Sightsong

自縄自縛日記

金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』

2011-11-06 11:27:38 | 関西

デリーに居る間、金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って ―朝鮮人街猪飼野の形成史―』(岩波新書、1985年)を読む。猪飼野は現在の大阪市生野区であり、鶴橋のコリアンタウンは焼肉屋や朝鮮食材の店で賑わっている。この街の形成史を知りたかったところだった。著者の金賛汀氏は在日コリアンとして生まれ、ルポライターとして現在に至るまで多くの著作をものしている方である。

旧猪飼野には済州島出身者が多い。その理由として、これまで、韓国の白色テロである済州島四・三事件(1948年)から多くの人びとが逃亡してきたことを知っていたのだが、それは始まりではなかった。そのとき既にこの街は済州島出身者たちにより形成されており、逃亡者たちの受け皿になったということだったのだ。なお、本書には四・三事件のことは触れられていない。

1910年、日本による韓国併合。日本の近代漁法で漁場を荒らされ、やはり日本の近代的な大規模紡績工業による安価な綿布の流入によって唯一の有力産業である綿花栽培・手紡家内工業を壊滅させられた済州島民たちは、極貧に苦しむこととなった。これについて、過去の侵略戦争についてと同様に、日本のお陰で近代化したのだなどと嘯く輩がいるとすれば、それはTPPがどうのと得々と語る者たちの姿と重なることだろう。

もとより韓国本土からの差別を受けていた人びとが向かった先は、日本であった。なお、この差別感情について、著者は「沖縄島民に対する日本本土の人々の差別感に似た感情」であったと表現している。

1922年、尼ヶ崎汽船が大阪・済州島間に定期航路を開始し、1924年には朝鮮郵船も定期航路を開き、大阪への渡航がきわめて簡便になった。これにより、大正末期から昭和初期に端を発する済州島民の急増につながったのだという。この定期船の船名は「君ヶ代丸」と呼ばれた。

「「君ヶ代丸」とはまた奇妙な名前を付けた船舶だと思った。植民地の民がその支配者の国に移住しなければならない時に乗せられた船の名前に「君ヶ代」が使われるとは。皮肉を痛烈に感じた。」

猪飼野に住みはじめてからも苦難は続いた。差別により住居を貸してもらえず、ようやく探してからも1畳あたり平均2人ほどのぎゅうぎゅう詰めの暮らし。露店には警察に水をかけられ、開いた夜学も暴力的に警察に閉鎖させられ、職場でも労働条件や賃金に差を付けられた。想像することしかできないが、彼らの受苦がいかばかりのものだったか。

これらについては、メディアにおいてもっともらしい理由とともに当然だとの言説が醸成されたという。本書では、それらの言説について、いかに実態に基づかないものであったかを検証している。現在の高校無償化に関する権力とメディアの振る舞いに似ているものがある。

先月所用で大阪に行った際にも、折角なので鶴橋まで足を運んだ。やはり案内者がいないとよくわからず、適当に、駅近くの「やあむ」でレバ刺し、ハラミ、マッコリ。旨かった。しかし、あとで思い出した。徳山昌守が鶴橋に開いているという焼肉店に行こうと思っていたことを・・・。

●参照
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
梁石日『魂の流れゆく果て』(金石範の思い出)
鶴橋でホルモン(鶴一)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(練塀のルーツは済州島にある)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」(李静和は済州島出身)
野村進『コリアン世界の旅』(済州島と差別)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
『けーし風』沖縄戦教育特集(金東柱による済州島のルポ)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』(高木元輝こと李元輝が「Nostalgia for Che-ju Island」を吹く)


デリーは煙っていた

2011-11-06 00:40:03 | 南アジア

5回目のインド。デリーの大気はやけに煙っていて、ほんの少し先でも視界が濁っていた。ホテルで読む「The Times of India」紙は、空港でも視認度が悪いだの、危険ゆえクレーンを解体したり足場にポリエチレンのカバー(目立つよう)をするだのと毎日その様子を報じていた。どうやら風が吹かず湿度が高いという条件による現象のようで、2008年以降、毎年この時期に起きている。

2008年 10月6-7日
2009年 11月5-6日
2010年 11月18日
2011年 11月1日-?
(「The Times of India」、2011/11/2)


インド門があまり視えない

これまでよくネタにしていた「世界大気汚染都市ワースト10」(1998年、WHO調査)には、デリーは入っていないし、あってもよさそうなカトマンドゥ(ネパール)もランクインしていない。冬の太原の凄さはその通りだと思うが(暖房用に石炭を燃やしているため)、ミラノの空気が汚かった記憶はまるでない。古さや調査対象の母数は置いておいても、おそらくは年のうちの調査時期も影響するわけである。

1 太原(中国・山西省)
2 ミラノ(イタリア)
3 北京(中国)
4 ウルムチ(中国・新疆)
5 メキシコシティー(メキシコ)
6 蘭州(中国・甘粛省)
7 重慶(中国)
8 済南(中国・山東省)
9 石家荘(中国・河北省)
10 テヘラン(イラン)


大岡昇平『事件』

2011-11-05 22:57:48 | 思想・文学

バンコク経由、デリーに向かう便。時間がやたらとあって、大岡昇平『事件』(新潮文庫、原著1977年)を読む。

神奈川県の小さな町で、19歳の工員が、恋人の姉を刺殺する事件が起きる。検察は誘導に基づき自白を引き出すものの、弁護士の細部をえぐるような奮闘によって、次々にあやしい点が見えてくるようになる。検察、裁判官、弁護士の微妙な権力の鍔迫り合い、自白調書が作られることの怖さ、メディアや公判の場での雰囲気の醸成、そして真実というよりも複数の言説がカードのように入れ替わっていく様子などが細かく描かれていて面白い。

もちろん随分と古い話であって、当初の新聞連載は単行本化よりもさらに前の1961-62年である。何しろ170cm代の身長が大柄だとされている時代である。本書には、英米法は応報主義であり殺人は死刑となると書かれているが、現在では状況は一変している(死刑を廃止しなければEUには加盟できない)。これに対し日本では教育刑主義のため軽減される、云々とあるのを読んでいると、さて欧州と比較して、ミシェル・フーコー『監獄の誕生』で明らかにしたようなセンセーショナルな応報刑罰の消滅という観点からどのようにこの死刑現代史を読み解くべきなのだろうと思ってしまう。

帰国して頭痛がひどく(飛行機に弱いのだ)、読書もがっちりした映画も嫌なので、録画しておいたテレビドラマ版『事件』を観る。1993年、「土曜ワイド劇場」である。

弁護士が北大路欣也、検事が西岡徳馬、被害者のヒモが長谷川初範と、このあたりは「いかにも」な感じの配役だとして、被害者役の松田美由紀が実にイメージにぴったり。面白く、観ているうちに頭痛もおさまったが、文庫本600頁弱のディテールで攻める長編小説が1時間半のサスペンスドラマにおさまる訳はない。調べてみると野村芳太郎による映画もあり、弁護士=丹波哲郎、検事=芦田伸介、被害者の妹=大竹しのぶ、被害者=松坂慶子、裁判長=佐分利信など凄い俳優陣。これならばぜひ観たい。

●参照
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』