Sightsong

自縄自縛日記

クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」

2010-02-16 02:18:35 | ヨーロッパ

パリで時間が出来たので、グラン・パレ(1900年パリ万博の会場)で公開されているクリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーションを観るために足を運んだ。「MONUMENTA」というアート・イベントを、今年、ボルタンスキーが担ったのである。なお、2007年にはアンゼルム・キーファーが、2008年にはリチャード・セラが手がけたそうである。

「MONUMENTA 2010」のタイトルは、「Personnes」と題されていた。英語で言えば「people」、「nobodies」を意味するという。しかし、実際には、そこから想起される匿名性とはズレがあり、ひとりひとりの固有性が群れとなっているイメージに近いものだった。

会場に入ると、扉の向こうには壁、そして地鳴りのような音。壁の材料は金属の箱であり、これまでのボルタンスキー作品でもしばしばみられている。例えば、「死んだスイス人の資料」(東京都現代美術館所蔵、2000年)では、やはり金属箱で組み上げられた壁、そして箱のひとつひとつに死者の顔写真が貼り付けられている。それはモニュメントであり、ホロコーストによる死者のための祭壇であった。

「Personnes」の入口の壁は、そのような死者を弔う祭壇ではない。壁を迂回すると、巨大な空間の床には、何十もの矩形が仕切られており、それぞれに古着が敷き詰められていた。矩形の4隅には鉄骨の柱が立てられており、そこにスピーカーが設置されていた。地鳴りの源はこれだ。

スピーカーからは、地鳴りそのものが発せられているわけではなかった。人間の心臓の鼓動音だ。それが何十もの音群となり、巨大な空間を震わせているのだった。

そして、大きな古着の山が聳えている。山の上では、クレーンからぶら下げられた金属のクローが上下に動いている。山頂の古着を掴んでは持ち上げ、放す。古着はひらひらと山に落下する。クレーンのキリキリキリという甲高い音が、地鳴りの低音に残酷に参加している。

これまでのボルタンスキーを代表するようなモニュメントとは大きく異なり、生と死の空間が、巨大なグラン・パレの内部全体に生まれていたのだった。これは恐怖である。

会場でプレス書とDVD『Les Vies Possibles De Christian Boltanski』(H.P. Schwerfel、2010年)を入手した。帰国してプレスの解説を読み、DVDに収録されているボルタンスキーのインタビューと「Personnes」設営状況の映像を観た。

やはりこれは死のイメージであった。1944年にユダヤ人として生まれたボルタンスキーは、死の風景と口承に取り囲まれて育っている。父親は、床を二重にして、その間に横たわるようにして隠れていたという。

曰く、ダンテ的な地獄の入口を通過して、これを観る者は、匂いや汚れを含めた生命の痕跡を強烈に感じさせる古着、それも大量の古着を目の当りにして、死へと向う此岸と彼岸との間を予感することとなる。空間全体も、金属のクローも、ホロコーストの大量虐殺の二重写しを想起させられないわけにはいかない。

ボルタンスキーのインタビューでは、自らを「ミニマリズム」の作家だと位置付け、金属の壁を「ドナルド・ジャッドのような」と表現している。しかし、これには違和感がある(もっとも、作家自身の持つイメージは核心にあるとは限らない)。彼の従来のモニュメント作品は、辛うじて「ミニマリズム」だったのかもしれないが・・・。

プレス所収の論文『Big Mortal Toy (Fragments)』(Georges Didi-Huberman)には、このようにある。ボルタンスキーの作品において、小さな存在は(死者の白黒写真であり、ここでは古着だろう)、いかに些細でナイーヴであっても、ヴァルター・ベンヤミンのいうアウラ―――宗教的で、恐るべき―――があるのだ、と。そして、ボルタンスキーによる次の発言を引用している。

We ourselves are made only by the dead; we are jigsaws made up of the dead.

すなわち、モニュメントも含め、ミニマルな生と死の無数の痕跡が、ジグソーのピースとなり、この世界を作り上げているのだと考えることができるのだろう。

それにしても、このようなインスタレーションの形でホロコーストの記憶を再構築し、新たに現代の人間に想起させ続けるボルタンスキーの手法には、いろいろと考えさせられるものがある。港千尋『映像論』(NHK出版、1998年)は、ドキュメンタリー映画『ショアー』(クロード・ランズマン)を取り上げ、実際に肉体的に起きた「記憶の抹消」を顧みない記録映像の使用を「特権的な態度」だとしている。『ショアー』は記録映像を使わず、かつて起きたことの想起という営みによって作られているのである。

一方、スラヴォイ・ジジェク『ロベスピエール/毛沢東 革命とテロル』(河出文庫、2008年)においては、アドルノの言葉「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」を匡そうとしている。アウシュヴィッツ以降に不可能になったのは詩ではなく、散文だという指摘だ。

アウシュヴィッツで起ったことについての説得的な虚構的描写を制作するよりも、アウシュヴィッツについてのドキュメンタリー作品を観るほうが楽なのは、なぜだろう? (略) 
ドキュメンタリーの写実主義は、したがって、虚構に耐えることができなくなった人びとのためにある。その重さ、それはあらゆる物語的虚構で作用しているファンタジーの過剰である。収容所という耐え難い環境を詩〔創造〕的に喚起することが正鵠を射ているのだ。それに失敗したのは、写実主義的散文のほうである。

さて、このボルタンスキーによる「Personnes」が「特権的」か。答えは難しいだろう。しかし、ボルタンスキーが異常な難死を自らに近いものとして生まれ育ったことを差し引いても、大量虐殺の恐怖を極めて直接的なものとして提示していることは間違いない。

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