Sightsong

自縄自縛日記

デイヴィッド・マレイのソロ2枚

2019-06-16 09:43:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴィッド・マレイの1980年のソロ演奏が『Solo Live Vol.1』『Solo Vol.II』の2枚に収録されている。(CD版は1枚)

David Murray (ts, bcl)

2枚とも1980年5月30日、スイスでのライヴ演奏である。このときマレイは25歳。『The London Concert』の翌々年であり、またこの直後からヘンリー・スレッギルらを擁したオクテットの吹き込みを始めている。つまり勢いがあって怖いものなどないであろう時期。

これを聴くと、マレイの傑出した才能がよくわかる。オリジナル曲でも、モンクの「We See」やスタンダード「Body and Soul」でも、大きなヴィブラートをもって、大きな音の振幅で、鼻歌でも歌うかのような余裕で狂暴でもあるソロを吹いている。ブルースやソウルの味わいもマレイの身体を通過して出てきている。

それと同時に、後年のマレイを思い出すと、内部からどうしようもなく出てくるコアの部分は衰えるにまかせて、味の部分だけを拡大して提示してきたことも実感される。しかし、この5月にベルギーで聴いたトリオは素晴らしかったのだ。かつての天才が、ポール・ニルセン・ラヴ、インゲブリグト・ホーケル・フラーテンという若い実力者に突き上げられて安穏としているわけにはいかない。また蘇ってほしい。

●デイヴィッド・マレイ
デイヴィッド・マレイ+ポール・ニルセン・ラヴ+インゲブリグト・ホーケル・フラーテン@オーステンデKAAP(2019年)
デイヴィッド・マレイ feat. ソール・ウィリアムズ『Blues for Memo』(2015年)
デイヴィッド・マレイ+ジェリ・アレン+テリ・リン・キャリントン『Perfection』(2015年)
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京(2013年)
デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』、『Rendezvous Suite』(2012、2009年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
ワールド・サキソフォン・カルテット『Yes We Can』(2009年)
デイヴィッド・マレイの映像『Saxophone Man』(2008、2010年)
デイヴィッド・マレイ『Live at the Edinburgh Jazz Festival』(2008年) 
デイヴィッド・マレイの映像『Live in Berlin』(2007年)
マル・ウォルドロン最後の録音 デイヴィッド・マレイとのデュオ『Silence』(2001年)
デイヴィッド・マレイのグレイトフル・デッド集(1996年)
デイヴィッド・マレイの映像『Live at the Village Vanguard』(1996年)
ジョルジュ・アルヴァニタス+デイヴィッド・マレイ『Tea for Two』(1990年)
デイヴィッド・マレイ『Special Quartet』(1990年)
デイヴィッド・マレイ『The London Concert』(1978年)
デイヴィッド・マレイ『Live at the Lower Manhattan Ocean Club』(1977年)


新井一二三『台湾物語』

2019-06-15 21:56:20 | 中国・台湾

新井一二三『台湾物語 「麗しの島」の過去・現在・未来』(筑摩選書、2019年)を読む。

なるほど、台北を見て台湾を見た気になってはいけないということがよくわかる。台北は歴史的には外省人の都市、国民党の都市。しかし台北とそれ以外との対比はそう簡単ではないし、また、実際に交通インフラが整って住民にとっての距離が近くなったのは、比較的最近だということもまたわかる。

海の神・媽祖についての記述も面白かった。華南一帯における民間信仰の対象だが、マカオの名前の由来になったことは知らなかった(媽祖を祀った廟である媽閣から来ているという)。媽祖は海の交易ルートに沿って祀られており、東南アジアから沖縄、さらには青森の大間にまでたどり着いている(姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』)。何年か前には大久保にも媽祖廟ができた。本郷義明『徐葆光が見た琉球』によれば、沖縄では媽祖のことを「天妃」と称し、渡来後の中国人が礼拝していた。いま、天妃宮の跡は、那覇の天妃小学校に残る。なお本書によれば、香港では「天后」と称する。すなわち、台湾も沖縄も中国沿岸も、海からの視線で視なければならない。

