Sightsong

自縄自縛日記

ハヌマーン(1) スリランカの重力

2007-02-11 23:40:13 | 南アジア
ハヌマーンは、古代インドの物語『ラーマーヤナ』に登場する猿の神である。

妻を魔王ラーヴァナに拉致され、ランカー島(スリランカ)に軟禁されてしまったインドの王子ラーマは、猿王スグリーヴァと同盟を組んで、猿と熊の軍勢を提供してもらう。この軍勢の総大将が、風神ヴァーユの息子で怪力の猿ハヌマーンだった。ハヌマーンは空を飛んでランカー島に赴き、尻尾につけた火であたりを焼き払う。さらに一旦インドに戻り、ラーマと合流し、攻撃に大活躍する。(『ヒンドゥー教』M.B.ワング著、青土社)

メキシコの作家オクタビオ・パスの大傑作『大いなる文法学者の猿』(新潮社)では、このように語る。

(略)そしてその空白の領域の中心にある暗い巨大な形(フォルム)。それは山が噴出した一個の隕石だ。大海原の上に強力な物体が宙吊りになっている。太陽ではない。まるで猿どもの間に紛れ込んだ象だ!猿の中の獅子だ、牡牛だ!巨大な蛙のように天空(エーテル)の中で後肢を屈伸させ、前肢もそれに合せて力強く泳いでいく。前へ突き出した頭は風をつんざき、さながら嵐のなかを突き進む舳先だ。双眸は旋風を射抜き、石のように張りつめた空間を貫く前照灯(ヘッド・ライト)だ。赤い歯茎と暗紫色の唇の間から真白な歯がのぞく。今にも喰いつきそうな研ぎすまされたやすりだ。硬直して上を向いた尾は、恐るべき伝馬船のマストになる。身体全体が燃えしきる炎のように彩られ、あたかも海上を飛翔していく活力(エネルギー)の溶鉱炉、煮えたぎった銅でできた山塊だ。身体中を伝って流れる汗の雫は、海と大地の子宮に降りそそぐ豪雨だ(明日にも怪物や素晴らしい獲物がとれるだろう)。(略)

何とも猛々しい表現だが、ハヌマーンは文法学者でもあった。『ラーマーヤナ』の作者とされるバールミーキの友人、助言者、霊感を与える者としても描かれている。そしてハヌマーンが『ラーマーヤナ』を踏襲して岩に書いた戯曲『マハー・ナータカ』を、バールミーキは保身のため恐れ、猿はその岩を山ごと大海に投げ捨てる

作者と作品とが混じりあうメタ・フィクションのようになってくるが、『ラーマーヤナ』では、ハヌマーンはインドからランカー島に薬草を運ぶ際に、山ごと薬をもってきて、そこから欠けた一片が海に落ちることになっている。

アーサー・C・クラークは、これを、隕石が落ちた実話からくるに違いないこと、さらにスリランカ近海に世界最大の重力特異点があることがその証拠だと主張している(『スリランカから世界を眺めて』アーサー・C・クラーク著、サンリオSF文庫)。さらに彼は、そのアイデアから、SF『楽園の泉』(ハヤカワ文庫)を書いてさえいるのだ。

つまり隕石が、地下・海面下の密度を変えてしまい、その近くでの重力を弱くしているというわけだ。地面から下は均一ではないから、海抜高度は実際にはでこぼこになる(重力が強ければ、このジオイド面は盛り上がる)。実際に現在のモニタリング結果でも、スリランカ近辺にジオイドの特異点があることがわかっている。ジオイド面が凹んでいるところである。

クラークが考えたのは「宇宙エレベーター」、つまり、スリランカから垂直に宇宙までつながるエレベーターを建設することだった。実際に使用済みの人工衛星は重力の関係からインド洋上空に引き寄せられている。ここを選ぶと、エレベーターも安定ということだ。

隕石説には疑問(そんな大きな隕石が地球に衝突したらタダではすまなかった気がする)だが、科学的には、宇宙エレベーターは不可能ではないようだ(『軌道エレベータ―宇宙へ架ける橋―』石原藤夫・金子隆一著、裳華房)。

ところで、魔王の巣窟として描かれたスリランカでは、あまり『ラーマーヤナ』は受け容れられていないらしい。仏教から「浅薄で取るに足らない物語」とされたようだが(『ラーマーヤナの宇宙』金子量重・坂田貞二・鈴木正祟著、春秋社)、それ以上に、自国がそんな舞台の話は受け容れる気にならないのではないか。

オクタビオ・パス、アーサー・C・クラークともにスリランカ関連書として、旅の前にもイメージが膨らむものとしてとても良い書籍だが、入手困難になって久しい。筑摩書房や早川書房など、どこかが再発すべきだ。


ジオイド図 みごとにスリランカの重力特異点が示されている (ドイツ国立地球科学研究センター)


インド・オールドデリーの市場で買ってきたハヌマーン 手には山がある

薄っぺらい本、何かありそうに見せているだけタチが悪い

2007-02-11 00:28:29 | 関東

ブックオフで、『アースダイバー』(中沢新一著、講談社)が半額だった。わりと話題になっていたし気にもなっていたので読んだ。

じつはこの人の本を読むのははじめてだ。学生時代に講演を聞いたことはあるが。

コンセプトは、東京の自然史(凸凹の持つ地学的意味)と、神社・寺や遺跡を結びつけること。

縄文海進の時代に、高台やそのエッジに神社・寺や遺跡が作られた。それは、まあ、常識である。

これを地図により示し、そこから歴史や都市伝説や感覚についての話を展開している。そのアイデアはわりに新鮮であり、結構楽しくも読めた。しかし、それだけである。

むしろ、ものものしい言い方や強引な一般化ばかりが鼻についてしまう。やっぱり、以前からの印象通り、消費社会の徒花に過ぎないのだろうと思った。

こんなものより、『東京の自然史』(貝塚爽平著、紀伊国屋書店)をじっくり読み、東京を歩いてみるほうが知的好奇心を満足させてくれるはずだ。中沢氏も本書を参考文献に含めている(当たり前だ)。しかし一方、「東京は中心に皇居があるため円環構造」ということを執筆中に、確実に意識していたはずの『表徴の帝国』(ロラン・バルト著、ちくま学芸文庫)が記載されていない。あまりにもあからさまだから、書くのも恥じたのだろうか。

といいつつ、地図はよくできているので、東京を散歩する前にはチェックしようと思う(笑)。私が学生のときに東京の白地図上に色鉛筆で書いたものよりは数段よい。「地学+文化」というコンセプトと、コンピュータのおかげである。

まあこんなことを言っても、多くの批判にかき消されてしまうのだろうが。