デュッセルドルフの中央駅(ハウプトバーンホフ)の中にある書店で、荷物になるのに、ポール・オースターの最新作『Invisible』(2009年)を買った。書店内は当然ながらドイツ語の本ばかりで(もう数字の読み方しか覚えていない)、英語の本は外国書コーナーにあった。土地柄か、日本人の母子が本を物色していた。
長いフライト時間に読もうと思っていたが、映画を観る以外は疲れ果てて爆睡していて、半分も読めなかった。そんなわけで、ようやくのまともな休日に読み終えた。
何故か、読む前は「透明人間の話」だろうと勝手に思い込んでいた。というからには勘違いだったのだが、『ミスター・ヴァーティゴ』では空を飛ぶ男を主人公にしているから、さほど馬鹿げた思い込みというわけでもないだろう(笑)。
それでは、何が「Invisible」か。ストーリーの大半は、間もなく死を迎える男が書いた、若い頃の自分に関する手記である。20歳の頃の異常な体験を綴った手記、それは40年以上を経て、その頃のルームメイトに送りつけられる。読者は、主人公がこの世界から消滅しつつあることを知りながら、その声に耳を傾けることになる。また、主人公は、幼い頃に亡くなった弟に対する罪の意識を抱え、<不在>の弟とともに生きている。
それだけではない。初老のルームメイトは、手記の足跡を追っていくうちに、かつて20歳の主人公に一方的に恋をした女性のもとに辿りつく。そして、女性は中年となり、主人公の人生を決定的に狂わせた男―――いまは大西洋の孤島に住んでいる―――に会いに行く。本作最後の奇妙なプロットである。その話は、やはり女性の日記のコピーという<不在>の形で語られるのだ。
本作全体には、オースター世界としか言いようのない雰囲気と設定が横溢している。『鍵のかかった部屋』にも見られた、若くイノセントな青年とその後の破滅的な人生。『偶然の音楽』にもみられた、偶然というには呪われすぎている、他人の死との交錯。『リヴァイアサン』でもみられた、「アメリカ」なるものへの近親憎悪。面白く読みながらも、やはり寂しく、そしてマンネリ感を覚えてしまう。目新しいものといえば、途中で性描写が延々と続くことだが、ちょっとこれは外で読むには恥ずかしい。
しかし、最後の場面(女性の日記のコピー)に至り、あまりにも奇妙で、その奇妙さや<不在>の残響音が耳の中にわんわんと残るのには驚かされる。<不在>であるからこその時と場所を跨ったリアリティ。これも傑作なのだろう。
●参照
○ポール・オースター『Travels in the Scriptorium』
○ポール・オースターの『ガラスの街』新訳