沖縄の国頭で、大雨の日に村営バスの窓から見た赤い海は印象的だった。私の仕事は環境関連だが、赤土のことはぜんぜん門外漢なので、『赤土問題の基礎物理化学的視点』(小柳元彦監修、沖縄タイムス社、2004年)を読んでみた。(ところで、こういうものも置いてある神保町の書肆アクセスは本当にいい本屋だと思う。秋の閉店は残念だ。)
編者によると、赤土問題は沖縄という局地的な問題であり、また、現象論的な記述が多いが、その理屈となるべき物理化学的な記述は世の中に少ないという。そして、赤土問題のことを、沖縄の苦しむ二つの「境界問題(surface problems)」のひとつとしている。もうひとつは米軍基地問題である。
というような意義の本だから、現象の因果関係が直接的にまとめられているわけではないし、解決の処方箋になるわけではない。確立された環境工学ではないのだから当然だ。それでも、いろいろな面から納得できた。
なぜ赤土は沈降しないのか、それはコロイドがミクロとマクロの中間領域にあって、万有引力と分子間力がせめぎあっている世界にあることが理由として示されている。粒子間のある距離には、反発力のハードルがある。そのハードルをこえさせて粒子をくっつければ、沈降するわけだ。そのためには熱エネルギーでハードルをジャンプさせる、あるいは触媒などでハードル自体を低くする。あるいは反発力を小さくするために、粒子表面のマイナスの電荷密度を小さくすることも原理として考えられる。
そして赤土が河川水や海水に流出した場合、pHが下がり、かなりの酸性になることが示される。そのメカニズムは条件により異なるようだ。pHが5とか4とかになって生物影響がないわけはない。そういえば、以前に東村の民宿でシャワーを使っていて、手拭の色が凄い勢いで落ちたことがあったが、あれも酸性の影響があったのだろうか。
最後に、沖縄県の赤土等流出防止条例(濁水の基準はSS200)が甘いことが示される。
この環境政策のもとになっている考えが、本土復帰時の革新政党による「自治体に公害対策をまかせ、地域住民の自主的な活動を認めない」方針であったことが、故・宇井純氏によってなされている(宇井純『日本の水はよみがえるか』NHK出版、1996年)。これによると、農業構造改善事業・土地改良事業による補助金が洪水のように投入される一方、表土流出のための予算はほとんど利用されなかった、ということだ。ここでも、赤土等流出防止条例の制定にあたって議論がほとんどなされず、結果的にほとんど実効性がないことが批判されている。
故・宇井氏は、赤土流出と、豚の排泄物が「黒い水」となって流出することを、せっかくの資源が再利用されないという側面からも嘆いている。そしてカネのかからないやり方、つまり、土建には旨みの少ない方法で、処理することを、最後まで研究されていた。これが発生源での処理であり、条件にそぐわない集中処理(下水道などの発想)でないことには留意すべきであり、昔から本土でもみられてきた問題でもある。
まだ生兵法なので、今後いろいろあたってみようと思う。


編者によると、赤土問題は沖縄という局地的な問題であり、また、現象論的な記述が多いが、その理屈となるべき物理化学的な記述は世の中に少ないという。そして、赤土問題のことを、沖縄の苦しむ二つの「境界問題(surface problems)」のひとつとしている。もうひとつは米軍基地問題である。
というような意義の本だから、現象の因果関係が直接的にまとめられているわけではないし、解決の処方箋になるわけではない。確立された環境工学ではないのだから当然だ。それでも、いろいろな面から納得できた。
なぜ赤土は沈降しないのか、それはコロイドがミクロとマクロの中間領域にあって、万有引力と分子間力がせめぎあっている世界にあることが理由として示されている。粒子間のある距離には、反発力のハードルがある。そのハードルをこえさせて粒子をくっつければ、沈降するわけだ。そのためには熱エネルギーでハードルをジャンプさせる、あるいは触媒などでハードル自体を低くする。あるいは反発力を小さくするために、粒子表面のマイナスの電荷密度を小さくすることも原理として考えられる。
そして赤土が河川水や海水に流出した場合、pHが下がり、かなりの酸性になることが示される。そのメカニズムは条件により異なるようだ。pHが5とか4とかになって生物影響がないわけはない。そういえば、以前に東村の民宿でシャワーを使っていて、手拭の色が凄い勢いで落ちたことがあったが、あれも酸性の影響があったのだろうか。
最後に、沖縄県の赤土等流出防止条例(濁水の基準はSS200)が甘いことが示される。
この環境政策のもとになっている考えが、本土復帰時の革新政党による「自治体に公害対策をまかせ、地域住民の自主的な活動を認めない」方針であったことが、故・宇井純氏によってなされている(宇井純『日本の水はよみがえるか』NHK出版、1996年)。これによると、農業構造改善事業・土地改良事業による補助金が洪水のように投入される一方、表土流出のための予算はほとんど利用されなかった、ということだ。ここでも、赤土等流出防止条例の制定にあたって議論がほとんどなされず、結果的にほとんど実効性がないことが批判されている。
故・宇井氏は、赤土流出と、豚の排泄物が「黒い水」となって流出することを、せっかくの資源が再利用されないという側面からも嘆いている。そしてカネのかからないやり方、つまり、土建には旨みの少ない方法で、処理することを、最後まで研究されていた。これが発生源での処理であり、条件にそぐわない集中処理(下水道などの発想)でないことには留意すべきであり、昔から本土でもみられてきた問題でもある。
まだ生兵法なので、今後いろいろあたってみようと思う。

