Sightsong

自縄自縛日記

感性が先 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会

2007-07-13 00:13:57 | 沖縄
先日、『1フィート映像と体験者の証言でつづる「沖縄戦の証言」』というヴィデオを見せていただいた(→勉強会報告)。

何が1フィートなんだろうと思っていたが、この製作、さらには記録フィルムの収集が、「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」によってなされたものだ。会の顧問(刊行時は事務局長)をなさっている、中村文子さんの講演録が、この『九十の峠に立って今、語りたいこと』(沖縄平和ネットワーク首都圏の会、2005年)である。タイトルの通り、中村さんは1913年生まれ、もう90歳を超えている。

1フィート運動とは、米国の国立公文書館から沖縄戦の記録フィルムを買い取り、それをもとに映画を作り沖縄戦を伝えていこうとする活動のことだ。沖縄県民1人100円づつ出して1フィートづつ買い取る、ということを行っている。

米軍から見た映像であるから、当然、攻撃される側の視点ではない。しかし、そんな立場の違いをはるかに凌駕する、恐ろしい映像だった。つまり、容易に、火炎放射器を向けられる私、壕のなかで震える私、爆弾の下にいる私、を想像せざるを得ないものだった。この実態を見せられて、戦争の悲惨さを忘れた空論を語れる者は少ないだろうと思う。

中村さん、それから1フィート運動は、映像だけでなく多くの運動を積み重ねてきていることを、この本で知った。たとえば、「今日は何の日」。1945年3月26日は慶良間諸島に米軍上陸、1945年9月7日は沖縄の降伏調印の日、といった具合に、覚えておくべき日をリストアップする。さらに、参加者は、自分の家族(祖父など)にとっての忘れがたい日についても追加することによって、自分の問題として記憶を体内に取り込むことになる。

さらに食べ物の配給、女性の地位向上、子どもの人権向上、国際交流などへの取り組みについても、語っている。

中村さんが強調していることは、まず感情、感覚、感性が理屈の先にくるべきことだ。残念だ、道理に合わない、理不尽だ、といったことを感じることからはじめて、その理屈を組み立てる。戦争は人殺しであり、正しいことではない、そのための基地を人間の住む場所に作るのはおかしい、と、訴え続けるということである。

安全な場所から、人をひとかたまりとしか見ないような、パワーゲームと枠組みが中心の政治に対して、この至極真っ当な考えは大きな力を持つものだと思う。



沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会
●購入先(沖縄平和ネットワーク 首都圏の会


スペイン市民戦争がいまにつながる

2007-07-12 01:01:22 | ヨーロッパ

何の気なしに手に取った『スペイン市民戦争とアジア』(石川捷治・中村尚樹、九州大学出版会、2006年)だが、思いもよらず、この70年間をくねくねと結び付けられてしまった。言い換えれば、いまという、権力至上主義と暴力が揺り戻っている社会にあって、判断できる「個」の復権を、熱く、熱く、熱く、呼びかけている本である。

スペイン内戦(この本では、あえて、大義や理想に共鳴した市民の参加を強調するため、「スペイン市民戦争」と称している)は、1936年から39年に起こった。共和国政府に対し、フランコ将軍が率いる軍部が仕掛けたクーデターである。フランコにはドイツ、イタリアという当時のファシスト政権が支援している。一方の共和国政府には、ソ連(これは結局、民主主義と自由への支援ではなかった)が支援し、それ以上に、主に欧米の多くの市民が義勇兵として参加している。

内戦は、フランコ側の勝利に終わり、1975年のフランコの死まで権力政治が敷かれることとなる。

米国から参加したアーネスト・ヘミングウェイは、これを『誰がために鐘は鳴る』に小説化した。いまの私たちが知っている知識といえば、この小説や映画、フランコ将軍、それからパブロ・ピカソの『ゲルニカ』、といったところだろう。 ピカソは『ゲルニカ』を描くにあたって、いくつもの習作や準備的作品を描いている。そこでは、最終作において(芸術的に)洗練されシンボリックなものとなった馬や牛や母親が、より現実的な形となっている。『フランコの夢と嘘』というタイトルにもあるように、フランコ政権とそれを支援するファシスト政権への怒りが、生々しく噴出しているのだ。その意味で、『ゲルニカ』は芸術的には完成されたかもしれないが、今の私たちには、漠然と、抽象的な「悲惨な戦争の画」としか受け取られていないかもしれない。

