水木先生のことは昔から好きだし、大友良英が音楽担当ということで、楽しみにしていた(→「大友良英のJAMJAM日記」)。梅津和時のバスクラ、それから大友良英(か他の人)の電子音とノイズ、誰かのマリンバ、音楽がとても効果的だった。
肝心のドラマも、面白くて哀しい面を正直に出していて好感が持てた。いわゆる感動作ではないからなおさらだ。
水木しげるの回想録は、中学生のときに、図書館で『のんのんばあとオレ』、『ほんまにオレはアホやろか』の2冊を借りて読んだことがある。どっちに書いてあったか忘れたが、上官の母親のところを訪ねては上官を褒めちぎり「葱ぬた」をもらったこと、戦地で野糞が固くて出ず、一時間かけて枝で少しを掘り出したこと、腕をなくした顛末、現地のコミュニティに受け容れてもらった夢のような生活、なんてことをまだ覚えている。
このドラマの肝は何なのだろうか。戦争のつらさか、軍隊という社会の異常さか、軍人階級の自己模倣か、少数者意見を抑圧する構造か、戦死した方の無念か。おそらく全部なのだろうが、ここでは戦争の<情けなく、哀しい>側面が強調されたのだと思う。それから、心、とか、考えの多様さ、とは対極にある、戦争や軍隊の論理は、いままた浮上しすり込まれていることを思い出さなければならない。
ところで、水木しげるが戦地を再訪したシーン(1971年)では、たぶんキヤノンFTbとフジカのシングル8カメラ・P300(?)を使っていた。この観察が正しければ時代考証は問題ない。キヤノンFTbは1971年から、P300は1967年からの生産である。最近では、オリンパスL-10スーパーを使っているようだ(→「アサヒカメラ」記事)。
わが家の水木しげる先生人形