Sightsong

自縄自縛日記

上原成信・編著『那覇軍港に沈んだふるさと』

2010-02-24 23:29:45 | 沖縄

上原成信・編著『那覇軍港に沈んだふるさと』(『那覇軍港に沈んだふるさと』刊行委員会、発売元・高文研)

編著者の上原成信氏とは、『けーし風』読者会でせいぜい年に何回か接する程度である(しかもそのたびに初対面のような顔をされてしまう)。そこでも、宴席でも、沖縄・一坪反戦地主関東ブロックの開く会合でも、発言が骨ばっていて、飄々としていて、ひたすら愉快痛快なのだ。その「骨」のカルシウムや骨髄がどのように形成されてきたか、垣間見ることができる本である。

昔の那覇の様子は面白い(奥武山あたりは島だった)。那覇での幼年期、戦争の疎開を経て、氏は電電公社(現・NTT)に入社し、組合運動に関わる。そして沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの結成。なるほど、こうした経緯だったのか。

反戦のこと、沖縄のことについて、何ら難しいことばを使っていない。正直な考えを示し、そして骨ばっている。特に、2001年の「9・11」直後に『一坪反戦通信』に寄せた文章などには感服してしまう。あれから10年近くが経った今でこそ、多くの人がさまざまな言説を取り入れ、咀嚼して、あるいは剽窃して、もっともらしいことを言うことができるかもしれないけれど。

自分に信念があるなら、他人には他人の信念がある。自分だけが立派な信念を持っているとのうぬぼれは許せない。それではブッシュ大統領と同じだ。アメリカの大統領はいま「アメリカの戦争政策を支持するか、テロリストを擁護するのか」と世界中に踏み絵を踏ませ、アメリカを支持しなければテロの同調者として断罪しようとしている。筆者はどちらにも与しない。テロを非難するとともに、自分たちだけが文化であり、善であるというアメリカの独善も非難する。」(『一坪反戦通信』2001年9月28日)

大きな骨は他にもある。基地経済依存を脱却するためには、「貧乏になってもいいから言いたいことを言うという覚悟が必要だ」と、本書で何度も言い放っているのだ(この場合、「主張」とは違うのかな)。

『琉球新報』の書評(新崎盛暉、2010年1月17日)には、のっけから「さまざまな要請・連帯行動のために上京したことのある平和運動関係者で上原成信の名前を知らない人はいないだろう」とある。短い本だが、とても貴重な話を聞かせていただいたという印象だ。