もっとも、ピカソ自身は『ゲルニカ』をやや異色なものと認めたうえで、「私はいつも現実の精髄の中にいた。だれかが戦争を表現したいと望めば、弓と矢を描けばもっと優美で文学的だろうね。それが一層美的だからだ。しかし私としては、戦争を表現したいときは機関銃を使うだろう。」と述べてはいる(『ピカソ 愛と苦悩―「ゲルニカ」への道』、東武美術館、1995年)。ただこれは結果論であり、『ゲルニカ』の持つ力が美学的にのみ受け取られがちなことは、ピカソ自身の意図とは関係なく、いまの時代性と70年という時間によるものが大きいのだろう。


パブロ・ピカソ『フランコの夢と嘘 II』(1937年)

さて、この本の題には「アジア」と入っている。スペイン市民戦争に参加した義勇兵は、欧米人ばかりではなかった。中国、朝鮮、フィリピン、インド、ヴェトナムでは、主にスペインで義勇兵として参加した人々が、それぞれ帰国し、市民参加の社会を作るという理想に向かって活動している。状況として、必然的に、抗日運動や反帝国主義運動となっている。「市民」が、民主主義や自由といった大義を胸に秘め、国の戦争としてではなく、自発的に駆けつけた。そのスペイン市民戦争が、その後のアジア社会構築やヴェトナム戦争につながっているというわけだ。

ジャズ・ベーシスト、チャーリー・ヘイデンは、ピアニストでありビッグバンドを率いるカーラ・ブレイに編曲を依頼し、1969年に『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』(Impulse)という傑作をものしている。スペイン市民戦争、それから革命家チェ・ゲバラ、さらにはヴェトナムへの米国の介入に対し、音楽という手段で意志を表現したものだ。

ヘイデンのベースもさることながら、自由人ドン・チェリーのコルネット、ガトー・バルビエリの過剰な泣きのサックス、デューイ・レッドマンのもこもこしたサックスなどが素晴らしい。この場合、音楽をプロテストの手段として捉えるのが不純で低レベルだということには、決してならない。(むしろ、一般論としても、音楽にせよ映画にせよ絵画にせよ、それが産み出された背景をおしはかることなく「芸術」として鑑賞することは、浅はかに過ぎるのではないか、と思えることが多い。)

ヘイデンの「リベレーション・ミュージック・オーケストラ」はまだ活動している。最近作『NOT IN OUR NAME』(Universal、2005年)では、いまの世界における不正や暴力に対し、闘いを宣言している―――相手は、悪しき米国であり、帝国主義であり、力による圧制だろう。「私たちの望むものではない、勝手に国として行動するな」といったところだ。ヘイデンとカーラ・ブレイ以外のメンバーは異なるが、相変わらず、センチメンタルで力強い。このような本人たちの意志を知っても知らなくても、という前提はナンセンスである。ここでは、意志とメッセージと音楽はセットなのだから。


36年間の時間を隔てた第1作と最近作 チャーリー・ヘイデンとカーラ・ブレイは両端にいるが左右を交代している(笑)

ヘイデンがライフワークで世界に問うているように、この本でも、全世界の市民が自分の意志で駆けつけたスペイン市民戦争の意義は、いまでも(いまでこそ)重いものだと締めている。

「視点を現代に転ずると、東西冷戦の終結後も世界各地で紛争、テロ、そして戦争が絶えない。「人道的介入」や「積極的介入」をすべきか、すべきではないか、あるいは「超大国の単独行動主義」は許されるのか、といった問題点がその度に指摘される。
 確かにスペイン市民戦争の時代は、市民が自らの力を信じることができた時代だった。だからこそ、自分で武器をとり、不正な権力と闘った。そしてそのこと自体の重要性は、いまも変わらない。いや、自分の力を信じるという面でいえば、その重要性はさらに強まっている。しかし逆の言い方をすれば、信じるものは自分の力しかなくなっている。」

