Sightsong

自縄自縛日記

ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』

2016-02-21 22:23:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジェン・シュー『Sounds and Cries of the World』(Pi Recordings、2014年)を聴く。

Jen Shyu (vo, p, gat kim, gayageum, ggwaenggwari, kemanak)
Ambrose Akinmusire (tp)
Mat Maneri (viola)
Thomas Morgan (b)
Dan Weiss (ds)

「JazzTokyo」における蓮見令麻さんのコラム(>> リンク)によれば、ジェン・シューは、インドネシアや韓国などのアジア各国において伝統音楽を吸収してきた存在なのだという。本盤でも、台湾、韓国、日本の楽器を使っている。ただ、サウンドの雰囲気がシンプルにどこの地域ということはない。シューという個人の中で消化し、昇華した世界である。

一聴して頼りなく感じられた。しかし、繰り返し聴いていくうちに、裏声とともにうねうねと広い音域を旅するシューの声に惹かれてゆく。

アンブローズ・アキンムシーレのトランペットが、ミディアムな領域でクリアに立っている。トーマス・モーガンの残響感のあるベースと、耳を掌で触るようなマット・マネリのヴィオラ。柔軟にリズムを組み立てるダン・ワイス。かれらの発する音が、蛇のように旅をするシューの声に寄り添っていくようである。

●参照
アンブローズ・アキンムシーレ『The Imagined Savior is Far Easier to Paint』(2014年)
アンブローズ・アキンムシーレ『Prelude』(2008年)
トム・ハレル@Village Vanguard(2015年)(アキンムシーレ参加)
タールベイビー『Ballad of Sam Langford』(2013年)(アキンムシーレ参加)
デイナ・スティーブンス『That Nepenthetic Place』(2010年)(アキンムシーレ参加) 
ミシェル・ポルタル『Bailador』(2010年)(アキンムシーレ参加)
ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』(2003年)(アキンムシーレ参加) 
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
クレイグ・テイボーン『Chants』(2013年)(モーガン参加)
ポール・モチアン『The Windmills of Your Mind』(2010年)(モーガン参加)
菊地雅章『Masabumi Kikuchi / Ben Street / Thomas Morgan / Kresten Osgood』(2008年)
マット・ミッチェル『Vista Accumulation』(2015年)(ワイス参加)
フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』(2014年)(ワイス参加)
エディ・ヘンダーソン『Collective Portrait』(2014年)(ワイス参加)


新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』

2016-02-21 20:37:27 | 沖縄

新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』(岩波新書、2016年)を読む。

太平洋戦争において「本土」攻撃を遅らせるための「捨て石」としてのみ使われ、戦後はやはり「本土」防衛のためにアメリカに差し出された「周縁の地」が、沖縄である。

本書を通読すると、さらに、沖縄が日米安保強化のために戦後一貫して利用されてきたことがわかる。米軍基地は単に存続させられているだけではない。

日本への施政権返還前には、「本土」の基地反対運動をかわす手段として、基地が沖縄に移転されていった。1952年には8:1であったが、「本土」の基地が1/4に減り沖縄の基地が2倍となって、1960年には1:1となった。1960年の安保改定によって、核の持ち込みや日本からの戦闘行動などが「事前協議」の対象となったが、これは今に至るもいちども行われていない。沖縄には多数の核が置かれていた。また、在日米軍から沖縄への移動は戦闘行動ではなく、また沖縄からベトナムへの出撃は安保条約の対象ではないという詭弁が展開された。

施政権返還の際にも、第二の基地しわ寄せがあった。米軍の再編統合により「本土」の基地は1/3となり、沖縄の基地はほとんど減らなかった。そして今、辺野古の新基地を作るために、「普天間の危険性除去」がうたわれている。著者は、これを「恫喝」と表現する。

以上のようなことが可視化されたところで、そのことは隠されようともせず、沖縄は、政治的にその位置にとどめおかれている。したがって、本書のオビにある「これはあなた自身の問題である」とは、もはや言うまでもないほど自明なことなのであって、これを「気付き」のことばとして放っていること自体が欺瞞の域に入ってきたのだと言うことができる。沖縄は「あなた」の「気付き」のために存在するわけではないからである。

●参照
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』
櫻澤誠『沖縄現代史』
由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
ガバン・マコーマック+乗松聡子『沖縄の<怒>』
いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ
林博史『暴力と差別としての米軍基地』
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』
琉球新報『普天間移設 日米の深層』
琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』
沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』
高野孟『沖縄に海兵隊はいらない!』
高橋哲哉『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』
前田哲男『フクシマと沖縄』
宮城康博・屋良朝博『普天間を封鎖した4日間』
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
押しつけられた常識を覆す
来間泰男『沖縄の米軍基地と軍用地料』
佐喜眞美術館の屋上からまた普天間基地を視る
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
浦島悦子『名護の選択』
浦島悦子『島の未来へ』