●参照
何義麟『台湾現代史』
丸川哲史『台湾ナショナリズム』
佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』
黄銘正『湾生回家』
ウェイ・ダーション『セデック・バレ』
侯孝賢『非情城市』
Sakurazaka ASYLUM 2013 -TAIWAN STYLU-
デイヴィッド・ダーリング+ウールー・ブヌン『Mudanin Kata』
Panai『A Piece of Blue』、Message『Do you remember the days when we could communicate with ...』
趙暁君『Chinese Folk Songs』二二八国家記念館、台北市立美術館、順益台湾原住民博物館、湿地、朋丁、關渡美術館(、当代芸術館)


謝明諺+高橋佑成+細井徳太郎+瀬尾高志@下北沢Apollo

2019-06-15 12:44:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

下北沢のApollo(2019/6/13)。テリーさんは日本ツアー2日目である。

MinYen "Terry" Hsieh 謝明諺 (ts, 笛)
Yusei Takahashi 高橋佑成 (p)
Tokutaro Hosoi 細井徳太郎 (g, effect)
Takashi Seo 瀬尾高志 (b)

この日はすべてインプロ。

やはりテリーさんのテナーは素晴らしく巧い。高橋さん、細井さんのふたりが電子音を駆使するのだが、テリーさんはエフェクトなしでエレクトロニクスにもあらゆる自然音にも人の諄々とした発話にも擬態することができる。マウスピースを外しもした。テナーのマルチフォニックがこのグループに融合して、グループのマルチフォニックを創出しており、陶然とさせられた。

融け合うだけではなく、各人がときに異物となる。

瀬尾さんのコントラバスはもちろん低音の迫力を持つものだけれど、さらに、裏声のごとき音や、生死の境界にあるのではないかと想像させる官能的な音があって、そういったかれの異物ぶりが融合の安寧をしばしば揺り動かした。(休憩時間に、マーク・ドレッサーのハーモニクスはヤバいという話をうかがっていたのだが、瀬尾さんの音も余程のことである。)

高橋さんがこちらに背を向けてピアノに戻ると、静的な固有の世界も、またやはり異物の楔も提示した。細井さんのギターとエフェクトはときに透明でときに濁り、荘厳な感じさえあったのは面白いことだった。いきなり大はしゃぎの細井スペシャルが出たりもして。

融合、一体化、異物の反乱。アクションペインティングを思わせるサウンドだった。

Fuji X-E2、7artisans 12mmF2.8、XF60mmF2.4

●謝明諺
陳穎達カルテットの録音@台北(2019年)
東京中央線 feat. 謝明諺@新宿ピットイン(2018年)
謝明諺+大上流一+岡川怜央@Ftarri
(2018年)
謝明諺『上善若水 As Good As Water』(JazzTokyo)(2017年)
マイケル・サイモン『Asian Connection』(2017年)

●高橋佑成
森順治+高橋佑成+瀬尾高志+林ライガ@下北沢APOLLO
(2016年)

●細井徳太郎
WaoiL@下北沢Apollo(2019年)
ヨアヒム・バーデンホルスト+シセル・ヴェラ・ペテルセン+細井徳太郎@下北沢Apollo、+外山明+大上流一@不動前Permian(2019年)
合わせ鏡一枚 with 直江実樹@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2019年)
SMTK@下北沢Apollo(2019年)
伊藤匠+細井徳太郎+栗田妙子@吉祥寺Lilt
(2018年)


マリリン・クリスペル『A Concert in Berlin』

2019-06-13 08:15:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

マリリン・クリスペル『A Concert in Berlin』(FMP、1983年)を聴く。

Marilyn Crispell (p)

かなり初期のクリスペルの演奏。2年ほど前の1981年にWoodstock Jazz Festivalで弾いた映像ではまだ個性的なものが感じられないが、ここでは知的に硬質なソロを繰り出してきており、やはりクリスペルだ。残響を利用することもほとんどなく、潔いスタイルである。特にモンクの「Evidence」など冷たい水のように清冽。