「社会主義を掲げたソ連は崩壊し、アラブの”理想”を掲げるグループは、卑劣なテロを繰り返す。日本の政治は実現すべき目標を見失い、政権与党の外交政策は国際協調の名の下で対米追従、内政の最大の課題は借金の返済と経費の節減である。
 しかし、そんな時代だからこそ、いまいちど”理想”を、そして”希望”を考えてみる必要があるのではないだろうか。」

「私たち一人ひとりが”判断力”を身につけて行動するとき、そこには国境や人種の違いを超えた新しい理想、そして新しい希望が生まれてくるのではないだろうか。現代の大企業は多国籍企業と呼ばれるように、国境がほとんど存在しないかのような市場が形成されている。その結果としておこるのは、なし崩し的な民主主義の破壊である。それに対抗できる現代の統一戦線が求められている。様々な暴力によって苦しめられている人々の、グローバルな連携である。その原点として、スペイン市民戦争に集った人々の足跡はいまもなお、輝きを失ってはいないはずである。」
『スペイン市民戦争とアジア』(石川捷治・中村尚樹、九州大学出版会、2006年)

パブロ・カザルス(カタルーニャ語ではパウ・カザルス、パウは平和の意味)は、フランコ独裁政権に反発し、祖国に自由が戻るまでは公開演奏をやめると宣言した。国家と対峙しうると考える、強烈な自負心である。

しかし、いまは、私たちのそれぞれが、カザルスやヘイデン、さらには自分の意志と正義を支えにする義勇兵になりかわることが、必要とされると言うべきだろうと思う。言うまでもないが、戦争をしない義勇兵である。


パブロ・カザルス『J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番~第3番』


東村高江のことを考えていよう

2007-07-10 23:55:20 | 沖縄
沖縄県の北部、やんばるにある東村。
パイナップルも宮里藍も有名。それから米軍の北部訓練場。

ヴェトナムのジャングルを想定して、グリーンベレーが特殊訓練をしている。そして、ヘリパッド建設が強行されつつある。

その北部訓練場で、1961~62年に、米軍が枯れ葉剤を使っていたことが報道された。関与した米兵は癌を発症したし、現在でも土壌にダイオキシン類が残留している可能性がある。ここにはダムがあり都市部の水瓶となっているし、現に生物に影響が出ている可能性があるとの報告がある。

といっても、大手全国紙ではまったくといっていいほど報道していない
目に付く範囲では、(当然)沖縄の新聞、関東では数少ない偏向していない東京新聞では一面で報じている。
大手紙が報道しないのは、本土の人たちにとってのニュースバリューだけに起因しているとはとても思えない。(だって、枯れ葉剤のことはみんな知っているだろう?)

【報道】
●東京新聞「米軍、沖縄で枯れ葉剤散布 60年代、元兵士にがん」(2007/7/8)
●沖縄タイムス「北部で枯れ葉剤散布/米軍、60年代訓練場一帯」(2007/7/9)

【生物影響】
●やんばる東村 高江の現状 「山の達人から枯れ葉剤汚染について

慌てて東村の新川川で測定が行われた。とりあえずは環境基準以下だったようだが、広いやんばるの森で、しかも40年以上前のことだから、どこにどれだけ蓄積され、誰に影響が及んだか、さらに調査される必要があるのだろう。

●琉球新報「北部訓練場、ダイオキシン基準以下」(2007/7/10)

沖縄の『うちなータイム』という番組には、「ケンシー高平の沖縄の川を飲む」というコーナーがあった(いまもやっているのだろうか?千葉テレビで放送しなくなったのでわからない)。「川飲みスト」であるケンシー高平が、沖縄の各地にある川を訪ね、その水のCODや界面活性剤を測定し、飲んだりする変なコーナーだ。

