与那原恵『美麗島まで』(文芸春秋、2002年)を読む。(現在はちくま文庫から出ている。)
沖縄出身の著者が、祖先の生きた跡を辿りながら、台湾や東京を歩く。
わたしは今年はじめて台北を旅したが、すこし空気が濃密ですこし開かれた場の雰囲気に、那覇と似たものを感じた。本書の時間旅行に付き合っていると、それは当然のことに思える。地理的な近さだけによるものではない。台湾と沖縄との間は多くの人が行き来していたという。息遣いを介した空気の共有によっても、感覚的な距離はとても近い。
いろいろな発見がある。与那国島や石垣島は台湾からとても近く、戦後まもなくは密貿易が活発な場所だった(奥野修司『ナツコ 沖縄密貿易の女王』や石原昌家『戦後沖縄の社会史―軍作業・戦果・大密貿易の時代―』)。それ以前には、後藤新平の開発独裁(佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』)により製糖やパイナップルの小規模農家が支援対象から外れ、台湾から沖縄にやってきた人たちも多かった。金城功『近代沖縄の糖業』にあるように、構造的に台湾での製糖産業がうまくいったからといって、それはすべての人にとってのことではなかった。また、なんと終戦直後の与那国では、住民たちの署名が集められ、台湾に帰属したいと蒋介石に陳情があったのだという。
そして、池袋モンパルナスにおける大嶺政寛(東京⇄沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村@板橋区立美術館)、同じ池袋の「おもろ」に出入りしていた山之口貘(山之口貘のドキュメンタリー)。すべてはコミュニティにおいてつながってくる。それはきっと今も同じである。
●与那原恵
与那原恵『まれびとたちの沖縄』