内澤旬子『世界屠畜紀行』(角川文庫、原著2007年)を読む。
奇書である。しかし、なぜ奇書なのかと言えば、ほとんどの人が視ようとしない「屠畜」あるいは「」をマジマジと観察し、「なぜ肉屋は差別の対象となるのか」という点を、正面から問いかけるからである。
著者は、身銭を切って、世界中の屠畜場を訪ね、具体的に、家畜から肉が出来ていくプロセスや、そこで働く人たちのライフスタイル、意識といったものを掘り出し続ける。それらは国や地域によって驚くほど異なっている。差別も、あったりなかったり、隠れていたり。
日本においては、差別と歴史とが密接に関連している。しかし、本書を読んでいると、現在は、「視えない構造」による歪みをこそ問題とすべきではないのかと思い知らされる。「肉以前」について、向こう側として判断中止としているからである。
●参照
○平川宗隆『沖縄でなぜヤギが愛されるのか』(本書にも平川氏が登場)
○森達也『東京番外地』、『A』
○『差別と環境問題の社会学』 受益者と受苦者とを隔てるもの