Sightsong

自縄自縛日記

ロシア・ジャズ再考―セルゲイ・クリョーヒン特集

2007-07-16 22:27:57 | アヴァンギャルド・ジャズ
前回は行けなかった「ロシア・ジャズ再考」イベント。第2回はセルゲイ・クリョーヒン特集ということで、これは行かないわけにはいかない。2007/7/15、渋谷のUPLINK FACTORY。鈴木正美さん(新潟大学)がナビゲータ、岡島豊樹さん(東欧~スラヴ音楽リサーチ・センター長/『ジャズ批評』元編集長)がゲスト、さらにクリョーヒンのステージ姿を撮影された横井一江さん(音楽ジャーナリスト)がその様子を解説。

というと固く聴こえるが、これがもういちいち面白く、脳内麻薬出まくり(笑)。

開演前は、イタリアでのポップ・メハニカ演奏のライヴヴィデオ(1990年)を流していた。ここではけれん味のあるハプニングは余りみられないが、パッチワークのようなサーカス音楽のようなもの。クリョーヒンは痙攣するように動き回り、演奏家を鼓舞していた。

さて前半は、鈴木さんのパワーポイントにより、クリョーヒンの足跡(1954-96)がクロノロジカルに辿られつつ、裏話が披露された。

●クリョーヒンは、生前、2度来日している。最初は「開かれた地平」というイベント(1989年)で、ロシア側がヴァレンチーナ・ポノマリョーワ(vo)、ウラジーミル・タラソフ(ds)、ウラジーミル・チェカシン(sax)、日本側が高橋悠治(p)、三宅榛名(p)、梅津和時(sax)などという凄い布陣。このときの様子は、NHK-BSで放映されたそうだ(誰か見せてください)。

●2度目の来日は1995年、ケシャバン・マスラク(sax)とのデュオ。岡島さんは、横浜エアジンでその恐るべきピアノのテクニックと奇妙な展開を目の当たりにされたそうで、その雰囲気を感じられる同時期のライヴヴィデオが後で上映された。いい映像で見ると、立ち会うことができた人を羨んでしまう。

●デビュー作『自由への道』(Leo、1981年)は、ピアノのあまりのテクニック振りに、米国では「テープの早回しではないか?」との疑惑があったとのことだ。実際に疑わしく聴こえる箇所があったが、それはテープの特性によるもので、あとで疑惑は払拭されたという。

『雀オラトリオ』(SPI、1992-93年)は、ヴォーカルがすべて「雀語」になっている。これが何か裏付けや何かが設定されたものかどうかは、結局、インタビューを通じても曖昧なまま(笑)だったらしい。ちなみに、私が初めて聴いたクリョーヒンのアルバムはこれであり、記憶を辿ると、『ジャズ批評』のキース・ジャレット特集号(1996年)における岡島さんの記事を読んだことがきっかけだった。この年に予定されていた来日は叶わなかったわけだが、もしクリョーヒンの死が1年でも遅かったなら、私も観ることができたのだろうか。

●クリョーヒンは20本の映画音楽を手がけ、男前だったので、2本の映画に主演している。両方ともサントラが出ているが、『ミスター・デザイナー』のものはExtra CDになっていて、少し映像が含まれている。そこでも、『雀オラトリオ』の1曲目、「Winter」が流れている。

●95年来日時、クリョーヒンは三島由紀夫の本と、100枚以上のCDを買い込んでいる。それは日本のパンク・ミュージックで、1枚は「ゲロゲリゲゲゲ」らしい。私はまったく聴いたことがないが、クリョーヒンは「僕はラジオ・ショーに呼ばれて音楽のことを喋る機会が多いんだけど、そんな時よくゲロゲリゲゲゲのCDを持って行って「こいつはすごいぜ!」といってかけると、皆んな「おっ!」「すげー!」てなもので、仰天する。「こんなのありかよ」って(笑)。 (略) これって三島由紀夫スタイルだと僕はいうわけです(笑)」。」とインタビューに答えている(前出『ジャズ批評』)。

●クリョーヒンはテレビ番組も手がけていたそうで、そこでは「ルイ・アームストロングはヴードゥー教徒だった」とか「チャイコフスキーとチベット仏教の関係」とか「レーニンはキノコである」とか、訳のわからない世界が展開されていたらしい。実際、「雀語」といい、三島とパンクといい、他人には理解不能なカオスを抱えていた。しかし、カオスが音楽世界にも展開されていた、これが冗談抜きでもの凄いところだ。

それから横井一江さんによる、1989年のメールス・ジャズ祭におけるポップ・メハニカの写真の上映があった。ステージ上で跳躍するクリョーヒンやうろうろするアヒルなど、「シアター的なパフォーマンス」の迫力が伝わってくる。観客の興奮は凄いものだったそうで、カメラマンも身動きがとれなかったそうだ。

横井さんは、旧ソ連のペレストロイカにより文化の蓋が取り払われ、さらにこの後の天安門事件、ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊を控える時期にあって、制度の瓦解と大衆文化のエネルギー噴出とが重なった稀有な瞬間の連続であったのだと指摘していた。

