昨月末(2007年7月末)に出たばかりの、新崎盛暉『基地の島・沖縄からの問い―日米同盟の現在とこれから』(創史社)を読んだ。
著者の新崎盛暉氏(沖縄大学名誉教授)は、これまでの経緯は既に『沖縄現代史』(岩波新書、2005年)にまとめたとしつつも、もともと多くの人が読むはずの新書ですら昔よりも敷居が高くなっている現状を認め(同時に嘆き)、「語り」形式のわかりやすい本を目指して、この本を取りまとめている。
実際、最新の情報までが極めて平易に記述されている。原稿校了時から現在までの出来事といえば、防衛大臣の交代、参議院選挙での自民党敗北、辺野古での殺人未遂事件といったところだ。そして、沖縄タイムス、琉球新報、東京新聞の記事が多く挿入されているので、沖縄の基地に関するこれまでの経緯と背景をあらためて把握するには最適だと思う。
わかりやすいのは解説だけでない。さまざまな事象の意味するところを、新崎氏はきわめて簡潔に述べる。(文章を書く際、もっとも難しいのは難しい文章を組み立てることなどではなく、コアを簡単に書き下すことであることは、誰もが知っている。)
今年(2007年)、成立してしまった米軍再編特措法については、「麻薬とムチ」と表現している。米軍基地に協力して交付金を得る自治体が、一定期間後にカネがなくなり、次を求めるあり方を、原発の交付金にもたとえて、「麻薬とムチ」としているわけである。
「つまり原発の一号炉の次は二号炉という話になっていく。そういう意味ではまさに、麻薬的な金なんです。したがって、こういった政策それ自体が、社会とか国を根底から腐らせるものだと思います。 社会それ自体が意味のない金で何か事業をやることに慣れていって、それに依存しながらやっていくことになると、地域を自立させる意欲それ自体が失せていく。人間それ自体をダメにするものだと思います。 そういうことを平気でやろうとしていることこそ、僕たちは批判しなければならないのではないでしょうか。」
そして、米国における「従軍慰安婦問題」に関する反発の動きに、新崎氏は注目している。
「(略)ぼくは、安部首相の発言に対する人種や思想信条を越えた反発、より具体的に言えば、日系や韓国系などのアジア系を中心にリベラルなアメリカ人を巻き込んでいった人権感覚の中に、国家犯罪、戦争犯罪を告発する普遍的契機があるように思うのです。」
実際に、先ごろ2007年7月30日に米国下院本会議の「慰安婦問題謝罪要求決議案」が異論なく採決された件も、代表提案者は日系のマイク・ホンダ議員だった。2004年に癌で亡くなったホンダ議員の妻が、3歳のとき広島で被爆し、米国に移住したことも、今回の決議推進の背景になっているようだ。(梶村太一郎「議員立法で補償の実現を」、『週刊金曜日』2007/8/10・17)
これは、ともすれば私たちも感じてしまいがちな反感、「なぜ加害者の米国人にそんなことを言われなければならないのか、言う権利などあるのか」とする気分とは対極にあるものだろう。佐藤優氏は、「人権や正義を振り回すアメリカ人の背後にある自己批判や反省の欠如に強い違和感」を覚えている。(佐藤優「米下院「慰安婦」決議と過去の過ちを克服する道」、『週刊金曜日』2007/8/10・17)
どちらも正論ではあるように感じる。しかし、「アメリカ」、「アメリカ人」などというとき、新崎氏のいう「リベラルなアメリカ人」という個人のことは想定外におき、観念がこころを支配している可能性があることは確かだろう。そこには、「北朝鮮」と表現するときに現れる<ネガティブな集合体>、さらには過去、顔も知らない相手を「鬼畜米英」と表現していたときに想定していた<倒すべき集合体>と共通する、危険な匂いが漂っているのではないか。
新崎盛暉『基地の島・沖縄からの問い―日米同盟の現在とこれから』(創史社)の構成はきわめてわかりやすい