Sightsong

自縄自縛日記

篠田正浩『はなれ瞽女おりん』

2014-04-27 23:42:49 | 東北・中部

篠田正浩『はなれ瞽女おりん』(1977年)を観る。

瞽女(ごぜ)とは盲目の女旅芸人。そして、はなれ瞽女とは、瞽女に禁じられている男との関係を持ってしまったために、仲間から追放され、ひとりで旅をしなければならない瞽女。

主人公の瞽女・おりん(岩下志麻)は、目が見えないために、あまりにも酷な生活を強いられる。ある日から、おりんは、陸軍の脱走兵(原田芳雄)と心を通わせ、一緒に、柏崎や長岡で旅をすることになる。やがて陸軍の捜索の手がのび、男は捕らえられる。救いようのない物語である。

撮影は、名カメラマン・宮川一夫による。おりんが初潮を迎え、雪の上に赤い血を落とす、それが紅い花になる(誰かがつげ義春を読んでいたのだろうか?)。また、夕刻、しゃがむおりんの肩に、花びらが舞い落ちる。目を奪われる、さすがの名人芸だ。

●参照
橋本照嵩『瞽女』
篠田正浩『処刑の島』
篠田正浩『悪霊島』


『けーし風』読者の集い(23) 名護から吹く風

2014-04-27 09:55:48 | 沖縄

『けーし風』第82号(2014.4、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2014/4/26、明治大学)。参加者は10人、プラス、飲み会に2人。

本号の特集は「名護から吹く風」と題されている。今年(2014年)の1月に、名護市長選において、辺野古反対を掲げる稲嶺市長が再選された。それを受けて、地域の自治や自立のあり方、さらに11月に予定されている沖縄県知事選をにらんだものとなっている。

以下のような話題。

高江のヘリパッド問題。映画『標的の村』の上映が全国で草の根的に行われ、問題についての理解がじわじわと広がっていることを期待。もとより、辺野古とは対照的に全国放送では避けられてきたテーマでもあり、もっと知られなければならない。
○高江での座り込みに参加している目取間俊氏は、本号で、「時たま」やってきて「絵になる場面」を取りだす「メディアや写真家、ドキュメンタリー作家」に対して、また現場に来なかった「県内の大学教員をはじめとした「識者」の人たち」を批判している(p.51)。それは、この作家のスタイルでもあり、そのことによる役割も大きいのだが、「オール沖縄」としての運動を許さないものでもないか。
○このことは、今度の知事選において、翁長・那覇市長を含め、いかに運動を収斂させるべきかという論点に直結する。先日の東京都知事選において、「反原発」を掲げた2候補が票を集約できなかったことも思い出される。
やんばるの森については、世界自然遺産登録という考えが従前からある。それだけでなく、国立公園・国定公園や、ISOなどの利用が考えうるのではないか。
宮古島の「九条の碑」にペンキが塗られた事件(p.2)。宮古を含め、先島ではこれまで見られなかった動きである。2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件を潮目として、中国脅威論を語る者が増えてきたという。また、与那国島の自衛隊誘致は、もとより経済効果だけを期待してのものであった。しかし、それが進められた結果、同様の流れが生まれてきている。
○「軍隊は住民を守らず、軍隊自身を守る」という沖縄戦の経験は、歴史的記憶として残されてきた。しかし、この継承が十分でないことを、シビアにみるべきなのではないか。むしろ、忘却しようとする動きの方が大きいのではないか。
加藤直樹『九月、東京の路上で』では、関東大震災(1923年)直後に、朝鮮人・中国人だけでなく、沖縄人も虐殺の脅威にさらされた。このことを、山之口獏も「野宿」において書いている(『現代沖縄文学作品選』所収)。これも歴史の継承である。また、現在のヘイトスピーチに直結するものでもある。
○住民は、政策により厳しい立場に追い込まれ、さらに脅威やオカネで迫られると、諦めとともにその政策を受け容れてしまう。原発立地と同じ構造がある。
○その一方で、高橋哲哉『犠牲のシステム』前田哲男『フクシマと原発』などのように、沖縄と原発とを同列に論ずることへの批判が出てきている。(たとえば、冨山一郎『流着の思想』島袋純「辺野古新基地建設の是非」)。
○最近のアンケートでは、沖縄の首長の3割ほどが、仲井間知事の辺野古受け容れに賛成を示しているという。これは、「オール沖縄」としての「建白書」(2013年1月28日)(p.30)と矛盾するのではないか。首長はそこまで容易にスタンスを変更するものか。なお、「建白書」は政府において「請願書」ではなく「行政文書」として扱われ、2年で廃棄されるという。
○諦めや絶望に起因する「独立論」が伸びているという。このことは、新崎盛暉『沖縄現代史』およびその前の『沖縄戦後史』において、すでに見通しとして示されていた。
オスプレイは米軍機ゆえ、日本の航空法の対象外となっているが、自衛隊が購入する分については対象となるはずのものだ(前回の会で指摘)。しかし、その後確認したところ、これも対象外とされているのだという。
奄美は1953年末に日本に返還された(『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』)。このとき、沖縄との間には複雑な関係が生まれた。したがって、「オール沖縄」というときには、歴史的に自覚的でなければならない。

終了後に近所の「謝謝」で飲み会。奄美ご出身の方から、里国隆の話を聴くことができた。

●参照
これまでの『けーし風』読者の集い


山岡淳一郎『インフラの呪縛』

2014-04-27 08:45:04 | 環境・自然

山岡淳一郎『インフラの呪縛 ―公共事業はなぜ迷走するのか』(ちくま新書、2014年)を読む。

土建国家、公共事業の暴走。それが、これまでの日本を表現するためにしばしば使われてきた言葉である。

本書には、それを裏付けるように、さまざまな事例が紹介されている。佐久間ダム九頭竜ダム八ッ場ダムといった巨大ダムによる電力供給、治水・利水、環境破壊、地域破壊、不正。満州時代からの野望ともいえる高速道路の建設。本州四国連絡橋の誘致合戦。国鉄の肥大化。

インフラ整備の過程は、需要との整合性がはっきりせず、事業性や効率よりもはるかに政治的合意のほうが重視され、それだからこそ、非民主的で、不透明であった(である)。

しかし、その一方で、本書は、公共事業への極端な批判を行き過ぎだとする。そして、必要なことは、中長期的なインフラの姿というヴィジョンを掲げて国土整備し、産業や経済もそれによって活性化させることである、と。わたしも、そのことには賛成である。

それでは、どのようにインフラ整備の過程に関わる問題を解消するのか。それなしに「新たなヴィジョン」を示すだけでは、従来の問題構造が解消されるわけはない。(そうではないのだが、)本書のメッセージは、現実を必要悪として是認するように読まれてしまうのではないか。

●参照
熊井啓『黒部の太陽』
姫野雅義『第十堰日誌』 吉野川可動堰阻止の記録
『八ッ場 長すぎる翻弄』
八ッ場ダムのオカネ(2) 『SPA!』の特集
八ッ場ダムのオカネ
ダムの映像(2) 黒部ダム
ダムの映像(1) 佐久間ダム、宮ヶ瀬ダム
天野礼子『ダムと日本』とダム萌え写真集