Sightsong

自縄自縛日記

松本清張『ゼロの焦点』と犬童一心『ゼロの焦点』

2010-02-22 00:48:37 | アート・映画

飛行機内で観た、犬童一心『ゼロの焦点』(2009年)が思いのほか面白かったので、松本清張の原作(1959年)も読む。清張の語りは、賽の河原で石の山がじりじりと組み上げられていくようで、寒く、怖く、重い。一方、不思議な映画『メゾン・ド・ヒミコ』(2005年)(>>記事)を撮った犬童一心の手腕か、映画は面倒な設定をうまく置き換えて、コンパクトにまとめられている。しかし、この年月と情念の重さは、短い映画には向いていないのではないかと思ってしまう。

両者を比べてみて、映画のほうにこそあった優れた点。主人公・広末涼子の早々に死んでしまう夫の「現地妻」とでも言うべき女性・木村多江の人間味と弱さを見せたこと。木村多江と同様、敗戦直後に「パンパン」であった女性・中谷美紀の上流社会での活躍を、女性の社会進出に尽力する様子として描いていること。「パンパン」であったことを公衆の面前で暴かれ、内部から崩壊する中谷美紀の演技。おぞましい場面のスペクタクル。

そして、映画で失敗しているのは、広末涼子だ、というより、その使い方である。「あなたは私の夢を奪った」と月並みな台詞を吐いて中谷美紀をビンタする。すべてが終わったあと、実家の庭先で少女趣味のような白いハイソックスを履いて、吹っ切れたように明るくしている。これではモヤモヤした重さが吹き飛んでしまうではないか。