そこで、東村の新川川もとりあげられたことがあった。有機汚濁は極めて低く、界面活性剤も含まれていない、とても旨い水という結論になっていた。一般論としては、これにダイオキシン類がある程度入っていたからといって、閾値まで摂取しなければ発癌などのリスクは顕在化しない。しかし、川飲みストがこのニュースを聞いたら、気分が悪いだろう。


『うちなータイム』、「ケンシー高平の沖縄の川を飲む」 新川川の回 (放送日は忘れた)

東村の高江では、何人もの人たちが座り込みをしている。
私も駆けつけたいが、実際そうもいかない。

贖罪にも何にもならないが、ただ、いつもこのことを記憶しておきたい。それで、私の楽器ケースにはシールを、リュックには夫婦そろってバッジをつけている。他の人の目につけば、興味を持ってくれる可能性もある。多くの人が広告カーになってみたら、少しなりとも支えになるのではないか。もちろん、その分を活動資金として使ってもらえる。

●やんばる東村 高江の現状 「お気に入り


リュックにバッジ


楽器ケースにシール

野茂英雄の2冊の手記

2007-07-09 23:55:01 | スポーツ

気が向いて、野茂英雄投手が大リーグに活躍の場を移した95年とその翌年の手記を読んだ。それぞれ、『僕のトルネード戦記』と『ドジャー・ブルーの風』(集英社文庫)である。両方、古本屋で100円。

あれから10年以上が過ぎたいまでも、まっすぐな感性はとても新鮮で面白い。それと同時に、ここで野茂投手によって提示されている問題点は、たぶんほとんど解消されていない。

大リーグでは、フェンスなく、選手に手を伸ばせば握手してもらえるほど、観客と選手との距離が近い。日本では、距離が近いどころか、試合を見ず別の目的で球場に足を運ぶ応援団がいる。しかも経済的にのみ、球団や球場と馴れ合っている。さらに、それ以外の、言葉にできない違いがある、そうだ。

テレビで観戦しても、マンネリと縮小均衡から脱出できない日本プロ野球よりも、あきらかに面白い。とはいえ、それは全体的な話であって、個別に選手を見れば、プロ野球も、もちろん面白いのではあるが。

私は、近鉄バファローズ時代の野茂投手を、一度だけ近くで見たことがある。川崎球場のロッテオリオンズ戦、登板はせず練習のときだった。大柄で、異質な雰囲気があった。

その野茂投手が米国に渡るときの、球界やマスコミの「バッシング」と言ってもいい態度はよく覚えている。そのあたりのことや、活躍するや手のひらを返したような態度に出るマスコミのことを、野茂投手も手記で述べている。いままで知らなかったのは、1年目終了後のシーズンオフに、日本で多くの人々との対談が予定されていたにも関わらず、何かの圧力で1件だけになってしまったということだ。

あらためて、大事にとってある雑誌『Number』(文芸春秋)を開くと、それは江夏豊との対談だった。それ以降、野茂投手との対談や、コメント記事の大半は、江夏豊が関わっている。渡米前の記事を読むと、あきらかな否定記事ではないものの、野茂投手と近しいはずのコーチが「1~2勝しかできない」と断言するなど、逆風のなかで努力する者をなんとか否定したいような雰囲気が目立つ。

私の知る限り、ジャーナリストなどを除き、一貫して野茂投手を応援し、そのときのバッシングのことを繰り返しマスコミ上でリマインドしている野球人は、その江夏豊と王貞治だけだ。もちろん、他にもいるとは思うが、逆に、安全な場所から調子のいいコメントを発していた野球人のことは何人も思いつく。

野茂投手はいまリハビリ中だと思うが、また投げる姿を見たいものだと熱烈に思う。

手のひらを返したような、といえば、桑田真澄投手についての報道だろう。サクセスストーリーになりやすいので、大リーグで「予想外」の好投をするや、とたんに持ち上げている。ついこの間まで、みんなが「どうせ駄目だろ」と言っていたことを、私は記憶しているぞ。

と、いち桑田ファンとしては、いつかゴチャゴチャ言いたかった


『Number』の野茂投手の記事をかき集めてみた(1991年以降)


