Sightsong

自縄自縛日記

侯孝賢『風櫃の少年』

2012-12-30 22:21:41 | 中国・台湾

侯孝賢『風櫃の少年』(1983年)を観る。

台湾の澎湖島に住む少年たち。毎日することもなく、ふらふらしては喧嘩をしているような生活。嫌気がさして、友達4人で、台湾島の高雄へと旅立つ。工場に職を得るが、生活態度はさほど変わらない。同じアパートに住む女の子と仲良くなり、父が亡くなった時も郷里に一緒に帰るが、歓迎してはもらえない。そして友達は徴兵され、女の子は仕事を求めて台北へと旅立つ。

少年は周囲の世界を受けとめ、適応しようとするだけで精いっぱいである(そして、成功などしない)。無力感に押しつぶされそうになり、鬱屈して、何かに怒りのはけ口を求める。

自分の世界は、凶悪なものにも懐かしいものにもなりうる。侯孝賢がじっくりと撮る風景は、そのような世界となっている。不良少年だけでない、誰もが求めてもがいたに違いない関係性なのだと感じた。

●参照 侯孝賢
『冬々の夏休み』(1984年)
『非情城市』(1989年)
『戯夢人生』(1993年)
『ミレニアム・マンボ』(2001年)
『珈琲時光』(2003年)
『レッド・バルーン』(2007年)


ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』

2012-12-30 14:18:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

何しろ『Ascension』である。とはいっても、最近また特定方面で盛り上がっているらしい「アセンション」ではない(知らないが)。ジョン・コルトレーンの永遠の問題作のことである。

ロヴァ・サクソフォン・カルテットが、「Rova's 1995」名義で、『John Coltrane's Ascension』(Black Saint、1995年)という作品を出している。

盤の存在を知ったのはつい最近、中古CD店の棚で発見してからのことだ。これを演るのか!

Jon Raskin, Steve Adams (as)
Larry Ochs, Bruce Ackley, Glenn Spearman (ts)
Dave Douglas, Raphe Malik (tp)
George Cremaschi, Lisle Ellis (b)
Chris Brown (p)
Donald Robinson (ds)

即興集団にはひとつのテーマが与えられたのみで、それをユニゾンでもなく吹いては、ソロイストに演奏を渡していく。その繰り返しである。

管のソロの順番は、スペアマン(as)→マリク(tp)→アダムス(as)→アックリー(ts)→オクス(ts)→ダグラス(tp)→ラスキン(as)。

聴くとやはり興奮してしまうのだが、なかでもラリー・オクスの潰れたような音色のテナーサックスが良いと思った。

ところで、デイヴ・ダグラスのトランペットは抑制が効きすぎていて、さほど好みではない。以前に随分と持て囃されて、それなりに聴いてもいたのだが、何度かジョン・ゾーンのクレズマー音楽のグループ・MASADAでの演奏を目の当たりにして、少し失望した。それ以来、ダグラスの作品をほとんど聴いていない。この思い込みを変えてくれるような演奏に接したいと思ってはいるのだが。

オリジナルは、言うまでもなく、ジョン・コルトレーン『Ascension』(Impulse!、1965年)である。


昔、エルヴィン・ジョーンズにサインをいただいた

John Coltrane, Pharoah Sanders, Archie Shepp (ts)
Marion Brown, John Tchicai (as)
Freddie Hubbard, Dewey Johnson (tp) 
McCoy Tyner (p)
Art Davis, Jimmy Garrison (b)
Elvin Jones (ds)

管のソロは、ジョン・コルトレーン(ts)→デューイ・ジョンソン(tp)→ファラオ・サンダース(ts)→フレディ・ハバード(tp)→アーチー・シェップ(ts)→ジョン・チカイ(as)→マリオン・ブラウン(as)、となっている。実際のところ、世に出たヴァージョンによって違いがあるらしい。

さすがというのか、それぞれ個性大爆発である。ファラオ・サンダースの地響きがするようなテナーも、一際モダンなフレディ・ハバードも、見た通りの精悍なアルトを吹くマリオン・ブラウンも良い。マッコイ・タイナーは、何だか終わりで自棄になったようなピアノソロを弾くが、実際にミスマッチで面白い。そして全体を締めるエルヴィン・ジョーンズのドラムス。

コルトレーンのサックスの音色が苦手な自分だが、これは数少ない好きな盤である。

しかしふと思ったのだが、この曲、もっと多くの演奏があってもいいのではないか。野球のように、集団即興と個人の見せ場が順番に来るのだから、参加者にとっては腕の見せ所に違いない。

