聖句主義を導入するに最も標準的な方法は、その方法論を述べることからはいる行き方でしょう。でも日本には聖句主義はまだ入っていませんので、聖句を自由に解読しているという事例がありません。事例がなければ、一般論として方法を理屈で述べても、見覚えのある事例を提示して説明することは出来ません。それではわかってもらえない。
さてどうしようか、と思案した結果、方策は割合簡単に出ました。それは「ならば事例を直接造ってしまおう」というものです。余計な理屈をぐだぐだ言ってないで、実際の聖句を自由に解読してお見せしよう。年配の方ならご存じの広告キャッチフレーズ「男は黙って**ビール」でいこうと決めました。
<聖書のはじめから>
では、どのあたりの聖句を解読するか。こういう機会は少ないだろうから、将来のために福音の神髄を述べている「ヨハネ伝」の聖句解読をこの機に活字にしてしまおう、という案も浮かびました。だが、それではあんまり先に「進みすぎ」になります。いくら好きなように書いていいといっても、読んでみようと思う人が少なくなりすぎては、後に問題になるでしょう。売れ残りが多量に出ると、出版社に大損をかけることになるのです。
やはり、聖書をあまり読んだことのない人でも、容易にフォローできる聖句であることが必要だ。だったら、聖書の冒頭からやるのはどうか。創世記の1章1節から解読してみる。これなら初心者でも、初めから解説しいるようなので、としばしつきあってみようかなと思ってくれる可能性が出る。こうして聖書の冒頭から、切りのいい6章あたりまでをめざして順に解読していくことにしました。
旧訳は新約の影絵、というのが鹿嶋のこの書物に対する構造把握です。それからすると、本になるほど書くことあるかな、という感じもありました。しかし、やってみると、結構語ることが出てきました。
(続きます)