二軍戦の桑田投手(2005年、鎌ヶ谷球場) Pentax LX、FA★200mm/f2.8、シンビ200、ダイレクトプリント


「けーし風」2007.6 特集・沖縄がつながる

2007-07-08 23:59:18 | 沖縄
ちょっと遅れて『けーし風』の第55号(2007.6)、特集「沖縄がつながる」が届いた。

「沖縄がつながる」とは、沖縄、そして日本のみならず、エクアドル、韓国、ハワイ、グアム、豪州、フィリピンといった国・地域に視野を拡げ、軍事基地反対に向けたつながりを模索していこうとの意志が表されている。
先日、エクアドルで行われた「世界反基地会議」での意志の重なり合いが、直接のきっかけになっているようだ。

沖縄の方々は、主に辺野古の状況を伝えている。
「沖縄から基地がなくなるように」ではなく、「どこにも移転させないこと、基地をなくすこと」がメッセージとなっている。

「基地がなければ戦争はできない。だから基地をなくさなければならない」というトビエス・フルエガー氏(ドイツ)の発言に関して、「日本の政治家たちの誰がこの言葉を真っ向から語ることができるだろうか。基地を無くすということは非現実的な無責任な発言として一笑にふされる雰囲気が蔓延している。」という、平良夏芽氏の記述に共感を覚える。

それから、嘉手納基地の「人間の鎖」(2007/5/13)。楽しく、お互いに感じながら、つながろうとしたことが書かれている。東京の新聞による「完全につながらなかった」ことの強調と、中身がかけ離れていることも。

「シマだより」の関東の欄は、私が書いた。「勉強会の薦め」と「エコツアーの薦め」の2つだ。甘い、と思う人もいるだろうが、私を含め本土の多くの人たちが「知り、考える」ための入り口に触れたつもりだ。






木場公園でJupiter-37A

2007-07-07 21:31:54 | 写真
ロシア製のM42レンズ、Jupiter-37A(135mm,f3.5)を、アダプターでPentax K2DMDに付けて、江東区の木場公園を散歩した。ついでに都立現代美術館の常設展で、岡本太郎の壁画『明日の神話』を観た。メキシコで発見され、修復されたものである。

岡本太郎は好きなのだが、最近、自分にとってインパクトが薄れてきたのは何故だろう。いまのように著作がたくさん再販される前、もう20年位前の高校生の時分、『自分の中に毒を持て』(青春出版社)にひどく感化されたことがある。

135mmレンズはあまり使わないので、ちょっと距離感に戸惑うもののようだ。しかもこれはプリセット絞りなので、ピントを合わせた後、自分で絞りを絞り込まなければならない。一応、あらかじめ決めておいた絞りで止まるような仕掛けがあるが、やはり一手間多く、しかも望遠なのでピントを外す可能性が高くなる。露出に関しても手間を挟みたくないので、AEは必須条件だと思う。

天気がいまいちだったので、描写は地味でソフトだ。しかし、コピー元とされるツァイスイエナのゾナーよりは地味でない気がする。


結構見上げると鳥が集まっている Pentax K2DMD、Jupiter-37A、コダックエリートクローム400


この実はモチノキだったか Pentax K2DMD、Jupiter-37A、コダックエリートクローム400


波打つクスノキとモッコク Pentax K2DMD、Jupiter-37A、コダックエリートクローム400


モッコク Pentax K2DMD、Jupiter-37A、コダックエリートクローム400


クスノキの落ち葉にもダニ袋が見える Pentax K2DMD、Jupiter-37A、コダックエリートクローム400


岡本太郎『明日の神話』 Pentax K2DMD、Jupiter-37A、コダックエリートクローム400

三種の神器 好奇心と無自覚とのバランス

2007-07-04 23:59:00 | 思想・文学
天皇家のシンボル、三種の神器。鏡と剣と玉である。

神話がしばしば権力により形成されているように、これらは中世に大和王権によって一定の形となった日本神話(主に記紀)とともにある。興味深いのは、この長い天皇制の存続、紆余曲折とともに、三種の神器についても様々なストーリーが付与されていることだ。

