テレビアニメの『ミヨリの森』を観た。元ちとせが歌を歌っている。今日、観る前に新しいシングルCDを買ってきたら、『ミヨリの森』のステッカーがついていた(笑)。
元ちとせ『あなたがここにいてほしい/ミヨリの森』
元ちとせについては、音程とか、声量とか、コブシや裏声が過剰だとか、いろいろ言う人が多い。正直、結構その通りだと思うが、それでもファンなのでよいのだ。それよりも、「民謡をやっていればよかったのに、街に出てこんなことをさせられている」云々の、相手を一人の人格として認めない発言は、考え方の前提から間違っていると思う。
『ミヨリの森』は、都会から森の田舎に越してきた女の子が、ダムを建設せんがために絶滅危惧種のイヌワシをこっそり殺そうとする(そこには居なかったことにする)業者を、森の精霊たちと阻止するといった物語。話も知らないで観たが、かなり良かった。私たちにはこのような森と自然の物語が必要なのだとさえ思った。それは、自然保護や共生のアンチテーゼとしての「悪しき人間」が、漫画的な典型タイプではなく、実際にまだ存在するからだ。
イヌワシは、環境省のレッドデータブックでは絶滅危惧IB類(IA類ほどではないが、近い将来における絶滅の危険性が高い種)である。一方、ヤンバルクイナや、先日レッドリスト(レッドデータブックに掲載するものとして事前に指定)に追加されたジュゴンは、それを上回る「絶滅危惧IA類」(ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種)だ。実際には、『ミヨリの森』のようには、絶滅危惧種だからといって即ち開発を中止しなければならない強制力はないが、ここは大きな目的をこそ考えるべきだろう。
それでは、沖縄の辺野古(名護市)や高江(東村)で、絶滅危惧IA種のジュゴンやヤンバルクイナを脅かし、また、住民を脅かすための手先として、権力をかさに示威する存在は、『ミヨリの森』に登場する邪悪で、愚かで、哀れな開発業者たちと何が異なるのか?
QAB琉球朝日放送の報道(1週間で消えるそうだ)を見て、多くの人が怒りを覚えるべきだと思う。
※高江の情報は『「癒しの島」から「冷やしの島」へ』「23日高江の衝突 on QABサイトを見よ!!」から。他の人にも伝えて欲しい。
元ちとせ『あなたがここにいてほしい/ミヨリの森』
元ちとせについては、音程とか、声量とか、コブシや裏声が過剰だとか、いろいろ言う人が多い。正直、結構その通りだと思うが、それでもファンなのでよいのだ。それよりも、「民謡をやっていればよかったのに、街に出てこんなことをさせられている」云々の、相手を一人の人格として認めない発言は、考え方の前提から間違っていると思う。
『ミヨリの森』は、都会から森の田舎に越してきた女の子が、ダムを建設せんがために絶滅危惧種のイヌワシをこっそり殺そうとする(そこには居なかったことにする)業者を、森の精霊たちと阻止するといった物語。話も知らないで観たが、かなり良かった。私たちにはこのような森と自然の物語が必要なのだとさえ思った。それは、自然保護や共生のアンチテーゼとしての「悪しき人間」が、漫画的な典型タイプではなく、実際にまだ存在するからだ。
イヌワシは、環境省のレッドデータブックでは絶滅危惧IB類(IA類ほどではないが、近い将来における絶滅の危険性が高い種)である。一方、ヤンバルクイナや、先日レッドリスト(レッドデータブックに掲載するものとして事前に指定)に追加されたジュゴンは、それを上回る「絶滅危惧IA類」(ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種)だ。実際には、『ミヨリの森』のようには、絶滅危惧種だからといって即ち開発を中止しなければならない強制力はないが、ここは大きな目的をこそ考えるべきだろう。
それでは、沖縄の辺野古(名護市)や高江(東村)で、絶滅危惧IA種のジュゴンやヤンバルクイナを脅かし、また、住民を脅かすための手先として、権力をかさに示威する存在は、『ミヨリの森』に登場する邪悪で、愚かで、哀れな開発業者たちと何が異なるのか?
QAB琉球朝日放送の報道(1週間で消えるそうだ)を見て、多くの人が怒りを覚えるべきだと思う。
※高江の情報は『「癒しの島」から「冷やしの島」へ』「23日高江の衝突 on QABサイトを見よ!!」から。他の人にも伝えて欲しい。