鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

随想4. ”いじめ”もセルフバリュー欠乏から

2016年10月23日 | 随想




いま、特に日本で悲劇をもたらしつつある「いじめ」・・・この究極原因もいじめる側のセルフバリュー感欠如にあります。


前回、鹿嶋は書きました。



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(実に人間は、自価感覚を求める生きものです。
   その感覚が、根底的に欠乏状態にあるからです)
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日本では多くの若者が、自価感覚の欠如にさいなまれて生きているのです。





<「いじめ」の心理構造>

「いじめ」るグループの生徒は、とりわけ、自分自身がこの感覚に苦しんで学校生活を送っています。

その一つの原因は、世間の常識、学校での常識的価値観にあります。


世間の主要価値基準は、生徒の偏差値的知的水準に照準をあてています。

彼らは、その価値基準では自らを低く評価せざるを得ない状況に苦しんでいるのです。


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たとえば、通っている学校が偏差値が低いとみられていたりします。

すると生徒は学校名を隠したりする状況の中で生活します。


あるいは知的イメージの高い学校にいながらも、勉強がついて行かれなくて実質、授業中ボーとしているしかない生徒もいます。


こうした若者の心の内では、自分が劣等であるという認識が形成されます。


その劣等感が、彼らのセルフバリューを傷つけ続ける。

彼らは、自分の劣等感で自分の自価感覚を、自ら傷つける日々を送っているのです。





<養子回し>


幼年時代に、あちこちの親類に養子として、いわば「養子回し」をされた人間も、セルフバリュー希薄感にさいなまれていることが多いです。

これに無感覚な大人の多い地域がある。

とりわけ東北にはそれが多く、当たり前のごとくに「養子回し」が慣習化している傾向さえみられます。



・・・これは悪しき風習ですよ。

ホントに悪いくせだ。




NHKTVに「ファミリーヒストリー」という番組は、有名人の親族の歴史を掘り出し紹介していきます。

そこで斉藤由貴さん(女優)が取り上げられたときにもそれが現れていました。

彼女の親族には、簡単に「養子回し」をされている人が複数いました。


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養子回しをされると、その都度当人のセルフバリューは削がれます。

子供心にも、「自分はいらない子なんだ」と実感せざるを得ないのですから。


親に簡単に親類に養子回しされた時の子供の苦しみはトラウマとなって残ります。






大人になって、その自価意識欠如感に苦しむ人と筆者は接したこともありました。

福島出身の人でした。

クリスチャンになっても、平安が得られず、教会に加わっても他のクリスチャンの平安を乱しに行く行為が見られました。

ルターが宗教改革で主張した「信じるだけで救われる」という教えに安住できず、「働きがないと救われない」と思ってしまう。

するといわゆる「信仰義認」による平安が得られず、不安の中に入ることになります。

だが幼少時のトラウマが残る意識波動には、その方が合うのです。

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すると聖書もよく読み、信仰行動も激しさを増しますが、その激しさでもって、出向いた教会で他者の信仰にも切り込んでいく。

その説得を受けて、「信仰義認」を捨てるに至り、長年働いた教会から信徒の投票で放逐された牧師さえ出ました。

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このように、自価意識、セルフバリュー感は人間が生きる上で、巨大な働きをするのです。




<自己神欲も肥大させる>


なお付言すれば~

 幼年時代に自価意識をそがれた子供には、反動として、自己神欲が肥大することも多いです。

「自己神欲」とは「自分を神のようにしたいという欲望」をいいます。

これも大きな問題です。

鹿嶋のキンドルブック『自己神欲が諸悪を産む』をご参照ください。


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話を、いじめる側の生徒に戻します。





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彼らは、そういう自分を距離を置いて眺める知性を持つには至っていません。

だから結果的に、そういう自分を自覚することが出来ない。

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<痛めつけて、「自分より劣等!」と言い聞かせる>


するとどうするか。

彼らは、自分よりも劣等と思える生徒を見つけ、これを痛めつけようとします。

そうすることによって、自分より劣等な人間がいるのだ、と自分に言い聞かせられるのです。


痛めつけることによって、「こいつは(自分より)劣等だ,劣等だ」と自分に言い聞かせているのです。


その行為によって、自分の劣等意識を一時的に放念できるのです。


もちろんこれは一時的な方法、安易な方法です。

だが、彼らはその行為に走らざるを得ないほど、自ら苦しんでいるのです。


「いじめ」の行為は、自分のセルフバリュー欠如のつかの間の忘却を求める、はかない願望の表れなのです。





<自価感覚破壊が自殺を生む>


だけど、いじめられている子供はもっと悲劇だよ。


彼らは、元々希薄な自価感覚を、「お前は駄目なヤツだ」とさらに破壊されます。

こうしていじめられる生徒は、ごく自然に生きる意欲を失い、自然に死に向かっていくのです。



繰り返しますが、セルフバリューがなくなると、人は生きられなくなるのです。





<平成元禄田舎芝居>


ところが日本の大人にこの洞察が全然ありません。


テレビのコメンテーターは、知識人顔してしゃべっています。

流行の心理理論を当てはめて、したり顔で浅薄な高説を述べている。


司会者も、「フン、フン」と感心顔でうなずいている。


~これは


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「平成元禄田舎芝居」

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~だね!!・・・。





<分析から前に進めない>


こんなお粗末な認識をしていたら、いつまでたっても、打開策は出ないよ。

したり顔の「分析」しかできない。


特に、文科省の人々、TVディレクターは自価意識の概念をすぐにでも知るべきです。

そしていまの自然なままの社会状態のなかでは、セルフバリューを殺がれ、苦しんでいる若者がたくさんいること。

~これを認識することです。



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まずとにかく、自価感覚という心理に目覚めること。

鹿嶋もこのキーワードに、もう少し砥石をあてて、エッジの効いたものにするべき努力をする所存です。







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