ところで、藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』によれば、このセッションに、怪人ジュゼッピ・ローガンが参加した可能性もあったということで、そうなればさらに妖しさ爆発になったはずだ。(いや、まだ遅くない。ESPディスクなんかがそのつもりになってくれれば。)

●参照
藤岡靖洋『コルトレーン』、ジョン・コルトレーン『Ascension』
ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ(コルトレーンとの『Interstellar Space』)


武満徹『波の盆』

2012-12-30 10:49:55 | ポップス

気が向いて、武満徹『波の盆』(RASA、1983年)というドラマのサントラ集を聴いてみた。

指揮/岩城宏之
演奏/東京コンサーツ

何とも気持ちのいいアンサンブルである。このテレビドラマは、ハワイを舞台にしたものであったらしく、「パール・ハーバー」、「ヒロシマ」といった曲も含まれる(もっとも、これらの曲は気持ち良いというより不穏なイメージを出している)。

武満徹の映画音楽で好きなものは『他人の顔』『夏の妹』だが、これは、南国という点で沖縄と共通するのか、『夏の妹』を想起させる。

言ってみれば「甘酸っぱい」なのか、「ほろ苦い」なのか、しかしそれも大きな力の中に位置づけられるような。つまり、ここにある感覚は、どちらかと言うと「諦念」であり、諦めて思考停止したところに、癒しだとか観光だとかいったものが成立するのではないかな、と思ってしまった。大島渚が『夏の妹』において描いた世界も、そのような沖縄であったのかもしれない。

「日本」とは「諦め」だ。

参照
大島渚『夏の妹』


高野孟『沖縄に海兵隊はいらない!』

2012-12-30 10:06:41 | 沖縄

高野孟『沖縄に海兵隊はいらない!』(モナド新書、2012年)を読む。

著者は民主党立ち上げ時のブレーンのひとりであり、旧来の日米安保の枠組から新時代の国際関係へと脱却しようとする思いが強く押し出されている。

これを読むと、民主党が無残にもヴィジョンを失い、鳩山元首相に象徴される基地撤去の方向性を自ら棄て去り、その結果存在価値さえ失っていることが、情けなくてならなくなる。

著者の分析と主張はきわめて鋭く明快である。もっとも、沖縄の基地問題をずっと見ている人にとっては、その多くは半ば常識であるに違いないものだ。

まさにその情報と認識が共有されていないことが問題なのであり、あるいは共有しようとしないことや、論理的・戦略的に詰めようとしない「東京」の政治や大メディアの知的退行にこそ問題の根っこがありそうに思われる。

いくつかの論点がある。

●戦争の方法や国際関係が大きく様変わりし、海兵隊そのものの存在意義が希薄になっている。
●沖縄に基地を置くことが地政学上重要だという、押し付けられた「常識」は根拠をもたない。オスプレイは航続距離が伸びたとはいえ輸送機に過ぎず、さらに長距離には、佐世保に停泊している空母によって移動することになる。そして司令部と本体のグアム移転がある。逆に分散していることで非効率になっている。
(あれだけもっともらしく沖縄の地政学的重要性を説いていた森本敏防衛大臣(>> リンク)が、ついに、それがウソであったと述べたばかりである。)
●北朝鮮や中国や台湾での有事を想定するというが、そのような事態が仮にあるとして、そのときに必要な機能は海兵隊ではない。
●もはや、米軍基地縮小に伴い日本の軍備増強が必要というトレードオフは成り立たない。
辺野古の新基地を米海兵隊以上に欲しがっているのは陸上自衛隊である。
グアム移転費用カットという米議会の動きは、日本で報道されているような「脅し」ではなく、その逆である。米議会では、すでに沖縄の海兵隊不要論などさまざまに現実的な案が出されている。
●今では、「沖縄+米議会」vs.「日米両政府」(米国の安保既得権益層、米国に出て行ってもらっては困る日本の既得権益層)と視ると状況が明快になる。

小沢一郎と著者の国連主義にはちょっと首を傾げてしまう点もあるが、それを含めて、良書である。ぜひご一読を。

●参照
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
宮城康博・屋良朝博『普天間を封鎖した4日間』
由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
久江雅彦『日本の国防』
久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
『現代思想』の「日米軍事同盟」特集
終戦の日に、『基地815』
『基地はいらない、どこにも』
知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会(オスプレイ阻止)
オスプレイの危険性(2)
オスプレイの危険性
6.15沖縄意見広告運動報告集会
オスプレイの模型
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
2010年12月のシンポジウム「沖縄は、どこへ向かうのか」
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
二度目の辺野古
2010年8月、高江
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
高江・辺野古訪問記(1) 高江
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
ヘリパッドいらない東京集会
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
「やんばるの森を守ろう!米軍ヘリパッド建設を止めよう!!」集会