たとえば草薙剣は、スサノオノミコトが出雲でヤマタノオロチを退治したときにその尾に入っていて、それが姉のアマテラス(高天原)に渡り、その孫のニニギノミコトが宮崎に降臨するときに渡され、さらにヤマトタケルが戦いの道中に尾張で置いたものが、いま、愛知県の熱田神宮にあることになっている。しかし、実は分身が宮中にでき、それは平家没落のときに山口県の壇ノ浦の海底に沈む。なぜか新たな分身は、いま、皇居にある。熱田に行ったとき、私には、もっとも声高に言っていいはずの草薙剣のことを、何故かほとんど宣伝していないように感じられた。

鏡は、アマテラスが天岩戸にこもったのを誘い出すのに使われたものだが、いまは伊勢と皇居の両方にある。玉は、神話上、その重要性がいまひとつ希薄であるが、いまは皇居にある。

いろいろな話はあっても、「何だかよくわからないし、曖昧なままになっている」のは、「見てはならない」ものであることが、その根本的な理由としてありそうだ。実際、民間人は当然のこと、天皇ですら見てはならないものとされている。また、歴史上形作られてから千数百年の間、壇ノ浦の合戦の際や泥棒、見たくなった皇族などが見ようとすると、白い煙が出たり、眼が眩んだり、鼻血が出たりしている。(ということになっている。)

『三種の神器』(稲田智宏、学研新書、2007年)では、そのあたりを整理し、どんなストーリーが付与されてきたのかを俯瞰できるようになっている。結局どういう話なんだっけ、とモヤモヤと好奇心から思っている私のような人にはおすすめではある。

ただ、ほぼ全編にわたって、かなり平板で退屈なところが多い。なぜかと考えるに、「神話というもの」、「政治というもの」、さらに「現在における政治と神話との関係」といったことを、意識的に相対化できていないからではないか。要は、専門として情報を並べて整理したいのはわかるが、これは学術論文ではない一般向けの書物であるし、そうだからこそ、相対的な位置づけに無自覚であっては困ると思うのだ。

著者は、このような長く伝統ある文化であるから、尊重し、それに携わる人は私人ではなく公務員を超えた立場であるべきだと考えているようだ。

伝統と文化だけを取り出すことができるなら、そうだろうと思う。しかし、特に明治維新以降、さらに戦前に政治の道具として日本神話が利用されてきたことや、現在の揺り戻し状況を考えれば、「国体護持」とやら、と一線を画した歴史・文化であってほしい。そんなことが可能かどうかわからないが。

ところで、読んで思い出したこと。スリランカ・キャンディの仏歯寺にある仏陀の歯は、ポルトガル統治時代、海に捨てられている。しかし、現在のストーリーとしては、シンハラ人がポルトガル人に「偽物をつかませた」ことになっている。

それが本当か嘘かは本質的なことではない。現在の宗教と文化において、そのように信じられていることのみが重要なのである。しかし、一方で、外部の人間が感じるそのような突き放した視点は、内部においても持って欲しいものだと思う。「胡散臭い話」と外部の人間に感じ取られるかもしれない、という視点である。特に、それが政治利用される恐れがあるとき、自分たちの挙動を鳥のように上から眺めるためだ。

余談ながら、私が仏歯寺で何重にもくるまれた「それ」の周りを廻っていたら、寺の方が「仏歯を見るか?」と真顔で聴いてきた。確か定期的に実物を公開するものであるから、「三種の神器」ほどの秘密性はない。動揺して、即座に断ってしまった。見せてくれと答えていたら、どうなっていただろうか、と思い出したりする。


『三種の神器』(稲田智宏、学研新書、2007年)


キャンディの仏歯寺(1997年) Pentax ME Super、FA 28mm/f2.8、Provia100、ダイレクトプリント

やんばるのヘリパッド建設強行に対する抗議

2007-07-03 08:31:51 | 沖縄
沖縄県北部のやんばるの森。世界遺産にもなりうる貴重な自然である。
ここで、米軍のヘリパッド建設が強行されようとしている。
今日(2007/7/3)、住民の声にまともに応じることなく、工事用車両が入る可能性がある。