このあとクリスペルのピアノ世界は成熟してゆき、最近の作品はややつまらないかなと感じている。しかし、2015年にThe Stoneで観たクリスペルは、そのスタイルで微笑みながら淡々と弾くのだけれど、魔女なのかとさえ思えるほど幻惑される音だった。

●マリリン・クリスペル
ハーヴェイ・ソルゲン+ジョー・フォンダ+マリリン・クリスペル『Dreamstruck』(2018年)
マリリン・クリスペル+ルーカス・リゲティ+ミシェル・マカースキー@The Stone(2015年)
「ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記」(2015年)
ガイ+クリスペル+リットン『Deep Memory』(2015年)
プール+クリスペル+ピーコック『In Motion』(2014年)
ゲイリー・ピーコック+マリリン・クリスペル『Azure』(2011年)
クリスペル+ドレッサー+ヘミングウェイ『Play Braxton』(2010年)
ルイス・モホロ+マリリン・クリスペル『Sibanye (We Are One)』(2007年)
マリリン・クリスペル『Storyteller』(2003年)
マリリン・クリスペル+バリー・ガイ+ジェリー・ヘミングウェイ『Cascades』(1993年)
ペーター・ブロッツマン
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)


セシル・テイラー『Nuits de la Fondation Maeght』の3枚

2019-06-13 07:48:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

ずいぶん前に、セシル・テイラー『Nuits de la Fondation Maeght』(Shandar、1969年)の3枚のうち2枚しか持っていないと書いたところ、仙台の塚本さんが3枚まとめて送ってくださったことがあった。もちろん順次聴いてはいたのだが、これは1日のコンサートを記録したものであり(1969年7月29日、ニース)、こちらも通して聴いたほうが良いに決まっている。そんなわけでまた3枚を続けて聴いた。

Cecil Taylor (p)
Jimmy Lyons (as)
Sam Rivers (ss, ts)
Andrew Cyrille (ds)

このときテイラーは40歳。テイラーの作品の中では比較的初期ではあるものの、もはや完成されたピアニストだ。カンパニー社の工藤遥さんやバリトンサックスの吉田隆一さんがテイラーの独自性を「冷たくて熱い」のように書いていたが、このサウンドもその通りである。きりきりに冷えた脳で集中しなければ動かせないであろう高速の指でエネルギーを保ち続けている。何を聴いてもテイラーのピアノは圧倒的。

もちろんサム・リヴァース、ジミー・ライオンズという個性の異なるサックスが絡み合うさまも面白いのだけれど、ここであらためて驚かされるのはアンドリュー・シリル。ちょうど今、NYでシリルをフィーチャーしたVision Festivalが開かれている。最近のシリルを観ればわかるが、武道の達人のごときドラミングは現役以上である。しかし、ここでのシリルはまだ29歳なのだ。その後のシリルよりも野蛮なあらあらしさが感じられる。

テイラーを聴くとなぜか生きる気力が湧いてくる。そう思わされたことは一度や二度ではない。たぶんその「なぜか」は、「冷たくて熱い」ところに秘密がある。

●セシル・テイラー
セシル・テイラー+田中泯@草月ホール(2013年)
ドミニク・デュヴァル セシル・テイラーとの『The Last Dance』(2003年)
セシル・テイラー+ビル・ディクソン+トニー・オクスレー(2002年)
セシル・テイラー『Corona』(1996年)
セシル・テイラーの映像『Burning Poles』(1991年)
セシル・テイラー『The Tree of Life』(1991年)
セシル・テイラー『In Florescence』(1989年)
ザ・フィール・トリオ『Looking (Berlin Version)』(1989年)
1988年、ベルリンのセシル・テイラー
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979~1986年)
セシル・テイラー『Michigan State University, April 15th 1976』(1976年)
セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』(1969年、76年)
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(1968年)
セシル・テイラー『Live at the Cafe Montmartre』(1962年)
セシル・テイラー初期作品群(1950年代後半~60年代初頭)


