(Vol.16 が抜けていましたので追加挿入しました)
<愛国心のために>
列強諸国の覇権時代での中国は、沼にはまってピラニアに食いちぎられる牛そのものでした。
そんな惨憺たる目に遭いながらも、中国の一般人民たちからは愛国心はなかなか燃え上がりませんでした。
(理由は後述します)
そうしたなかで魯迅(1881-1918)は、物語(小説)でもって自国民に愛国心を訴え始めました。
魯迅は医学生として日本の仙台医学専門学校(今の東北大学医学部)で学んでいました。
ある日、日露戦争における中国人露探(ロシア側のスパイ)処刑の記録映画を見たそうです。
そのなかで中国人民衆が銃殺に喝采している場面があった。
それを見て魯迅は衝撃を受けました。 自分らと同じ中国人が殺されるのに・・・。
まあ民衆の拍手は今流に言う「やらせ」の可能性が大きいしょう。
日本国内向けのプロパガンダ用の映画ですから。
けれども若き魯迅にはこの映像は胸のつぶれる思いを抱かせるものでした。
彼は医学を止め、中国人の愛国心発揚に小説という手段で貢献する決心をしました。
彼の『阿Q正伝』(1921)は中国人民に、知識と愛国心をもつことを訴える愛国小説です。
後年、毛沢東は折に触れこれを評価したといいます。
それもあって魯迅の仕事は多くが知るところとなっています。
<上海、魯迅記念館>
上海に魯迅記念館があります。
春平太はあまりにあちこち行っていて記憶がこんがらがっているかも知れませんが、
たしかここに一人の中国人の老人を日本軍人が斬首しようとしている写真があったのではないかと思います。
引き立てられている老人はロシア側スパイかも知れません。真っ白な白衣を着ていました。
死装束かも知れません。
そこには日本人たちが2~30人ほど集団写真を撮るようにして、二段か三段かになって
カメラに向かって並んでいます。 記念写真そのものです。
中国の老人はその前に引き立てられています。
最前列の右端には、剛毅で傲岸そうな一人の日本軍人が膝を大きく開いて座っています。
膝の間に軍刀を杖のようにたてて、両手をその上に置いています。
彼は処刑をいかにも楽しそうにみています。
これもおそらくプロパガンダ用のやらせ写真でしょう。
日本軍はかくも強いのだと日本国民に宣伝するための。
だがこれをみたら中国人の自尊心がいかに傷つくか、を考えてみる必要があります。
追体験できない読者は、写真での日本人と中国人を入れ替えて想像したらいいでしょう。
そうすれば、上記の処刑記録映画を見たときの若き魯迅の心が想像できるでしょう。
彼の心に沸き上がった悲しみと決意がわかるでしょう。
<英国は試合巧者>
こういう写真を後世に残すのが日本軍の国際政策の幼稚なところです。
英国はこんなことはしない。
彼らはアヘン戦争という、日本軍よりもっともっとあくどいことをしました。
だが、相手国の人民の自尊心を個人ベースで害するようなものは、いっせつ残しませんでした。
一対一での攻撃はしなかったのではないでしょうか。
彼らは法的制度的に、社会システムとしてかじり取ることに徹しました。
システムとしてやれば人民は傷つきません。
一般人民にはそういう仕掛けは判りませんからね。
英国は侵略巧者だったのです。
日本軍人のように、個人ベース、対人ベースで屈辱をあたえる行為をしなかった。
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日本人の行為は恨みをかいました。だが、歴史とは奥深いものです。
日本人が与えたこの刺激が、中国人の一人また一人と怒りと愛国心をかき立てました。
その人たちは、抗日運動に加わっていきます。
それは日本人の意図したものではなかったのですが、結果的にそういう効果を与えたわけです。
そして、それを記録した上記のような現場写真が残りました。
ずさんだったのか、世界世論への効果に無知だったのか、とにかく残りました。
これが日本人への恨みを、後世に延々と続けさすことになりました。
韓国でも同じことが起きています。
北朝鮮でもおそらくそうでしょう。
韓国人の大半の若者の対日本感情を知るには、訪れるべきところがあります。
ソウル郊外の「独立記念館」がそれです。
ここを見ないで現代韓国人の対日本心理を語るのは空虚です。
鹿嶋は内部展示物を回覧しながら、英国は試合巧者だったとつくづく思いました。
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