Sightsong

自縄自縛日記

『クール・ランニング』、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『カミング・ホーム・ジャマイカ』

2010-02-28 23:31:51 | アート・映画

ツマが『クール・ランニング』(ジョン・タートルトーブ、1993年)のパンフも出してきたので、ちょうど五輪だしと安易に思い、録画しておいたのを観た。

ジャマイカの陸上選手たちがボブスレーのチームを作り、1988年のカルガリー五輪に出場するという話。能天気な映画で愉しい。はじめて滑走した際に選手のひとりが目をひん剥いて「I hate you~~~!!!!!」などと絶叫している。本当に怖いんだろうな。ジェットコースターひとつ乗れない私には、生まれ変わっても無理である。

調べると実話のようで、のちにそのひとりはカナダ国籍を取得し、トリノ五輪でメダルまで取ったという。

パンフには、コーチ役のジョン・キャンディが94年に亡くなったときの記事がはさんであった。43歳、心不全。とてもそうは見えないが、撮影時、彼は40歳くらいだったわけだ。


『Daily Yomiuri』1994年3月6日

ジャマイカ+異文化という点で思い出したのは、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『カミング・ホーム・ジャマイカ』(Atlantic、1995-96年ジャマイカで録音)だ。ジョセフ・ジャーマンは脱退したものの、最晩年のレスター・ボウイとマラカイ・フェイヴァース、さらにロスコー・ミッチェル、ドン・モイエという素晴らしい面子。

演奏は賑々しく愉快だ。レゲエ調の曲もある。随分と聴いた。しかし、かつてのAECの演奏に感じられたような、圧倒的な緊張感やビリビリとした冗談が皆無であることには、今さらながら驚かされる。ふたりのメンバーの死によって終焉したこのグループは、実はその前から終わろうとしていたのかな、と考えてみたりする。

97年頃訪れたスリランカ南部の町で、同い年くらいの20代の男たちが、ボブ・マーリーって良いよなと嬉しそうに話していた。やっぱりレゲエは熱帯のものかな。


アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』

2010-02-28 08:00:00 | 中東・アフリカ

いままで見逃していたイラン映画、アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』(1997年)を観る。

物語は単純である。自殺願望のある男が、 自動車でうろうろし、自分が睡眠薬で死んだあとの証人を探す。男は大金をやるから、翌朝自分が死んでいるかどうか確認して、土を20回かけてくれと妙なお願いをする。当然、皆に煙たがられたり、不気味がられたりする。ところが、何人目かに依頼した老人は、自らの体験談を語り始める。男の気持ちは揺らぐ。

見所は、運転席と助手席との間の、お互いにカメラを見る小津調の視線。引いてミニカーのような自動車を見つめる神の視線。そして極め付けはラストシーンだろう。男の運命を示唆するも語り尽くさないまま、観る者も、出演者も、突然こちら側の世界にジャンプさせられる。しばらく何が起きたのかわからなかった。その前の作品群でも、映画という権力を脱構築する人だったが、やはりキアロスタミはどこかに抜け出している。

観ていると、ツマが何だ持ってるぞと言ってパンフレットを探し出してきた。読んで仰天。俳優は素人だというだけではない(前の作品でも素人を起用している)。主人公の男は、渋滞時に隣の車に乗っていて、キアロスタミが追いかけて映画に出ないかと声をかけると、つまらなそうな顔で了承したため、その場で主役に決定。不気味になって主人公から逃げる兵士の役は、キアロスタミに騙されて本当に逃げている(もっとも、追いかけて映画だということを説明し、謝礼を払っている)。味のある老人は、突然撮影現場に現れて、毎日出演し、終わると音信不通になりどこの誰かもわからない。ぶち切れているのかキアロスタミ。

●参照
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』


本間健彦『高田渡と父・豊の「生活の柄」』、NHKの高田渡

2010-02-28 00:00:17 | ポップス

本間健彦『高田渡と父・豊の「生活の柄」』(社会評論社、2009年)を読む。表紙の絵はシバ。タイトルからは、渡と父の触れ合いのような印象を抱くが、実際には、解説で中川五郎が書いているように、父・豊のことを書いた本である。

高田豊のことは、高田渡の自伝『バーボン・ストリート・ブルース』においても触れられており、渡が父を慕っていたことが想像できるのだが、それは本書を読んでさらによくわかる。そして、渡は豊であったのだなとさえ、思われてくるのだ。

豪邸の名家に生まれ、没落し、詩人を志し、引越しを繰り返して極貧の暮らしへ。それでも息子たちと一緒に生活を続けた。それは実に人間臭くて、地位として認められた「詩人」ではなくても、詩人そのものであった。

著者もその魅力に惹きつけられていたようだ。同時代の多くの日本人と同様に堕ちたが、そこから経済成長を担う集団に属することはできなかった、堕ちて、「人間の道を模索し続けた」者だからこそ肩入れするのだ、と。

読んでいるとさまざまな発見がある。豊は、佐藤春夫の弟子だった。そして、のちに渡が多く唄った詩人、山之口獏も同時期の弟子だった。豊と獏の交流を示す記録は見つからなかったというが、やはり著者は、渡の獏に対する共感には父の存在があったのだと想像している。

あらためて高田渡という存在が、亡くなってからも、大事なものに思えてきた。ライヴを観ているときは、ビールをだらだら垂らしたりして、ああ仕方ないなと苦笑していたのだったが、人はいつまでも元気に生きているわけではない。


高田渡、吉祥寺 Pentax LX、A135mm/f2.8、Provia 400F

ちょうどこの2月から、NHKの『知る楽』という番組で、高田渡のことを4回シリーズとしてとりあげていた。全部録画して2回ずつ観たが、やはりNHKだというべきか、いちいち表現や演出が鼻についてしまう。本人が「民衆」とか「庶民」と言うのはいいが、NHKが言うとただの嫌味な「上から目線」だ。高田渡は有名になっても吉祥寺の近所のいせや(焼き鳥屋)や八百屋に通っていました、とは何か。本来は有名な人は行くべきところではないとでも言いたいのだろうか。バブルが崩壊してまた高田渡を求める声が云々、と時代に結びつけたがることなどは牽強付会そのものだ。もっとも、「自衛隊に入ろう」をNHKが流す時点で、既に昔話に押し込めてしまっているのかもしれない。

それでも高田渡の映像は感傷的に観てしまう。最後のライヴとなった北海道での記録は渋谷毅、片山広明との共演で、最後の曲「生活の柄」のあと、片山は心配そうに高田渡のほうを振り返る。(そういえば、浅川マキのラストライヴも渋谷毅だった。) こちらも言葉を失う。

なぎら健壱の語りも良い。「仕事探し」の歌詞は「乗るんだよ 電車によ」だが、突然、「盗んだよ 自転車をよ」と唄いはじめたりするのだ(爆笑)。NHKだって。


那覇・栄町市場の居酒屋「生活の柄」(2009年7月)

●参照
『週刊金曜日』の高田渡特集
高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』
「生活の柄」を国歌にしよう
山之口獏の石碑