松本一哉+加藤裕士「消尽」@銀座奥野ビル306号室

2019-06-12 23:15:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

銀座の奥野ビルに、5年ぶりくらいに入った(2019/6/12)。

Hiroshi Kato 加藤裕士 (electronics)
Kazuya Yamamoto 松本一哉 (perc)

加藤さんは窓際でエレクトロニクスを触る。操作するというよりも、触るという感じである。左手で窓を締めると、外の音が外に追いやられるとともに、明るさは変わらない筈なのに暗闇がさらにまとわりついてくる。加藤さんという人の形、室内にある物の形、それらが暗闇と相互に浸食しあい溶けあっている。音もまた同様に暗闇と溶け合っている。しばらくして加藤さんが再び窓を開けたとき、それまで自分たちが感じていた時間はなんだったのかという不思議さがあった。

松本さんは、加藤さんが行った空間との相互浸食とは異なり、音で触ることにより、自分たちがいる空間を確かめる。蛇口から滴り落ちる水、窓ガラスやシンクの擦れ、乾ききった壁、それらの音がこちらの触覚とつながる。そして松本さんは大きな銅鑼を擦りはじめたのだが、やがて、部屋のあちこちが共振を開始した。びりびりと唸り、震え、部屋の地霊がそこかしこに口を持っているかのように話すのだった。驚いた。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4


高柳昌行+ペーター・コヴァルト+翠川敬基『Encounter and Improvisation』

2019-06-11 01:17:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

高柳昌行+ペーター・コヴァルト+翠川敬基『Encounter and Improvisation』(地底レコード、1983年)を聴く。

Masayuki Takayanagi 高柳昌行 (g, effect, etc.)
Peter Kowald (b)
Keiki Midorikawa 翠川敬基 (cello)

三者の弦がそれぞれ異なる領域で鳴っている。翠川さんのチェロが前面に出ることが多いが、ふっと、コヴァルトならではの絹のようなコントラバスが聴こえる。三者とも静かに自己作業をとり行いつつ、やはり静かに相互作用が起きている。間違いなく達人同士の音である。

●高柳昌行
内田修ジャズコレクション『高柳昌行』(1981-91年)
高柳昌行1982年のギターソロ『Lonely Woman』、『ソロ』(1982年)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(1976年)
『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』(1963年)

●ペーター・コヴァルト
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)(コヴァルトのコントラバスを使った作品)
アシフ・ツアハー+ペーター・コヴァルト+サニー・マレイ『Live at the Fundacio Juan Miro』(2002年)
アシフ・ツアハー+ヒュー・レジン+ペーター・コヴァルト+ハミッド・ドレイク『Open Systems』(2001年)
ペーター・コヴァルト+ローレンス・プティ・ジューヴェ『Off The Road』(2000年)
ラシッド・アリ+ペーター・コヴァルト+アシフ・ツアハー『Deals, Ideas & Ideals』(2000年)
ペーター・コヴァルト+ヴィニー・ゴリア『Mythology』(2000年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、1991、1998年)
ペーター・コヴァルト『Was Da Ist』(1994年)
ジュリアス・ヘンフィル+ペーター・コヴァルト『Live at Kassiopeia』(1987年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年) 

●翠川敬基
喜多直毅+翠川敬基+角正之@アトリエ第Q藝術(2019年)
ファドも計画@in F(2018年)
夢Duo『蝉時雨 Chorus of cicadas』(2017-18年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
1999年、井上敬三(1999年)
翠川敬基『犬の細道』(1992年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
富樫雅彦『かなたからの声』(1978年)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(1976年)
富樫雅彦『風の遺した物語』(1975年) 


