フーバーが第31代米国大統領として働いたのは、1929~1933年である。
この間起きた世界大恐慌(1929)に対して、彼はフーバーダムの建設工事でもって公共雇用を作り出すなどの政策で対処した。
これはケインズ理論を先取りするような経済政策だ。
次いで第32代大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは、1933~45年までの長期にわたって大統領職をつとめ、1945年、終戦を目前にして急逝した。
この後継者がヘンリー・S・トルーマンで、彼は1945~53年まで大統領職を果たした。
<資産家に公共心が強い国>
米国の資産家はほとんどが公共心の強い愛国者でもある。
米国独立戦争以来、彼らは任意に連携し合って、米国政府を支えてきた。
この種の非公式な連携体をボランタリー・アソシエーションという。
フーバーは米国政治を支える資産家でもあり、かつ、自ら政治家としても働いた特殊な大才だったのだ。
大統領としての期間は短かったが、その後もルーズベルトらの政治を支え導き続けた。
<チャーチルの参戦依頼>
そのルーズベルトに、英国首相だったチャーチルは第二次大戦における欧州戦線への参戦を求めた。
第一次大戦は、米国の参戦によって英仏陣営の勝利が決定づけられた。
この頃から既に米国の力は絶大だった。
そして、この第二次大戦では米国に参戦してもらう必要が英国にはさらに高かった。
ナチス・ドイツのロンドン空爆が激しく、市民の士気も沈滞方向をたどっていたからである。
チャーチルの参戦要請は執拗だった。
<米国参戦条件を突きつける>
これに対してルーズベルトとそれを支えする有力者からなる米国側は、参戦の条件を突きつけた。
筆者流に要旨を描くならばそれは以下のごとくだ。
~二度にわたる世界大戦は、先進列強国が後進国を征服してそこから利益を吸い上げようとするが故に起きている。
先進国がかかる行動様式を続ける限り、植民地確保の権益争いはなくならない。
そこでは利害の一致する先進国がグループを組む。
そして世界規模の大戦が必然的に起きていくのだ。
今度の戦争が終わったら列強はみな、自らの植民地を放棄すべきだ。
後進国を独立させ、そこから利益を吸い取ることを止めねばならない。
ついては貴国・英国はダントツに多くの植民地を持っている。
大戦が終わったあかつきには、これらすべての支配権を放棄し、独立させよ。
まず隗より始めよ。
この条件をのむなら米国は参戦しよう、
~こうルーズベルトは応じた。
<列強による後進国隷従化が消滅する>
思いもよらぬ条件を突きつけられたチャーチルは、応答の猶予を求めた。
だが、結局背に腹は代えられない。
彼は「支配国家の個々の事情を鑑みつつ」との一文の挿入を認められて合意案に署名した。
こうして「戦後は後進国を独立さす」というポリシーの大枠は決まり米国は参戦した。
アイゼンハワーが連合国の総司令官となって、ノルマンディー上陸作戦を成功させ、ドイツ、イタリーを降伏させた。
太平洋方面総司令官のマッカーサーは日本を降伏させ、朝鮮、満州、台湾などを独立させ、日本統治の連合国総司令官として厚木空港に降り立った。
そのしばらく後のセリフが、前述した「日本人は政治的に13才」だったのである。
ともあれこうして、第二次世界大戦後には、列強による後進国隷従化志向はなくなった。
経済学においても一種の人間愛(ヒューマニズム)とも言うべき視点が優勢になった。
「低開発国をいかにして経済発展させるか」が主要テーマになった。
スゥエーデンの経済学者、グンナ・ミュルダールの名著『経済理論と低開発地域』もこの新世界風潮の中で書かれた。
そこで展開された「累積的因果関係のモデル」は後進国経済を発展に導くための貴重な指針となった。
(続く)
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