MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

ジャーナリストと演出家の違い

2011-08-03 07:26:55 | Weblog

なでしこジャパンは敢えて国民栄誉賞の辞退を【週刊・上杉隆】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
佐々木監督「心引き締まる」=なでしこ国民栄誉賞受賞で会見(時事通信) - goo ニュース

 なでしこジャパンの国民栄誉賞に関して演出家のテリー伊藤も2011年7月30日の

毎日新聞の夕刊で書いている。テリー伊藤は王貞治が受けたプレッシャーなどを挙げた

上で、「それでも、私の意見は、『もらえるものは、もらっておこう』。賞の重さの一方で

『地位が人をつくる』ということもある。今回の栄光を胸に、誇り高く、日本サッカーのために

がんばってほしい。」そのかわりとしてテリー伊藤は「割烹なでしこ」「クリーニングなでしこ」

などの例を挙げて、「生涯、どんな形でも『なでしこ』の名を名乗る権利を受賞の副賞として

彼女たち全員に与えるべきだと私は思う。」と締めている。テリー伊藤は、イチローが現役で

あるということで国民栄誉賞を2度も辞退していることを何故か言及していないし、

女子ソフトボールが世界一になった時や、ワールドベースボールで日本が優勝した時に

国民栄誉賞の話が全く出なかったことにも言及していないどころか、既に彼女たちが引退

した後の事を心配してしまっている。発言に責任を持たなければならないジャーナリストと

思いつきの適当な発言が許されてしまう演出家の信頼度は明白である。団体で受賞する

ために佐々木監督が国民栄誉賞を辞退することが難しい事はよく理解できる。だからもしも

オリンピックで金メダルが取れなかったとしても、その責任は菅直人が負うべきなのである。


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『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』 100点

2011-08-03 07:07:14 | goo映画レビュー

トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン

2011年/アメリカ

ネタバレ

良質の‘インスタレーション’

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 最初にキャラクター有りきという点を鑑みるならば『トランスフォーマー』は『ポケットモンスター』と出自を同じくしているために、『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』は『劇場版ポケットモンスター ベストウィシュ ビクティニと白き英雄 レシラム』と同様にモダンアート色が強く、『劇場版ポケットモンスター』よりも‘意味の排除’は徹底しているように感じた。
 そもそも前作まで大活躍してオバマ大統領から表彰までされたプリンストン大学の卒業生である主人公のサム・ウィトウィッキーを無職に設定することで彼のアイデンティティーを奪い、彼に存在意義を与えていない。だから彼の父親であるロン・ウィトウィッキーと母親のジュディ・ウィトウィッキーの突然の訪問はサムとの親密な親子関係を描くというよりも、例え無職であっても彼の存在意義を認める役割を果たすことになり、血縁関係がなくても存在意義を失っているサムを愛してくれるカーリー・スペンサーをゲットできるように‘無意味’なアドバイスをサムに与える。
 そんなサムの恋敵となるのが、資産家でカーリーが勤める会社の社長という肩書きを持つディラン・グールドであり、‘無意味’なサムは立派な存在意義を持つディランとカーリーを巡って争うことになる。
 しかし結局、サムは肩書きを得られないままトランスフォーマーたちの争いに巻き込まれることになり、ほとんど逃げ惑うだけに終始する。寧ろここで‘決定打’を放つのはカーリーの方であって、メガトロンに対する彼女の‘悪魔の囁き’でディセプティコン側は自滅することになる。
 ラストでサムは相変わらず‘無意味’なままでカーリーに受け入れられることになり、トランスフォーマーたちは敢えて地球で‘無機質’のマシーンとして生きることを選択する。
 登場人物たちから‘意味’を排除し、物語を空虚なものにした上で、目眩くトランスフォーミングに徹したマイケル・ベイ監督の演出は、良質のモダンアートのインスタレーションと見なせるものだと思う。


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