藤木TDC、イシワタフミアキ、山崎三郎『消えゆく横丁』

2019-06-11 00:27:32 | 関東

藤木TDC、イシワタフミアキ、山崎三郎『消えゆく横丁 平成酒場始末記』(ちくま文庫、2019年)。

消えた横丁、消えつつある横丁、再生した横丁。横丁は寂れていても賑わっていても、夜でも昼でも、人の心を惹きつけるものがある。

本書に紹介されている横丁は、新宿ゴールデン街や吉祥寺のハーモニカ横丁など再生したところもあるが、ほとんどは消えてしまったり、消えつつあったりするところばかりである。そりゃ理由はいろいろあるが、それにしても勿体ない。

文字通り、これらの横丁の空気を体感できるかどうかは時間との戦いである。江東区森下の五間堀長屋など、居酒屋「藤」や町洋食の「キッチンぶるどっく」にいつか行こうと思っていたのに、取り壊しとのニュースを読んだのが運悪く入院中であり、間に合わなかった。神田の今川小路も気が付いたら無くなっていた。その駅側の神田小路も再開発に伴う立ち退きが間もなくだそうである。ガード下のアーチ式の穴に複数店舗が入った奇妙な作りであり、「ふじくら」「宮ちゃん」でなんどか飲んだのだが、どれがどの店かわからなかった。隣の「次郎長寿司」にも早く行きたいと思っているのだが・・・。東銀座の三原橋の半地下も、シネパトスにしか行かなかった。ああ、勿体ない。

●参照
藤木TDC『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』
フリート横田『東京ヤミ市酒場』


熊谷博子『作兵衛さんと日本を掘る』

2019-06-10 21:15:43 | 九州

熊谷博子『作兵衛さんと日本を掘る』(2018年)を観る。

筑豊の炭鉱労働者であり、のちにその様子をたくさんの絵として描き残した山本作兵衛についてのドキュメンタリーである。

いまも残される坑口跡や設備があることに驚いてしまうが、その映像により、人を使い潰した歴史がさらに現実の歴史として迫ってくる。

それにしても、クローズアップによって仔細に観れば観るほど凄い絵の数々だ。現代美術の菊畑茂久馬が一時期創作から離れたのは、作兵衛の絵に衝撃を受けたからでもあった(知らなかった!)。それはリアルであるだけではない。語りや炭坑節が筆で書き込まれ、それを追っていくと歴史の変えようのなさに無力感を覚える。面白いことに、リアルでない面もあった。炭坑の中で女性が服を着ていることは、作兵衛の思いやりであった。それは炭鉱労働の経験者が絵を観て嘘だと笑ったから、わかったことである。その後の絵では、女性も上半身裸となっている。

上野英信さん、上野朱さん、当時の炭鉱労働者(老人ホームに入っている)、作兵衛のお孫さんなど、登場人物を絞ってじっくりと撮られた作品であり、とても濃密だ。

また、国策により職を追われた炭鉱労働者たちが、原子力発電の労働者となっていったことも示唆されていることにも、注目すべきだ。熊谷監督が『むかし原発いま炭鉱』でも言及していることである。たんにエネルギー政策という面だけではなく、労働者という面でも、石炭の歴史は原子力の歴史につながっている。それでは、原子力労働者は、次にどこに流れさせられるのか。軍事なのか。

黒田京子・喜多直毅デュオの音楽も出色。

あわせて、隣のカフェ・ポレポレ坐での「上野英信の坑口」展も観た。福岡市文学館で2017年に開かれた『上野英信展 闇の声をきざむ』と連携した展示である。筑豊文庫創立の書、上野英信の珍しい版画、サークル村の機関誌、上野が使っていた万年筆(メーカーがわからなかった)、『眉屋私記』を書き換えた過程がわかる原稿、ボタなど、興味深い展示だった。改めて、上野がもっと生きていて沖縄をさらに深堀していたなら、と考えてしまう。

山本作兵衛を世に紹介しようとした上野英信は、炭鉱労働にとどまらず、移民(原子力と同様、炭坑労働者の棄民政策として)、南米、沖縄とどんどん視野を拡げ、また同時に深堀もしていった。そしてその根っこに、天皇制を見出していた。

