Sightsong

自縄自縛日記

「描かれたチャイナドレス」展

2014-04-29 23:54:30 | 中国・台湾

ブリジストン美術館で、「描かれたチャイナドレス ―藤島武二から梅原龍三郎まで」展を観る。

本展には、大正から昭和にかけて、日本人によって描かれたチャイナドレスの絵が集められている。

明らかに、画家の「中国趣味」ブームの結果であり、そのことは、小出楢重が「支那服を描きたい、支那服を描きたい」と熱望し、それに応えるため、周囲の者が中国のモデルを連れてきたという逸話でもわかる(「周秋蘭立像」)。モデルは中国人ばかりではなく、チャイナドレスを着せた日本人のこともあった。安井曾太郎の有名な「金蓉」は、竹橋の国立近代美術館で幾度も観た作品だが、実はそのモデルも日本人であり、また、同じモデルが同じチャイナドレスを着た姿を、正宗得三郎も描いているのだった。

梅原龍三郎三岸好太郎藤田嗣治たちの作品も、それぞれのスタイルが面白い。また、久米民十郎という画家をはじめて知ったのだが、「支那の踊り」における流れるような独特のフォルムは、アヴァンギャルドと呼んでも全くおかしくない。調べてみると、関東大震災のために、30歳で夭折した人であるという。


バルテュス展

2014-04-29 23:25:09 | ヨーロッパ

東京都美術館に足を運び、「バルテュス展」を観る。

さまざまな先人たちの影響を受けたらしい20代前半までの作品は、さほど面白くもない。ところが、25歳以降に描かれた、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』のための挿絵にいたり、バルテュスがバルテュスになっていることに気が付く。この変貌は誰の目にもドラスティックなものであり、思わずニヤリとさせられる。

それ以降の作品は、多様化と円熟があるのみだ。バルテュスの本質的な幹が、あまりにも偉大なる個性として迫ってくる。倒錯と変態性は隠しようがない、というより、奇跡的に作品として昇華している。また、本来の意味でシュルレアリスティックでもある。

傑作を次々に観ていて、「運動」ということばが浮かんできた。身体のパーツおのおのが、バルテュスの目と脳と手を通過して、もっとも欲望を体現するように置かれ、曲げられ、配置される。その結果、全体の調和などよりも、違和感と緊張感とが突出する。そして、このときの作品化の乗り物が、バルテュスにとって、身体をあらわにした少女だったのだろう。


サン・ラの映像『Sun Ra: A Joyful Noise』

2014-04-29 00:39:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

これまで、サン・ラという音楽家=パフォーマーを、何となく敬遠していた。持っていたCDやレコードも、ほとんど手放して手許にない。だって、よくわからないから。

ところが、『Sun Ra: A Joyful Noise』(WinStar、1980年)というサン・ラの中古DVDが1000円で売っていて、入手してしまった。

この1時間のフィルムを観ている間、呆然としていいのか、笑っていいのか、どうしたらいいのか悩ましい無重力空間に連れていかれてしまう。

いい歳をした太ったオッサンが、ヘンにサイケデリックなシャツを着て、顔を微妙に青くペイントして、頭には金網やオスマン兵士のヘルメットのようなものをかぶり、さらに針金をくっつけている。アーケストラのメンバーも、みんなイカレポンチだ。ヴォーカリストは、「宇宙はわたしの声のなかに~」といった宇宙的な歌詞を、実に愉しそうに歌う。サン・ラ自身は、カメラに向かって、やはり宇宙的な抽象論とも駄洒落とも判断できないことを厳かに語っている。何なんだもう。

しかし、演奏が本格的に始まると、これが奇妙にカッコ良い。サン・ラのピアノはブルージーで、オルガンは激しかったり、やはり宇宙的(笑)であったり。セロニアス・モンクの「'Round Midnight」なんて、仮にライヴハウスで聴いていたなら、トリップしていたに違いない。アルトサックスをギターのように叩きながら吹くマーシャル・アレンにも仰天である。

世界がこうあってくれたら、確かに素晴らしいかもしれないと思ってしまう解放感。百聞は一見にしかずとは、このことだ。

以前、新宿ピットインでのライヴ3枚組を持っていた(移転前か)。かれらはどんな様子で新宿を闊歩したのだろう。