、集落民から徴収するようになります。これが税です。
これによって「統治」が経済的にも成立します。統治は政治の別名です。
彼らは武力を強くするために、他の「命知らず」の部族民を雇うようにもなります。
こうして統治機関は展開していきます。
税は習慣化、制度化します。
彼らはその税を調整して、武器を改善し、戦闘技術を高め、
さらに知力教養を高め、贅沢な暮らしをします。
彼らは、外部の襲撃に対して生命の危険を冒してくれますので、民もそれを容認します。
そうした中で彼らは次第に、容認されそうにないことも「命令」するようになります。
そしてこの命令力が強大化すると、それは、絶対権になります。
これを手にしたものが、王です。
王はいつも一人です。
複数の人が王になると、命令が食い違ったりして、秩序が逆に乱れてしまします。
統治者家族の中から王は一人出るわけです。
かくして部族集団は、部族国家になります。
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