「戦場であれ、炭鉱であれ、日本人であれ、朝鮮人であれ、<いわれなき死>の煙のたちのぼるところ、そこにかならず<天皇>はたちあらわれるのです。」(『天皇陛下萬歳』)

●炭鉱
上野英信『追われゆく坑夫たち』
上野英信『眉屋私記』
『上野英信展 闇の声をきざむ』
伊藤智永『忘却された支配』
西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』
奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
本橋成一『炭鉱』
三木健『西表炭坑概史』
勅使河原宏『おとし穴』(北九州の炭鉱)
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の仮想的な炭鉱)
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
石井寛治『日本の産業革命』


澤田一範+松井節子+小杉敏+村田憲一郎@行徳ホットハウス

2019-06-09 00:08:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

行徳のホットハウス(2019/6/8)。

Kazunori Sawada 澤田一範 (as)
Setsuko Matsui 松井節子 (p)

Satoshi Kosugi 小杉敏 (b)
Kenichiro Murata 村田憲一郎 (ds)
Guest:
Teiji Sasaki 佐々木悌二 (b)

インプロとかフリーとかばかり聴いていると、どジャズに包まれたくなる。そんなわけでここに来た。

澤田一範さんのアルトはちょっとスモーキーだ。バラード演奏のときに、特に、息を強く吹き込んで敢えて音をひっくり返すようなところもあって、とても良い。エリントニアン7なんかのアンサンブルでもきっと音が浮き出てくるんだろうな。

そして松井節子さん。無駄なことは言わず、奇を衒わず、しかし洒脱なフレーズを繰り出してきて、さっとソロを切り上げる。もう滅茶苦茶カッコいいのだ。この境地ばかりは若いピアニストには真似できないと断言する。松井さんのプレイはここでしか聴けないし、みんな行徳に来るように。

曲は、Out of Nowhere、I Can't Get Started、Hot House、Confirmation、You'd Be So Nice to Come Home to、Golden Earings、Blue Minor、Old Folks、Star Eyes、In a Sentimental Mood、Big Footなど。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●参照
中村誠一+松井節子+小杉敏+村田憲一郎@行徳ホットハウス
(2018年)


藤井郷子+ラモン・ロペス『Confluence』

2019-06-08 18:11:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

藤井郷子+ラモン・ロペス『Confluence』(Libra Records、2018年)を聴く。

Satoko Fujii 藤井郷子 (p)
Ramon Lopez (ds)

ラモン・ロペスはスペイン生まれパリ在住のドラマーで、フリージャズ中心の活動をしているという。だだっ広く静まり返った空間の中を、選ばれ研ぎ澄まされた音が響く。それらの一音一音が鼓膜に届くたびに快感を覚える。長沢哲さんに共通するものがある。

ここで藤井郷子さんはペダルをいつもよりかなり踏み、残響を活かした音作りをしている。内部奏法は思ったよりも少ないが、その音もまた残響の文脈の中にある。これが周波数域の狭いロペスの音と重なるときの良さといったら。音が消えて静寂が訪れても、ここでは、その静寂が大きな意味を持っている。

●藤井郷子
邂逅、AMU、藤吉@吉祥寺MANDA-LA2(2019年)
藤井郷子『Stone』(JazzTokyo)(2018年)
This is It! 『1538』(2018年)
魔法瓶@渋谷公園通りクラシックス(2018年)
MMM@稲毛Candy(2018年)
藤井郷子オーケストラ東京@新宿ピットイン(2018年)
藤井郷子オーケストラベルリン『Ninety-Nine Years』(JazzTokyo)(2017年)
晩夏のマタンゴクインテット@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
This Is It! @なってるハウス(2017年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)
藤井郷子『Kitsune-Bi』、『Bell The Cat!』(1998、2001年)