後半は1988年、ストックホルムでのポップ・メハニカ公演の貴重極まるライヴ・ヴィデオ上映。こんな破天荒なライヴ、羨ましいぞ(笑)。

●クリョーヒンと、頭に包帯を巻いて猫を抱いた人が喉歌を歌う(そういえば、トゥヴァもハカスもロシアにある)。●バグパイプの楽団が出てくる。●ジャズ。●花を活けたバケツを載せた猫車が登場。●クラシカルな弦楽器6人。●ピンク色の頭のパフォーマー。●ステージ下で絵を描く人。●詩の朗読。●散髪。●山羊の毛を刈る。白衣の人たちが廻りを踊る。●トラクターが会場外から登場。●ガチョウが8羽くらい登場。●オペラ歌手の見事な詠唱(『雀オラトリオ』のオリガ・コンディナ)。●フラフープ。●脚立に乗って火炎放射器を使う。●白い制服の海兵の軍楽隊がマーチで登場、ふざける。

皆、確信を持って真剣にふざけていることがわかる。途轍もないエネルギーが必要だろうし、すぐに「おふざけ」に走ってしまう日本の現在の文化にはここまでの強靭さがあるのだろうか。

それに、クリョーヒンのもの悲しい甘いメロディー、何度聴いても魅力的だと感じる。

以前、ひとしきり集めて聴いたクリョーヒンだが、頭蓋を揺さぶられたいい機会に、あらためて順に聴いてみようと思っている。

次回は、10/27、ウラジーミル・レジツキイ特集だそうだ。98年に横浜ジャズ・プロムナードで観たが(ウラジーミル・トリオ)、2001年に亡くなっていたのだ。知らなかった。


『雀オラトリオ』(SPI、1992-93年)


『金持ちのオペラ』(1987-91年)でも、雀オラトリオの習作が聴ける


『ミスター・デザイナー』(1989年)にも、雀オラトリオをバックに変な映像が!(別の映画での、ポップ・メハニカの演奏風景もある)


私の秘蔵(笑)、1995年来日時の映像 ケシャバン・マスラクとのデュオ





燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展

2007-07-16 20:39:42 | アート・映画
銀座の資生堂ギャラリーで、「時光 - 蔡國強と資生堂」展を観た。

蔡國強(ツァイ・グオチャン)は、廃木や金、そして火といった極めて原初的な素材を用いたインスタレーションやパフォーマンスが印象深い。今回は、蔡の火薬ドローイングの新作が出品されるというので、足を運んだわけである。

その、ドローイングは5点のみ。中二階にある小品を覗けば、春夏秋冬それぞれをモチーフとした巨大な作品である。作品はもうひとつ、空中に無数の黄金船が曳航している。

これは和紙だろうか―――その上に、墨とも焼け焦げとも見える痕跡がある。実際、焦げて孔が開いた箇所もある。その上に、蔡自身によるメモ書き、それからわずかに金色のような色もあしらってある。燃えて焦げた水墨画、ワビサビだ。痕跡とメモを凝視していると、いろいろな焼け焦げ=生命が、網膜にも痕跡を残していくような気がする。

春は、花からの流れにある魚が夜と被る。夏は、枝垂れ柳のようなフォルムの周囲に、亀や赤トンボが居る。秋は、落葉、菊、夕陽。冬は、松、梅、それからカラス。

ゲルハルト・リヒターやマーク・ロスコのように、作品の皮膚上で眼が蠢くので、数はこれくらい少なくてよかったと思った。

出品作品と同様に、これまでの蔡の活動を振り返るヴィデオがとても面白い。1995年に、東京都現代美術館に出品された「三丈塔」(廃船の朽ちた木を使った塔)は、その後、ヴェネチアビエンナーレでは、ロケットのように斜めに設置され、噴射口では中国の旗がいくつもはためいていたことを知った。それから、米国の各地で小さな「キノコ雲」を作るパフォーマンスも、実際の映像を観ることができた。

火薬に集約される人間の一面にある暴力的本性が偏在するとき、戦争が発生する。芸術やスポーツは、そうした人類の根源にある衝動を浄化する役割を担うものだ」(1986年の蔡の発言、『美術手帖』1999/3)

木や紙、建物といった、火という暴力に弱いものを使うことも、そのヴァルネラブルな特性ゆえに、何か精神性のオーラをまとってみえる。決して不快ではないしこりが残る。


「ART IN JAPAN TODAY」(東京都現代美術館、1995)より、「三丈塔」。私はこれで蔡の存在を知った


「キノコ雲のある世紀―Projects for 20th Century」(米国各地、1996)。『美術手帖』(1999/3)より


記念に、角度によって画像が変わるポストカードを買った。ポーランドで赤い旗(!)を燃やすパフォーマンス「Red Flag」(2005)。天安門事件により故郷喪失に直面した蔡の作品には、きわめて政治的な側面もある