沖縄では今日(2007/7/3)、午後2時(1時半ロビー集合)、那覇防衛施設局に申し入れに行くそうだ。

http://earthcooler.ti-da.net/e1637514.html

私は飛行機ではとても行けないが、せめて意見を表明すべきと思い、以下の抗議文を那覇防衛施設局に送った。また、工事着工届けを受理した沖縄県知事にも同様のものを送った。

本土の人間、直接抗議にいけない人間は、このように簡単なものでも意思表明することが、「住民をないがしろにしない国」「自然環境を守る国」「戦争をしない国」につながる行動だと思う

【送付先】

那覇防衛施設局 098-868-0174~9(代表)
         広報室(内線233~235)Fax098-866-3375

沖縄県知事公室広報課 電話098-866-2020
                ファックス番号098-866-2467
                e-mail kouhou@pref.okinawa.lg.jp

【抗議文】

那覇防衛施設局 殿
(沖縄県知事公室広報課 殿)

沖縄県東村高江におけるヘリパッド建設事業についての抗議

現在進められている沖縄県東村高江におけるヘリパッドおよび進入路建設について、以下の理由により、中止を要望いたします。

・ 貴重な自然および生態系への悪影響
 IUCNの勧告を充分考慮し、野生生物の生育地を保護すべきです。
  *WWFジャパンの抗議声明参照
   (http://www.wwf.or.jp/news/press/2007/p07061401.htm)
 また、正当な環境アセスメントを実施すべきです(少なくとも、進入路についても
 アセスメントの対象とすべきだという指摘に十分な回答がなされていません)。
  *高江区住民有志となはブロッコリーによる那覇防衛施設局への申し入れ参照
   (http://www.janjan.jp/area/0706/0706157360/1.php)

・ 住民の安全および生活環境の確保
 住民の居住地に極めて近いため、墜落や人災の確率をゼロにすることは不可能です。
 また、それに伴う住民の精神的な脅威についても多く報告されています。

反対の声に対する論理的な回答はなされていないと認識しております。

このような人権無視と自然環境破壊は、今後国内外においてさらに問題化し、
事業を推進した各主体の責任が問われることは確実であると考えられます。

将来に汚点を残さないよう、事業中止のご検討を要望いたします。

                                     (署名)



やんばるの森、Pentax LX、77mm/f1.8、TMAX400、Gekko(2号)

浦安魚市場(9) 鮭ハラススモーク、ひらめのアラ、刺身

2007-07-02 23:58:00 | 関東

昨日の日曜日は、昼ご飯を手巻き寿司にするときめた。
それで、目当ては「えびの桑田」の刺身盛り合わせだ。
行ってみると、あとひと皿。これまでにも、出遅れるとなくなっていることがあったので、早めに駆けつける必要がある。帰って、海苔に寿司飯と刺身をのせるだけでとても旨い。

ついでに、「金又」でひらめのアラを200円で買う。塩と醤油で味付けをする潮汁を薦められたが、結局、味噌で味付けをしたアラ汁になった。その場で小さく切ってもらったが、これが鯛のカブトと同じように凄いアトラクションで、目が離せなくなった(ご本人はそのつもりはないだろうけど)。

さらに「泉銀商店」で、天然鮭のハラスのスモークを衝動的に入手してしまった。これがベーコンみたいでじつに旨い(→泉銀商店のブログ)。見つけたら衝動的に確保することを薦める。

手軽なのも楽で旨くて楽しい。


「えびの桑田」の刺身


「金又」のひらめのアラ


「泉銀商店」の鮭ハラスのスモーク


ええじゃないかドブロク

2007-07-01 23:43:10 | 関東

米国の従軍慰安婦に関する決議についても、このたびの防衛大臣の原爆に関する「しょうがなかった」発言についても、首相などは「誤解を与えないよう」云々と弁明している。報道も、その「誤解」用語を使っている。