平田俊子『低反発枕草子』

2019-06-08 18:00:23 | 思想・文学

平田俊子『低反発枕草子』(幻戯書房、2017年)を読む。

詩人によるエッセイ集。twitterかどこかで目にして、気になって買った。

ちょっとすっとぼけた雰囲気が良いし、文章がとてもうまくて好きだ。料理にたとえるなら、毎日ちゃんと握る塩むすびのような感じ。

そうか、電車の中で隠そうともせず大口を開けてあくびをする人とか、スマホいじりに夢中で肘をぶつけてくる人とか、そんな気に入らない人に対して、いちいち怒りをあらわにして毒づくよりも、こんなふうに言ったり書いたりすればいいんだな。

オススメ。


マーティン・エスカランテ+沼田順+石原雄治@なってるハウス

2019-06-08 13:13:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

入谷のなってるハウス(2019/6/7)。

Martín Escalante (as)
Jun Numata 沼田順 (g, electronics)
Yuji Ishihara 石原雄治 (ds)

先日に続き再びエクストリーム系アルトのマーティン・エスカランテ。いやネックを取り去った楽器だからアルトと呼んでいいものかどうか。

迎え撃つふたりもエクストリーマーとなる気満々だったようで、いきなり三者で爆走する。沼田さんはギターで止まっては滝から落ちるように弾いたり(激しくて弦が切れてひらひらしていた)、エレクトロニクスに走ったり止めたり。石原さんはともかくも叩きまくっている。

マーティンはあらためて観察すると結構多彩で、キーを操作せずに首の動きや全身の痙攣だけで音色を変化させたりもしている。そしてひたすら動くためにこの濁流がハコの中をうねっている。

セカンドセットはやや三者とも落ち着きを取り戻し、それぞれの個人作業を見つめてプレイし始めた。しかし結局はみんなエクストリーマーとなった。

Fuji X-E2、7Artisans 12mmF2.8、XF35mmF1.4

●マーティン・エスカランテ
マーティン・エスカランテ、川島誠、UH@千駄木Bar Isshee(2019年)
マーティン・エスカランテ+ウィーゼル・ウォルター『Lacerate』(2018年)
シシー・スペイセク『Spirant』(2016年)

●沼田順
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2019年)
mn+小埜涼子@七針(2019年)
mn+武田理沙@七針(2019年)
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2018年)
中村としまる+沼田順『The First Album』(2017年)
RUINS、MELT-BANANA、MN @小岩bushbash(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年) 

●石原雄治
Zhu Wenbo、Zhao Cong、浦裕幸、石原雄治、竹下勇馬、増渕顕史、徳永将豪@Ftarri(2018年)
石原雄治+山崎阿弥@Bar Isshee(2018年)
TUMO featuring 熊坂路得子@Bar Isshee(2017年)
窓 vol.2@祖師ヶ谷大蔵カフェムリウイ(2017年)
『《《》》 / Relay』(2015年)
『《《》》』(metsu)(2014年)


デュッセルドルフK20/K21の艾未未とワエル・シャウキー

2019-06-08 11:43:45 | ヨーロッパ

デュッセルドルフでは、近現代の美術館がK20とK21とに分かれている。K21は特に80年代以降のアートに焦点を定めている。

まずはK21に足を運んだ。特別展は艾未未(アイ・ウェイウェイ)である。

もちろん艾は権力との緊張関係をアートにし続けているのだが、そこには様々なアート的要素の引きだし方を見て取ることができる。挑発、相手の利用、自分のキャラ化、商売。おそらくそれらが鼻についてかれのアートを嫌う人もいるのだろうけれど、しかし、この精神的恐竜のごとき物量はさすがである。

展示室に入ったところには多くの古着。それらは壁の無数の写真と同じく、シリアなどからギリシャ・マケドニア国境あたりに流れ着いた難民の人びとのものであった。ホロコーストを意識したクリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーション「MONUMENTA 2010 / Personnes」アンゼルム・キーファーの立体作品のように、アクセスするたびに身体にかなり近い記憶が喚起される。

