Sightsong

自縄自縛日記

『ミヨリの森』、絶滅危惧種、それから絶滅しない類の人間

2007-08-25 23:59:04 | アート・映画
テレビアニメの『ミヨリの森』を観た。元ちとせが歌を歌っている。今日、観る前に新しいシングルCDを買ってきたら、『ミヨリの森』のステッカーがついていた(笑)。




元ちとせ『あなたがここにいてほしい/ミヨリの森』

元ちとせについては、音程とか、声量とか、コブシや裏声が過剰だとか、いろいろ言う人が多い。正直、結構その通りだと思うが、それでもファンなのでよいのだ。それよりも、「民謡をやっていればよかったのに、街に出てこんなことをさせられている」云々の、相手を一人の人格として認めない発言は、考え方の前提から間違っていると思う。

『ミヨリの森』は、都会から森の田舎に越してきた女の子が、ダムを建設せんがために絶滅危惧種のイヌワシをこっそり殺そうとする(そこには居なかったことにする)業者を、森の精霊たちと阻止するといった物語。話も知らないで観たが、かなり良かった。私たちにはこのような森と自然の物語が必要なのだとさえ思った。それは、自然保護や共生のアンチテーゼとしての「悪しき人間」が、漫画的な典型タイプではなく、実際にまだ存在するからだ。

イヌワシは、環境省のレッドデータブックでは絶滅危惧IB類(IA類ほどではないが、近い将来における絶滅の危険性が高い種)である。一方、ヤンバルクイナや、先日レッドリスト(レッドデータブックに掲載するものとして事前に指定)に追加されたジュゴンは、それを上回る「絶滅危惧IA類」(ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種)だ。実際には、『ミヨリの森』のようには、絶滅危惧種だからといって即ち開発を中止しなければならない強制力はないが、ここは大きな目的をこそ考えるべきだろう。

それでは、沖縄の辺野古(名護市)や高江(東村)で、絶滅危惧IA種のジュゴンやヤンバルクイナを脅かし、また、住民を脅かすための手先として、権力をかさに示威する存在は、『ミヨリの森』に登場する邪悪で、愚かで、哀れな開発業者たちと何が異なるのか?

QAB琉球朝日放送の報道(1週間で消えるそうだ)を見て、多くの人が怒りを覚えるべきだと思う。

※高江の情報は『「癒しの島」から「冷やしの島」へ』「23日高江の衝突 on QABサイトを見よ!!」から。他の人にも伝えて欲しい。



富樫雅彦が亡くなった

2007-08-25 21:08:05 | アヴァンギャルド・ジャズ
打楽器奏者であり作曲家であった富樫雅彦が、8月22日に亡くなった。

ジャズにおいて、日本だけでなく、世界でも傑出した存在だったのだと思う。絢爛豪華というのではなく、研ぎ澄まされたひとつひとつの音と、その集まりが感じさせる色彩のようなもの。2002年に演奏活動をやめてしまうまで、新宿ピットインなどで何度もその真正に圧倒された。

なんだかストイックな感じがしていたが、演奏技術の向上には極めて真剣であり続けたらしい。いつだったか、新宿ピットインで、久しぶりのデュオで共演した佐藤允彦が明かしたエピソードがある。アルトサックスの姜泰煥(カン・テーファン)が佐藤、富樫と組んだライブ録音『ASIAN SPIRITS』(AD.forte、1995年)では、演奏とMCが終了しても、富樫がパーカッションの音を確かめ続けているのだ。それも新宿ピットインでの記録だ。

富樫雅彦のリーダー作、サイドマン参加作の中には、数え切れないほどの名演があるのだろう。しかし、明らかに、1970年1月の大怪我により胸から下の自由を失ったことを境として、打楽器奏者としては肉体的な制約が演奏にあらわれる。私が直接見、聴いていたのは、勿論その後だ。ハイハットやバスドラムを使わず、吊るしたチャイムや背後の銅鑼、多数の太鼓により、さらに独自の世界をつくりあげていたということだろうか。

ジャズ評論家の副島輝人氏は、事件の直前に記録された『アイソレーション』(日本コロンビア、1969年12月)を、「即興演奏の極限に挑んだもので、フリージャズの頂点の一つ」としている(副島輝人『日本フリージャズ史』、青土社)。テナーサックスとバスクラリネットの高木元輝とのデュオである。その高木元輝も既に鬼籍に入っている。

この音源は、もともと富樫雅彦、唐十郎とともに「新宿の三天才」と称されたという、かつてパレスチナで日本赤軍に合流していた足立正生による映画『略称・連続射殺魔』のために使われた。演奏に際しては、あまり映像を観ず、イメージを増幅させながらも、高木元輝の音に対して富樫は「時々説明的な音を吹いている」と指摘しては音を固めていったらしい(足立正生『映画/革命』、河出書房新社)。この、映画に、しかも「風景論」という関係性を絶ったところに意味を見出す映画に従属しないことで、音楽の完成度がより高まったのかもしれない。

これほどの音楽家であるから、今後、その功績を問い直す動きが本格化するに違いない。


姜泰煥、佐藤允彦、富樫雅彦による『ASIAN SPIRITS』(AD.forte、1995年)


高木元輝とのデュオ『アイソレーション』(日本コロンビア、1969年)


高柳昌行、高木元輝、吉沢元治と組んだ(!)『WE NOW CREATE』(ビクター、1969年)