2012
2009年/アメリカ
恐ろしいのは『2013』の方
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
ローランド・エメリッヒ監督は監督名だけである程度の集客が期待できる今時珍しい映画監督ではあるが、彼の作品から‘ディザスター’部分を取り去ってしまうと何も残らないくらいに内容は薄い。事実、‘ディザスター’部分さえなかった前作『紀元前1万年』は完全な失敗作であった。
『2012』も相変わらずの‘ディザスターぶり’であり、相変わらずの安い家族愛の物語である。
話がそれで終わっていたならば今回も私は0点をつけるつもりでいた。しかし監督自身が意図したのかどうか定かではないのであるが、ラストで大どんでん返しがあったのでそのことを記しておきたい。
余りにもつまらなかったという理由で途中で席を立つことがなければラストシーンに何が映っていたのか容易に思い出せるだろう。隆起したアフリカ大陸である。アフリカ大陸がどのような状況になっているのか具体的には描かれていなかったが、全く描かれていなかったことが何を意味しているのか考えてみる。もしもアフリカ大陸でも被害があったとするなら、‘方舟’に乗って生き残った人たちは暫くの間元々劣悪な環境の中で多量の屍を片付けなければならないが、もっと恐ろしい可能性はアフリカ大陸が無傷であった場合である。全てのアフリカ諸国は蚊帳の外に置かれてG8の先進国によって巨大な自然災害から逃れる計画が立てられていた。さて、災害がおさまり方舟がアフリカ大陸に着岸する時、ジャクソン・カーティスの家族をはじめとする西洋人や東洋人に対して、動物以下として彼らに見捨てられたアフリカ各国の人々はどのように接してくれるのだろうか? 間違いなく立場は逆転して方舟で生き残った人たちは運良く殺されなかったとしても奴隷のように扱われるであろう。新世紀0001年からはアフリカの世紀になるのである。私はこの作品をディザスター・ムービーを装った、人間の様々な差別を皮肉を込めてあぶり出す作品として高く評価したいと思う。
この作品の一番恐ろしい部分は実はこの作品が終わってからなのであるが、2012年12月21日に暇を持て余してこの作品のDVDを見ていたら思わず笑ってしまうだろう。でももしかしたら......いや、心配はいらない。どうせ私は選ばれないから。
【核心】篠山紀信さんヌード写真集 家宅捜索 屋外…撮影行為の違法性問う(産経新聞) - goo ニュース
問題となった篠山紀信の写真集『NO NUDE by KISHIN 1 20XX TOKYO』
について捜査幹部は「誰が撮影した場合であっても不特定の人が見ることのできる
屋外で裸のモデルを撮っていたのであれば違法行為で、取り締まる必要がある」と
説明するのだが、例えば当たり前であるがいくら野外で裸になっていても誰も見て
いる人がいなければ捕まることはない。今回の捜査は撮影当時に通報されて問題
になったわけではなく、写真集を見たことで野外で裸になっていた事実を知ったの
だから、後は撮影当時にどのような状況で撮影されていたのかが争点となるだろう。
あらかじめ人の往来に配慮していれば問題になることはないと思うが、写真という
媒体は芸術性というよりも偶然であれ用意周到であれ有り得ない一瞬を記録して
しまうスキャンダル性にこそ価値があると思うから警察とはもともと相性が悪い。