難民が乗った船を竹で作った作品も見事だ。それは弱弱しくも強くもあり、向こう側が透けてみえることによって、やはりこちらの想像力を喚起し、そののちに澱を残す。福建省からペルシャ湾までの海上の道を夢想した蔡國強「saraab」、またザイ・クーニン「オンバ・ヒタム」もそうだが、アジアのアーティストにとって、船とは苦難の歴史と直結するものなのかもしれない。

そして世界中の権威ある建物に向かって中指を立てる「Study of Perspective」。これほどあからさまな立ち位置の表明もそうはないだろう。あとでサックスのフローリアン・ヴァルターにこの話をしたら、かれもまた影響を受け、曲のタイトルに使ったと話してくれた。

それ以外の現代アーティストたちの作品は玉石混交(それはどこだってそうだ)。嬉しいことに、エジプトのワエル・シャウキー(Wael Shawky)の映像作品を観ることができた。ガラスなどを使って奇妙な人形を作り、十字軍時代の中東を、イスラームの側から視た映像として作品としている。静かでもあり、奇天烈でもあり、魅せられる。以前にニューヨークのMOMA PS1で驚かされたものだ。DVDがあったら欲しい。

数日後にK20にも足を運んだ(共通券を買っておいた)。ここでも艾未未

四川大地震(2008年)のあと、艾は現地に入り、瓦礫の中から鉄骨を収集し、すべて真直ぐに伸ばした。そこには権力のかたちのメタファーも見出せる。しかし、そんな単純なメッセージよりも、この物量がおそろしさとしてこちらを圧倒する。

犠牲者などの詳細は当局により伏せられたのだが(当時、わたしも中国によく行っており、口コミでいろいろと聞かされた)、かれは学生を動員して、犠牲者リストを作成し、アートとした。サンフランシスコ近代美術館の「Art and China after 1989 Theater of the World」展 で観たときにも思ったのだが、記録こそが現代の呪術であり、それはまたアートでもあるはずだ。

石を粉にしてひまわりの種に整形し、色を塗る作品。ある村で、仕事がない人びとを動員して作った作品である。これもまた信じられないという思いとともにいつまでも凝視してしまう。

●艾未未
「Art and China after 1989 Theater of the World」@サンフランシスコ近代美術館
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展
北京798芸術区再訪 徐勇ってあの徐勇か


ミヒャエル・エンデ+イェルク・クリッヒバウム『闇の考古学』

2019-06-07 08:04:08 | ヨーロッパ

ミヒャエル・エンデ+イェルク・クリッヒバウム『闇の考古学 画家エドガー・エンデを語る』(岩波書店、原著1985年)を読む。

ミヒャエル・エンデの父親は画家のエドガー・エンデである。

生前はほとんど作品が売れず、さしたる評価もなされなかった。ふたたび光が当てられたのは、ミヒャエルが自著の表紙や挿絵に父親の作品を使ったからである。(わたしにとっては、中高生のころに『鏡の中の鏡』日本語版の表紙を見たときの驚きが大きい。)

この対談集を読むと、エドガーが売れなかったのも理由なきことではなかったのだなとわかる。カテゴリーにはまるわけでもなく(シュルレアリスムとはずれる)、商売に迎合せず、スタイルは何十年も変わらない。そしてナチの迫害があった。

画風は、抽象的なものではなく、具体的な形を提示するものの単純な解釈を許すものではない。というよりも、エドガー本人も、生まれ出てきた謎を謎のまま提示していた。従って、極端なものを好む向きには中途半端な画風にみえたのかもしれない。

この中間領域については、ミヒャエルも同様の思想を持っている。それは対談において、輪廻を宗教や文化によらず共通の事実だと断言していることにもあらわれている。人間であれば誰でも持っている謎の領域を謎なのだと認識させることになる芸術であり、それはエドガーの絵にもミヒャエルの小説にも共通している。

●参照
ケルンのルートヴィヒ美術館とヴァルラーフ・リヒャルツ美術館
ミヒャエル・エンデ+ヨーゼフ・ボイス『芸術と政治をめぐる対話』