MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』 100点

2011-08-11 23:58:35 | goo映画レビュー

イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ

2010年/アメリカ=イギリス

ネタバレ

‘犬のクソ’という高評価

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 西洋美術の歴史の流れは‘威厳’からの解放に向かっている。古典絵画の貴族などの肖像画は印象派において庶民を描くようになり、やがて人間そのものが‘威厳’と見倣されて、キュビズムなどで抽象化されてしまうのだが、そのうち敢えて有名人を描くことで‘威厳’を皮肉るというモダンアートへたどり着く。
 ところで、『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』は現在のモダンアートの状況を描いている。作品の前半で描かれる、監督のバンクシーを含むストリート・アーティストたちは、作品を一過性のものとして‘ストリート’に描くことで‘権威’になることから逃れようと試みている。彼らはそれぞれ自らのアプローチを試行錯誤しながら追い求めている。
 そこに現れた人物がフランス人で、古着屋を営み、趣味でストリート・アーティストをビデオで撮影していたティエリー・グエッタである。やがてティエリーは自ら作品を制作するようになる。アンディ・ウォーホルを真似ただけの彼の作品は個性などまるでないのであるが、メディアを上手く利用した結果、初の個展は大成功をおさめる。
 ここで問題となるのは、この作品が事実なのか、あるいは監督のバンクシーが仕組んだものなのかよく分らないところである。ティエリー・グエッタには映画を撮る才能が無いとバンクシーは断言してしまうのであるが、ティエリーが完成させた90分の‘シュール’な映像作品は映画としてならともかくも、インスタレーションとして本当に観る価値が無いのかどうか疑問が残る。そもそも本当にそんな作品が存在するのかどうかも怪しい(本当に存在するならばDVD化の時に特典映像として必ず収録されているだろう)。個展の準備作業中にティエリーが足の指を骨折してしまうのであるが、その時の重要であるはずの動画が何故か収録されずに、数カットの映像で処理されているのもおかしい。マドンナがティエリーの作品をアルバムジャケットに採用しているのであるが、マドンナは‘騙されて’いるのか、あるいは今回の‘プロジェクト’に一枚噛んでいるのか? Run DMCの写真使用に関して写真家のグレン・フリードマンに著作権侵害でティエリーが訴えられた裁判もパブリシティの一環だとするならば?
 しかしもしもこの作品が本物のドキュメンタリーであったとしても、最初にも書いたようにモダンアートというものは‘威厳’からの解放であるのだから、アンディ・ウォーホルという‘威厳’を皮肉ることにティエリー・グエッタはミスター・ブレインウォッシュとして成功しているのである。美術であっても映画そのものであってもどちらにしてもこのような‘威厳’の潰し合いこそがモダンアートの真髄であることは間違いない。


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『FNS27時間テレビ』の趣旨

2011-08-11 00:05:14 | Weblog

芦田愛菜ちゃん まさかのキスにネット住民悲鳴(R25) - goo ニュース

2011年8月1日の読売新聞の「放送塔」という視聴者の投稿欄に面白い記事を見つけた。

「フジテレビ系23~24日の『FNS27時間テレビ』は、SMAPが福島の被災地で料理を

ふるまい、人々が笑顔を見せていた。よい企画と感心した。しかし、『歌へた自慢』など

他のコーナーには疑問を持った。見ている人をバカにしていると思う企画もあった。」

『視聴者バカにした企画』と題されたこの投稿は50代の女性からのもので、「よかった」

が3通で、「くだらない」など批判が10通あったようだ。50代ならば『FNS27時間テレビ』

のそもそもの趣旨が日本テレビ系の『24時間テレビ 愛は地球を救う』のパロディで

あることを知らないはずはないと思う。だから矢部浩之は“意味も無く”100キロ走る

ことで、“真面目さ”を嗤ったのであるが、要するに“読売新聞”が癪に障ったのであろう。


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