Sightsong

自縄自縛日記

「けーし風」読者の集い(3) 沖縄戦特集

2007-10-28 15:45:53 | 沖縄
台風をものともせず(笑)、『けーし風』読者の集いに参加してきた(2007/10/27、千代田区ふれあい会館)。

今回の特集は、「岐路に立つ沖縄戦教育」だった(→感想)。それで、「沖縄戦首都圏の会」の、教科書に携わっておられる方も参加されて、いろいろと実態を聴くことができた。

自分も含め、多くの人にとっては、高校教科書は人生の一時期においてのみ使った本にすぎない。しかし、世代交代のプロセスとして、中長期的には社会の共通認識にも影響するものとして考えなければならない。さらには、教科書検定という枠組みにおいて、日本という国がどこに向いていくのかが反映されるということだろう。

検定プロセスはわかりにくいので、図にしてみた。



現在の検定制度において、①最後まで検定合格かどうかわからない(80年代まではそれなりに文科省(当時文部省)とやりとりができた)、②検討結果全てが修正しなければならない対象(80年代までは、修正必須の「修正意見」と、修正が努力に委ねられる「改善意見」との2種類が提示された)、といった理由により、検定不合格になれば大損を出してしまうので、教科書会社が検定に従わざるを得ない従属構造になっている。

また、検定意見を伝えてもらい質疑応答をする時間が1社わずか2時間であること、検定意見への反論が形式上可能ではあるものの、①期間が35日間と短すぎる、②反論の妥当性を判断するのが検定意見を提示した側そのものであること、といった理由で、この方法はほとんど実効性がないそうだ。

今回沖縄戦の検定が問題化してから、「検定調査審議会」の議事録を公開とすべきだとの意見がある。なぜなら、審議会にかけられるたたき台となる「調査意見書」が、まったく沖縄戦箇所について審議されずスルーしてしまったことが明らかになっているからだ。しかし、このプロセスを聴いて、審議会の前段階、すなわち現場の先生方(覆面)の意見などを含め文科省内で「調査意見書」を作り上げる段階こそを透明化すべきではないかと思った。さまざまな意見・論点やその根拠を整理し、それぞれに対してなぜ「調査意見書」にまで盛り込んだのかを記載し、公開すべきではないかということである(パブコメ結果のイメージ)。

実際に、根拠として使われた資料のひとつ、林博史『沖縄戦と民衆』については、著者本人が「文脈を無視して1箇所だけを悪用された」と反論している(→リンク)。

いまは、来年度から用いるための教科書であり、印刷をしなければならないので、時間がない状況にある。検定の「撤回」こそが必要だが、時間との兼ね合いで、「訂正申請」による対応が現実的だということだ。しかし、それでは、「撤回」という実績が残らないことや、今度は文科省ではなく「妥協」した教科書会社や執筆者が糾弾されるだろうことから、「検定」前以上の水準にまで「訂正」する必要があるだろうということだ。

実際、今日(2007/10/28)の「沖縄タイムス」や、「東京新聞」などで報じているが、記述削除の経緯までを教科書に追加しようという執筆者があらわれている。

ところで、「大江・岩波沖縄戦裁判」では、直接の軍命を含め、さまざまな証言が次々に出てきているようだ。『けーし風』では、岡本厚氏(『世界』編集長)は、このような存在を、グラムシのいう「サバルタン」として表現している。もの言わぬ(言えなかった)人たちが、ひどい状況を看過できず出てきたというわけだ。


ベランダで、Novemberを待たずにCotton Flowerが姿を見せた