浅川マキのベストアルバム、『DARKNESS IV』が出た。
2枚物の第4弾、前回の『III』から10年ぶりだ。

あらためて、マキさんのエッセイ『こんな風に過ぎて行くのなら』(石風社)を読んでいて気が付いた。このアルバムにも収録された「夜」の歌詞、私はずっと「かすかに犬の臭いがしている」だと思い込んでいたのだが、本当は「かすかに犬の行くのがわかる」だった。しかし、マキさんのイメージは、汚くて猥雑な夜の新宿の街とともにあるので、まあどっちでもいいのだ。
なお、「夜」が収録されていたアルバムは『マイ・マン』(1982年)だが、以前CD化されたときに、マキさん自身がその音に不満を抱いて、すぐ廃盤になった経緯がある。そのため中古市場でも異常な高値が付いているという皮肉なことになっているが、『DARKNESS』では音がずいぶん豊かになっている。
マキさんをはじめて聴いたのは、たぶん1995年、新宿ピットインだった。渋谷毅、川端民生、セシル・モンローと組んでいて、音のうねりとあまりの自由さに圧倒された。自分が求めていたものだと感じた。その後、新宿ピットインや文芸座ル・ピリエに何度も聴きに行った。そのル・ピリエも今は無い。
『DARKNESS IV』には、マキさんの新宿蠍座でのデビューライブ録音(1968年)が入っている。少し手探りで歌っているようだが、もう「老成」しているのがわかる。このころ20代に違いないのに。
ほかの聴きどころは、『寂しい日々』(1978年)に収録されていた「ナイロン・カバーリング」。川端民生のベース、それから山下洋輔のピアノをバックに歌うこの曲は、娼婦の歌である。ナイロン・カバーリングはコンドームだという人がいるが、私はストッキングではないかと思う。私がマキさんを聴き始めて2年くらい経ったころ、ずいぶん昔からのファンだというUさんと知り合った。それが縁で、何枚ものLPをダビングしてもらった、その中に入っていた。それもあって、CDで聴けるのはとても嬉しい。Uさんはマキさんのライヴでもなかなか見かけなくなったが、元気だろうか。
それから、『黒い空間』(1994年)から、大好きな「あの人は行った」が収録されている。マキさんの魅力は、冗談みたいだが、(暗い)ライヴが終わったときの、感極まったメンバー紹介や観客への呼びかけにもある。この曲でも、渋谷毅を紹介したあと、「またね」と叫ぶ。編集物とはいえ、最新のアルバムの最後のほうにこの曲を入れたことは、まだまだライヴを続けるという意思だととらえたいと思う。
マキさんの昔のエッセイ『幻の男たち』(講談社)には、吉田拓郎が「年下のくせに」といいつつも、マキさんの歌う「夜が明けたら」を聴きにきていたとのエピソードがある。実際には年上で、たぶんもう60代も半ばだろう。
今でも毎年、新宿ピットインで何日も続けてライヴ公演を演っているのだけど、ここ何年もマキさんを聴きに行っていない。次は絶対に駆けつけよう。
ところで、天才アケタこと明田川荘之の怪書『ああ良心様、ポン!』(情報センター出版局)に、変なことが書いてあった。マキさんの本名は「虎野まき」。本当だろうか、冗談だろうか。


2枚物の第4弾、前回の『III』から10年ぶりだ。

あらためて、マキさんのエッセイ『こんな風に過ぎて行くのなら』(石風社)を読んでいて気が付いた。このアルバムにも収録された「夜」の歌詞、私はずっと「かすかに犬の臭いがしている」だと思い込んでいたのだが、本当は「かすかに犬の行くのがわかる」だった。しかし、マキさんのイメージは、汚くて猥雑な夜の新宿の街とともにあるので、まあどっちでもいいのだ。
なお、「夜」が収録されていたアルバムは『マイ・マン』(1982年)だが、以前CD化されたときに、マキさん自身がその音に不満を抱いて、すぐ廃盤になった経緯がある。そのため中古市場でも異常な高値が付いているという皮肉なことになっているが、『DARKNESS』では音がずいぶん豊かになっている。
マキさんをはじめて聴いたのは、たぶん1995年、新宿ピットインだった。渋谷毅、川端民生、セシル・モンローと組んでいて、音のうねりとあまりの自由さに圧倒された。自分が求めていたものだと感じた。その後、新宿ピットインや文芸座ル・ピリエに何度も聴きに行った。そのル・ピリエも今は無い。
『DARKNESS IV』には、マキさんの新宿蠍座でのデビューライブ録音(1968年)が入っている。少し手探りで歌っているようだが、もう「老成」しているのがわかる。このころ20代に違いないのに。
ほかの聴きどころは、『寂しい日々』(1978年)に収録されていた「ナイロン・カバーリング」。川端民生のベース、それから山下洋輔のピアノをバックに歌うこの曲は、娼婦の歌である。ナイロン・カバーリングはコンドームだという人がいるが、私はストッキングではないかと思う。私がマキさんを聴き始めて2年くらい経ったころ、ずいぶん昔からのファンだというUさんと知り合った。それが縁で、何枚ものLPをダビングしてもらった、その中に入っていた。それもあって、CDで聴けるのはとても嬉しい。Uさんはマキさんのライヴでもなかなか見かけなくなったが、元気だろうか。
それから、『黒い空間』(1994年)から、大好きな「あの人は行った」が収録されている。マキさんの魅力は、冗談みたいだが、(暗い)ライヴが終わったときの、感極まったメンバー紹介や観客への呼びかけにもある。この曲でも、渋谷毅を紹介したあと、「またね」と叫ぶ。編集物とはいえ、最新のアルバムの最後のほうにこの曲を入れたことは、まだまだライヴを続けるという意思だととらえたいと思う。
マキさんの昔のエッセイ『幻の男たち』(講談社)には、吉田拓郎が「年下のくせに」といいつつも、マキさんの歌う「夜が明けたら」を聴きにきていたとのエピソードがある。実際には年上で、たぶんもう60代も半ばだろう。
今でも毎年、新宿ピットインで何日も続けてライヴ公演を演っているのだけど、ここ何年もマキさんを聴きに行っていない。次は絶対に駆けつけよう。
ところで、天才アケタこと明田川荘之の怪書『ああ良心様、ポン!』(情報センター出版局)に、変なことが書いてあった。マキさんの本名は「虎野まき」。本当だろうか、冗談だろうか。

