Sightsong

自縄自縛日記

マーティン・スコセッシ『レイジング・ブル』

2012-12-15 22:46:06 | スポーツ

マーティン・スコセッシ『レイジング・ブル』(1980年)。中古DVDを500円で入手した。

元ボクシング世界ミドル級チャンピオン、ジェイク・ラモッタの映画化である。時代は主に1940年代から50年代。ラモッタは「怒れる牡牛(レイジング・ブル)」の渾名の通り、ワイルドなスタイルで闘った。伝説的なシュガー・レイ・ロビンソンとのファイトも再現されている。

映画はドキュメンタリー風のつくりであり、ラモッタの人間的な側面や弱さを押しだしたものだった。NYの顔役たちとの付き合い、嫉妬、DV、離婚、ショービジネス。

さすがのスコセッシ、完成度が高く充分に面白いのではあるが、どうも巧みすぎる似非ドキュメンタリーが気にいらない。破綻のない予定調和のドキュメンタリー「風」なんて何の意味があったのか。

当時のカメラはやはりスピードグラフィックなどの大判がほとんどだ。ウォーレンサックのラプター127mmF4.5というレンズがアップになる場面がある。中途半端な焦点距離なのではなく、単に5インチというだけである。調べてみると、同スペックで、戦後レンズが足りなかったライカにLマウントレンズを供給したり、引き延ばし用レンズとして売ったりもしていたらしい。このような米国レンズもちょっと使ってみたいが、どんな感じだろう。

●参照
マーティン・スコセッシ『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』、ニコラス・ローグ+ドナルド・キャメル『パフォーマンス』
鈴木清順『百万弗を叩き出せ』、阪本順治『どついたるねん』(ボクシング映画)
勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』(ボクシング映画)


相倉久人『至高の日本ジャズ全史』

2012-12-15 13:32:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

相倉久人『至高の日本ジャズ全史』(集英社新書、2012年)を読む。

「全史」というタイトルを掲げてはいても、著者が語る時代は1970年のことまでだ。その間、著者は、日本のジャズと並走し、牽引し、刺戟し、そして評論する。

その反骨精神というのか、まさに楽器を持たないで演るジャズマンぶりは凄い。電車賃もないような状況で、である。平岡正明間章のようなアジテイターとも異なり、オーガナイザーという言葉にも収まらない感がある。この人によるジャズ評論とは、何かの権威化を行いそれに依拠するようなものではなく、ジャズマン本人ですら考えていないような意味を考えぬき、言語化するものであった。

著者は穐吉敏子を厳しく批判する。米国の一流どころで成功を収めるものの、それはジャズの本場のお墨付きを求めてのことであり、日本におけるジャズの追求に寄与しなかったからだ、と言いたいようだ。そのような形ではなく、日本において、土着化し、日本でしかできないジャズを打ち出す革命的音楽家たち、たとえば山下洋輔のことを高く評価する。

いずれにしてもひとつの同時代史である。生々しく面白い。あっという間に読んでしまった。こんな時代のジャズ勃興を目撃したかったな。

●参照 ジャズ評論
田中啓文『聴いたら危険!ジャズ入門』
横井一江『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『ブルース・ピープル』
藤岡靖洋『コルトレーン』
平岡正明『ジャズ・フィーリング』に触発されてレスター・ヤングを聴く
ローラン・ド・ウィルド『セロニアス・モンク』
中央線ジャズ
『A POWER STRONGER THAN ITSELF』を読む(1)


旨い札幌

2012-12-15 09:50:41 | 北海道

狸小路近く、「GARAKU」でスープカレー初体験。というのも、仕事前だとワイシャツやネクタイにカレーが飛びそうで嫌だったからなのだが、別に、気を付ければいいだけの話である。「やさい15品目大地の恵み」、980円。

夜、17時の開店早々に「だるま」に突入。雪が積もっているなか、既に7人くらいが並んで待っていた。久しぶりにつららを見た。

ここのジンギスカンは生マトンで、あっさりとしていてペロリ。ひとり客も居て良い感じ。


室謙二『非アメリカを生きる』

2012-12-15 09:07:20 | 北米

札幌への行き帰りに、室謙二『非アメリカを生きる ―<複数文化>の国で』(岩波新書、2012年)を読む。

20世紀初頭にひょっこりと現れたネイティブアメリカンの男。スペイン市民戦争に大義を抱いて参加した米国人やひとりだけの日本人。マイルス・デイヴィス。仏教を自らのものとしたジャック・ケルアックゲイリー・スナイダーなどのビートニクス。米国に生きるユダヤ人。

その誰もが、<非アメリカ>的でありながら、<アメリカ>を形成する。

フランコ将軍の軍部に蹂躙されつつあったスペインへは、他の西欧諸国も、米国も、市民の渡航を禁じた。いかにファシズムが台頭しようとも、共産主義が力をつけてくるのを嫌ったためだった。その状況下で、イデオロギー的な知識や戦争のノウハウが皆無でも、正義と理想に駆り立てられて密航した人々がいた。このことは、<個>を信じて再び声をあげるいまの状況に似ているのかもしれない。

マイルス・デイヴィスは、自らが黒人であることを強烈に主張しながら、民族や音楽のジャンルの壁を壊し続けた。

ビートニクスたちが解釈し、実践した<禅>は、真似でも紛い物でもなかった。著者はこう言う。日本に生れて体制や伝統に組み込まれている仏教を近くに感じていたからといって、その者が真の仏教の中に在るということにはならない。日本の仏教は、戦争に加担さえしていた。米国の仏教は、デモクラシーの仏教である。このような伝播こそ、仏教の伝統である―――と。真っ当な主張である。

面白い指摘がある。2011年7月の調査によると、米国では、1歳未満の幼児における非白人(ヒスパニック、黒人、アジア人など)の比率が、はじめて白人の比率を超えたのだという。将来、確実に米国は、マジョリティのない複数民族国家となる。

政治やネイションの言説に絡め取られるのではなく、さまざまな声を聴きとろうということだ。

●参照
尾崎哲夫『英単語500でわかる現代アメリカ』
吉見俊哉『親米と反米』
成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』を読む
スペイン市民戦争がいまにつながる
ギレルモ・デル・トロ『パンズ・ラビリンス』(スペイン市民戦争)
マイルス・デイヴィスの1964年日本ライヴと魔人