特集:追加上映・ポルトガル映画祭
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初期のマノエル・ド・オリヴェイラ
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
初期のマノエル・ド・オリヴェイラ監督を語ることは難しい。イタリア・ネオレアリズモの先駆けと評される長編デビュー作『アニキ・ボボ』を撮ったのは監督が23歳の1942年なのであるが、興行的に失敗してしまったために、2作目の『春の劇』が撮られるのは11年後の1963年になってしまう。ところがこのキリストの受難を描いた『春の劇』は‘偉い方がた’の顰蹙を買ったようで、3作目の『過去と現在 昔の恋、今の恋』が撮られるのはさらに9年後の1972年になる。
公開当時は話題にもならなかったが、今ではイタリア・ネオレアリズモの先駆けと評されている『アニキ・ボボ』を撮った後に、オリヴェイラが選択したテーマはキリストの受難劇である。キリストの受難を描いた作品として有名なものはメル・ギブソンが監督して2004年に公開された『パッション』であるが、キリストの受難を‘忠実’に描いた『パッション』とは異なり、オリヴェイラは16世紀に書かれたテキストを基にクラリャという山村の素人の村人たちに演じさせるのみならず、作品冒頭で、人類が月に行ったという新聞の記事を読ませたり、劇であることをはっきりさせるためにわざわざ撮影カメラを映し出す。もちろん素人によって演じられる劇は拙いものであり、ポンテオ・ピラト総督とナザレのイエスの対立は、棒読み同士で劇として盛り上がることはないのだが、資料に拠るならば「自ら『作品歴のターニングポイント』と述べる本作でオリヴェイラが発見したのは『上演=表象の映画』という極めて豊かな鉱脈だった。一見して不自然な『虚構』のドキュメントだけが喚起する謎と緊張。前人未到の『映画を超えた映画』の始まり。」らしい。私にはこの文章の意味がよく分からないので、私なりの解釈を述べるならば、『パッション』は、その出来の余りの良さに、あくまでも‘昔話’として観賞してしまうが、『春の劇』は俳優の演技の拙さと、カチンコを使うことなく、日常と劇の境界線をはっきりと分けて描くことをしないために、却って絶えずキリストの受難が観客の身近に迫ってくる上に、ラストで挿入される原爆や水爆や戦争の記録映像で観客は止めを刺される。
このように過去と現在の混乱はオリヴェイラの長編3作目でも描かれるのは、その『過去と現在 昔の恋、今の恋』というタイトルでも明らかである。主人公のヴァンダはフィルミーノと再婚しているのであるが、交通事故で亡くなった前夫リカルドを忘れられずにいて、部屋のあちらこちらにリカルドの写真が飾ってあった。そのことに耐えられなくなったフィルミーノは自殺してしまうのであるが、実はリカルドの双子の弟として接していたダニエルがリカルド本人であることを知って、ヴァンダは改めてリカルドと結婚することになる。しかしすぐにヴァンダは亡くなったフィルミーノばかりを思い出すようになり、フィルミーノの肖像画を飾る始末である。
部屋の鍵穴を覗く、ヴァンダに雇われている女中の目が頻繁に描かれているところから、『過去と現在 昔の恋、今の恋』はスクリューボールコメディというよりも、『春の劇』と同様に‘映像’そのものに関する考察なのだと思う。だからラストでラケルとベルミーロの結婚式に招待されて、遅れながらも教会に赴いたにも関わらず、煩わしい現実を避けて、自分の身勝手な‘幻想’しか愛せないヴァンダとリカルドには座る席が無かったのである。
そのような観点を踏襲するのであるならば、1988年の『カニバイシュ』は、‘幻想’の現実への侵犯と捉えられる。エンリケ・ダヴィルダ子爵と結婚したマルガリーダは、実は子爵の四肢が作り物であることを子爵自身によって知らされてショックを受けて自殺してしまうのであるが、それを知って遺産を手に入れることを企てるマルガリーダの兄の弁護士はブタと化して、弟と父親は獲物であるブタに群がるオオカミと化す。気付かずに、暖炉で焼身自殺した子爵の遺体を食した時には変化せずに、欲望が剥き出しになった時に動物と化す演出が冴えている。
‘幻想’と現実を対等に扱ったマノエル・ド・オリヴェイラ監督のその後の作品に関しては機会を改めて書くことになるだろう。
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私にとってWarrantは全くハマらないバンドだった。最大のヒット曲らしい「Cherry Pie」
は1975年にリリースされたArrowsの、あるいは1981年にリリースされたJoan Jett &
The Blackheartsの「I Love Rock 'n' Roll」に(あるいは1987年にリリースされた
Def Leppardの「Pour Some Sugar on Me」に)、1969年にリリースされた
Led Zeppelinの「Heartbreaker」をつなげたような感じだったし、バラードの「Heaven」
も、1971年にリリースされたHarry Nilssonの「Without You」のような感じで、
要するに、オリジナリティを感じなかったのであるが、本国ではかなり売れたらしい。
結局、私はアメリカ人と同じようにロックを楽しむことが出来ないのだと痛感したのである。