このチャーチは、チャーチですから俗世のことは扱わないのが原則です。
だが、ここで「一般人民が政治見識を持つために必要な知識」を書いておこうと思います。
大変な時代になりました。
今回もまた、現実の必要に背中を押されてしまいました。
福島原発事故を契機に、原発に対する政府のあり方に、多くの国民が疑問を持つようになりました。
これは自分や子孫の生存に関わる問題ですから、その動機は強力です。
そして脱原発を選択するものは、その政策を求めて自分たちの見解をデモでもって表明するようになりました。
こうして人々は否応なしに、政治というものが自分たちの生存に直結していることを自覚せざるを得なくなった。
1960年代から70年にかけての安保闘争以来、久方ぶりの国民規模での政治意識の浮上です。
それと共に、ツイッターやフェースブックで、いろんな見解が交わされるようになりました。
筆者もそれに加わったりしましたが、そこで、日本の人々には政治見識がほとんど育っていないことを痛感しました。
<無政府主義は美しき妄想>
たとえば、こんな事態を経験しました。
大阪市長になった橋下徹さんへの批判がフェースブックでは盛んでした。
筆者はそれに対して~、
「希有な政治資質を持っているのではないか。なにせ堺屋太一さんが最高顧問をする気になったくらいだから・・・」
~と発信しました。
すると「堺屋さんも権力が好きだからな・・・」という否定的見解が出ました。
それはある大学の准教授か教授かの方の意見でした。
素晴らしい原発情報、放射能情報を提供してくださっている方でした。
以来、敬愛しつづけています。
だがそれでも、その言葉に限っては、それを受けて筆者は次の言葉を失いました。
橋下さんは地方自治体政府の現役の政治家ですよ。政治に権力はつきものですよ。
政府というのは人民から権力を委任されてなり立つものですよ。
なのに「権力が好き」というのを否定の理由に出すのはどういうことでしょうか?
権力が嫌いだからでしょう。
気持ちはわからないことはありません。
権力というのは、他者に対する強制力です。
人を強制的に動かすというのは、人間の自然な感情にはあまり気持ちいいものではありませ。
それなしで、説得と理解だけで、政治が行えたらそんないいことはありません。
事実、そうした政治を期待する政治思想もあります。
無政府主義がそれです。
この思想自体は純粋で美しいものです。
だから理想意識の高い青少年時代に人はそれを希求します。
だが、無政府主義というのはナイーブな幻想なのです。
これから示していきますが、統治というのは権力を委任されることなくして成り立たないものです。
けれどもその非現実的な妄想に照らして、現実を批判する人が日本には多いです。
政治見識が幼いのです。
終戦直後、連合国GHQ司令長官として日本の土を踏んだのは、米国の将軍ダグラス・マッカーサー元帥でした。
彼の就任直後の第一声は~
「日本人は政治的には13才」
~でした。彼は日本人の政治見識の幼稚さを、厚木空港に降り立って即座に洞察したのです。
前述の大学教授先生は理科系の先生だったと思います。
だが文化系でなくても、大学教師たるもの、無政府主義的ナイーブさからは脱却していなければなりません。
そうしたことも含めた日本人の雰囲気をマッカーサーは洞察したのでしょう。
<悲しき日本政治学の実情>
しかし、我々日本人側としてもやむを得ない理由があります。
日本の大学にも政治学という講座があります。政治学の専門書もあります。
それらが提供する知識が生きたものではないのです。
それらはほとんど西欧学者の言葉の引用に終始しています。
それも吟味してかみ砕き理解して上ならまだいいのですが、99%がそうではない。
ろくに理解もしないで、羅列に終始している。それに出典の註を、
盆踊りや祭りのぼんぼり提灯のようにぶら下げまくっているだけ。
勉強量を示すためですが、かくのごとくに著者の意識がそれを審査・評価する先輩学者の方を向いている。
そしてその先輩のほとんどが、西洋文献をかみ砕かないでやる人だから、もう救いがないのです。
政治学というのは、理論的にはあまり成熟していない学問です。
だが、米国の大学ではこれを現実の政治問題に関する議論を学生にさせることでもって補っています。
「中国の民主化は可能か?」といったテーマで議論をさせる。
そしてこれをポリティカル・サイエンスとして、ほとんど必修科目にしています。
日本の授業は、外国文献の引用の羅列講義がほとんどです。
これでは日本人は、大学に行っても政治見識の持ちようがありません。
そうした現状の中で、鹿嶋は自家製の政治学をここに披露しようと思うのです。
私は政治学の専門家ではありません。素人です。
だが、それだけに素人が政治見識を持つに役立つ知識が展開しやすいかも知れない。
そう期待して始めることにします。
でも、どうなるかな?
すでに原稿が出来ているわけではありません。
書きながら、次を作っていきます。
いつものことながら、更新が遅れても、あしからず・・・。
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