モーリス・ルブランの『金三角(Le triangle d'or)』(1917年)は本文でも言及されているように、エドガー・アラン・ポーの『盗まれた手紙(The Purloined Letter)』(1845年)に着想を得て書かれたものであるが、アーサー・コナン・ドイルの『ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)』(1891年)は探しているものが手紙か写真かの違いだけで、ストーリーはほぼ『盗まれた手紙』をなぞっていると言っても過言ではないほどである。
ウィキペディア日本語版の「盗まれた手紙」に拠れば、江戸川乱歩は『ボヘミアの醜聞』に関して「これはほとんど『盗まれた手紙』を模して書かれたもので、しかし面白さにおいても文学的価値においても『格段の違いがあり、模して及ばざるのはなはだしきものであろう』」と評しているらしい。確かに乱歩の言う通りではあろうが、『盗まれた手紙』の理屈っぽさに比べるならば、『ボヘミアの醜聞』は読みやすいという点は評価しても良いと思う。
ところで驚いたのは訳者あとがきで、簡単に要点を書くならば、ドイルの父親のチャールズ・アルタモント・ドイルはエディンバラ市に勤める設計技師であり日曜画家だったが、アルコール依存症を患い、1879年に精神病に入院し、1893年に退院することなく亡くなっている。一方で、母親のメアリは、1875年からドイル家に下宿していたドイルの6歳年上の先輩医師であるブライアン・チャールズ・ウォ―ラーと恋愛関係になったらしい。1882年に、ウォ―ラーが故郷のマッソンギル村に戻ると、後を追うようにメアリとドイルの3人の妹たちがウォ―ラーの家の隣に引っ越して1917年まで暮らしたということなのだが、ドイルとしては納得できる話ではなかったようで、その複雑な私生活が小説に反映されており、つまり「シャーロック・ホームズ」シリーズはドイルの「私小説」として読める可能性があるというのである。
「ドイルにとっては非常に大切なはずの第一作の表題が『ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)』というのも気になる。ドイルの頭のなかには、いつも母のスキャンダルのことが渦巻いていたのかもしれない。『スキャンダルが公になることは大変だ』と言ってびくびくしていたのは、作中の人物ボヘミア王ではなく、実は著者ドイルだったのである。」(『シャーロック・ホームズの冒険』 アーサー・コナン・ドイル著 小林司/東山あかね訳 河出文庫 2014.3.20 p.727)
としか『ボヘミアの醜聞』に関しては書かれていないが、単純にドイル本人をシャーロック・ホームズ、父親をボヘミア王、母親をアイリーン・アドラー(いわゆる「あの女(The woman)」)、ウォ―ラーをアイリーンの結婚相手のゴドフリー・ノートンとして捉えるならば、辻褄が合う話ではないだろうか。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/book_asahi/trend/book_asahi-14872537