これは、「誤解」している方々に、非常に失礼な物の言い方ではないだろうか。そもそも「理解」しているから怒っているのに。

==========

日本では、アルコール度数1%以上の酒が、酒税法の対象となっている。したがって、市販の「ビールキット」などにも、「取扱説明書には海外での作り方が書かれているが日本では云々」と曖昧な記載がある。この規制の対象には、酒を販売する者だけではなく、自分で飲むために作る人も含まれている

この、自家用の酒がご法度という状況は、先進国では珍しいもののようだ。また、酒の製造を税で取り締まるということが、日清戦争後に国家財政建て直しのために大幅増税されたことが、いまだ引きずっている経緯があるようだ。

これに対し、故・前田俊彦氏が、酒税法の矛盾と憲法違反とを理由に起こした裁判が、有名な「どぶろく裁判」である。84年から争われ、最終的には、89年に、最高裁が「酒税の安定的な徴収」を理由に訴えを退けている。

このあたりの経緯と考え方をまとめた本が、前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(三一新書、1986)である。前田氏の主張はいちいちもっともであり、あまり酒を飲めない前田氏が、不当な「オカミ至上主義」への反発から行動を起こしている様子がわかる。その反骨精神は、前田氏が、三里塚闘争に共感して三里塚に引越して「瓢鰻亭」(ひょうまんてい、ヒューマニティの意味)と命名した家を建て、利き酒大会に国税庁長官を呼んだこと(当然、応じていない)などにも表れている。なんと、将来はどぶろくに「三里塚誉」(笑)と命名するか、という真面目な冗談まで披露している。

前田氏の主張する点は

○酒税法では大規模製造者でないと酒造の免許が得られないが、そもそも販売するわけでもない個人にまで規制を被せるのは間違いである。(その後、一部の規制緩和により中小製造者が地ビールを作ることができるようになったが、商売しない個人の問題は解決されていない。)
○どぶろくと市販の酒とは全く異なるものであり、個人の酒造を禁止しなくても、大手メーカーの酒造や、さらには税収に悪影響を及ぼすことはない。
そもそも、酒を自分で作ることは、誰でもやっていた昔からの伝統であり、憲法13条の幸福追求権と29条の財産権の自由に根拠がある

判決は、結局は、個人が酒造することが、いずれは酒税の徴収に悪影響を及ぼし、これは公共の福祉に反するものとしている。また、根本的な問題(法的な経緯など)は、立法が解決するものと政府を奉っている。さらには、「飲めないのにこんな行動をする者」への見せしめも言外に理由として挙げられている。

まったくどこかで聞いたような話だ。

教育も、主権者としての意見を言うことも、オカミの方針以外であれば規制が強まっていることと、根本的な問題は共通していると思えてならない。さらには、食品に対する企業のモラルが著しく低下している今、自分たちを守る方法は、食に関する活動と判断を自分たちになるべく取り戻すことにほかならないことを考えれば、まさに現在の問題である。

程度の差や限界はあろうが、コロッケなら自分で作ればいい。味噌だって作れる。魚だってスーパーの切り身でなく魚屋でさばいてもらえばいい(ましてや弁当の何とかフライの中身がわからないのは落ち着かない)。麺だって、パンだって、酒だって・・・。(もっとも、作ってもらっている私自身はエラソーなことは言えないが。)

どぶろく裁判については、鎌田慧『非国民!? 法を撃つ人びと』(岩波書店、1990)でも採り上げている。

興味深いことに、84年当時、新聞報道が、マスイメージを醸成してしまったことがあるようだ。たとえば読売新聞では「どぶろく密造、初公判」、千葉日報では「前田被告が怪気炎」という見出しを使っている。鎌田氏は、これを「いったん起訴されれば、人格を「被告人」としてしまうところに、新聞社の言葉遣いがきわめて国家のそれと似ている」と鋭い指摘をしている。

誰もが、自ら農業を行うか、近所の人が作った食糧を食べることができない社会では、「放っておくとろくなことをしない権力」に対して監視・抑制しうる司法と報道が果たすべき役割は重いだろう。しかし、その両方が「権力そのもの」となっているのが現在の社会だということを考えれば、かなり暗い気持ちになる。