MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

“酒乱”に“酒乱”と非難され

2011-08-17 01:19:27 | Weblog

成田山新勝寺に抗議140件 津波被災松燃やす計画に(朝日新聞) - goo ニュース
京都市民の思い、地元の薪に 送り火騒動に謝罪の意込め(朝日新聞) - goo ニュース

 京都の「五山送り火」にしても千葉県の成田山新勝寺にしても、死者を弔う気持ちは

あっても、それはあくまでも“条件付き”だったということが図らずもバレてしまった。

おそらく京都にまで放射性セシウムは飛んではいないだろうから、余計なことをして放射性

セシウムをまき散らさないで欲しいという気持ちが湧くことは理解出来ないことではない。

問題は成田山新勝寺の方である。千葉県に放射性セシウムが飛んでいないことはないと

思う。だから岩手県陸前高田市の「高田松原」の松を検査する時には、地元の護摩木も

一緒に検査してもらいたいと思う。“酒乱”に“酒乱”と非難されているようで気分が悪い。

お互いに無理矢理“飲まされた”のだけれど。


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『モールス』 90点

2011-08-17 01:07:49 | goo映画レビュー

モールス

2010年/アメリカ

ネタバレ

‘中性’としてのヴァンパイア

総合★★★★☆ 90

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 さすが小説家のスティーヴン・キングが絶賛しただけあって、オリジナルの2008年のスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』(トーマス・アルフレッドソン監督)を超えた仕上がりになっていると感じた。
 主人公の12歳のオーウェンは同級生のケニーたちに「女の子のようだ」と言われていじめられている。オーウェンの家の隣にアビーという名前の‘少女’がトーマスという男と共に引っ越してきた頃から街で事件が起こるようになる。
 時代は1983年で、アメリカ大統領はロナルド・レーガン、舞台はマンハッタン計画で有名なロスアラモス国立研究所があるアメリカのニューメキシコ州ロスアラモスで、両方とも‘マッチョ’を象徴している。そのような‘マッチョ’に抵抗するかのようにヒットチャートはボーイ・ジョージ率いるカルチャー・クラブやデヴィッド・ボウイなどの‘中性的’な‘イコン’たちが賑わしていた。
 アビーは自分は‘少女’ではないとオーウェンに告白する。それは『ぼくのエリ 200歳の少女』のように少女が男だったという意味ではなく、そのような性別を超えている存在を意味するところが、オリジナルとは決定的に違うところである。
 アビーとオーウェンは友達にはなれない。オーウェンはトーマスの後を引き継ぐ形でアビーという‘中性’の象徴を守る役割を担わなければならないからである。男性の‘マッチョ’に対抗する手段として女性ではなく、中性の‘ヴァンパイア’を選択せざるを得ない切なさが胸を打つ。‘ヴァンパイア’は今だに‘ホモ’だの‘ゲイ’だのと差別されているからであるが、世界を‘マッチョ’から救えるのは‘ヴァンパイア’だけなのである。


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