ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵(バプリック・エネミー)No.1と呼ばれた男 Part2 ルージュ編
2008年/フランス
‘S’の悲劇
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
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ビジュアル
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音楽
0点
予め言っておくと『Part 1 ノワール編』の冒頭のシーンはこの『Part 2 ルージュ編』の最後で細かく描写されている。
このフランスで‘社会の敵ナンバー・ワン’と恐れられた男、ジャック・メスリーヌが主人公で2部構成の作品から、どうしても今年の初めに観たスティーヴン・ソダーバーグ監督の『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳別れの手紙』と比較したくなってしまう。ソダーバーグの作品は残念ながら失敗だった故に苦痛だった265分の苦い記憶が甦ってしまい、ジャック・メスリーヌも最初は観ることを躊躇ったのであるが、今回の246分は十分に堪能できてほっとしている。
ジャック・メスリーヌの不幸が何だったのか考えると、ひとえに彼の名字にあるような気がしてならない。メスリーヌは‘Mesrine’と綴られて‘メリーヌ’とフランス語では発音されるのであるが、‘s’があるために‘メスリーヌ’として有名になってしまう。ジャックは‘メリーヌ’と‘メスリーヌ’の2つのアイデンティティーに振り回されているように見える。
アルジェリアでの従軍時でもジャックは女性を避けて男性を銃殺するなど、基本的に女性には優しい面があるのだが時々悪事に手を染めようとするジャックを非難した妻を殴るなど非情な面をのぞかせる。
強盗犯でありながら監獄の改善を求めるなど‘革命家’を気取り変装も上手いが故に、ジャック本人が自分が本当はどうなりたかったのか把握し損なっている苛立ちが父親とボスとの愛憎相半ばする関係と絡めて彼を無謀な行動に駆り立てている有様がとても良く描かれていた。
「能なしでもできる」発言など仕分け人が謝罪(読売新聞) - goo ニュース
かつて国の審議会が推薦するような児童劇が面白かったことがあっただろうか?
少なくとも私が児童だった頃には面白かったものはなかったように思う。だいたい
劇というものは道徳から逸脱したようなものが面白いか、あるいは児童自ら演じて
みる事で劇の面白さというものが理解出来るようになると思う。だから「子供たちに
直接夢や希望を与える事業は大切にすべきだ。私の政治判断として、要求通りと
したい」と結論づけた取りまとめ役の民主党の菊田真紀子衆院議員の政治判断は
明らかに間違っている。因って“能無しでもできる”という民間の仕分け人である
「Office WaDa」の和田浩子代表の発言は言葉足らずであり、より正確を期する
ならば、仕分け人も“能無しでもできる”と自嘲を込める必要があるのだ。