少年は残酷な弓を射る
2011年/イギリス
強烈な赤、無力な白
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
作品冒頭で、外から流れてくる風で室内にたゆたう白いカーテン。しかし場面は突然、真っ赤に染まっている群集の頭部に切り替わる。おそらくトマト祭りに興じる人々に混じって夫のフランクリンと共に参加している主人公のエヴァ・カチャドリアンは完全に気持ちが舞い上がっており、避妊もせずにフランクリンとセックスをし、望まない妊娠をしてしまうのであるが、産婦人科において幸せそうな妊婦たちの大きなお腹を見て気分が悪くなってしまうエヴァの子供に対する嫌悪感が、やがてケヴィンと名づけられる息子によって報復されるとは想像もしていなかったであろう。
しかし私たちの目に強烈に焼き付けられるものはケヴィンの言動以上に、‘赤’である。トマト祭りの赤は言うまでもなく、何者かの嫌がらせによりエヴァの家と車は赤いペンキがかけられ、「EXIT」の文字も赤く光り、トマトスープの赤色の缶詰に埋め尽くされた棚に、娘のセリアが遊んでいるクマのぬいぐるみも何故か真っ赤である。
赤と同じ位に‘白’も、例えばエヴァが勤める旅行会社の壁など本作ではしばしば見かけるのであるが、それならばその不吉な赤に対抗する色として白が活躍するのかと期待でもしようものなら見事に裏切られてしまう。何故ならば白はケヴィンが身に着けるシャツのイメージであり、冒頭にたゆたっていた白いカーテンの向こうで起こっていた惨状を私たちは最後に目撃することになり、要するに白はただ赤く染まることを待っているだけの無力な存在なのである。
原題「WE NEED TO TALK ABOUT KEVIN(私たちはケヴィンについて話す必要がある)」通りに、最後までエヴァだけは殺さずに、実の母親に‘生き地獄’を味わわせるケヴィン本人も犯行動機がよく分かっておらず、ストーリーの内容に関しては観客に委ねられている。リン・ラムジー監督は色にしか興味が無いようであるが、例えば、赤と青と黄色の弓矢の的をケヴィンの瞳に映し出すことで、ケヴィンの狂気と同時にその後の弓矢による惨劇を暗示させるなど、その作画は類まれなるものである。
いじめ火傷痕多数、学校はその子に自主退学要求(読売新聞) - goo ニュース
同級生からたばこの火を腕に押しつけられるなどのいじめを受けた仙台市の私立高校2年
の男子生徒は33人の生徒たちに対してたばこの火を押しつけられてできた“根性焼き”を
見せたことで「傷痕が尋常ではなく、ほかの生徒に動揺を与える」などとして生徒部長を
務める教諭から口頭で自主退学を求められたらしいのであるが、理屈が通っていない。
例えば、生徒たちに見せた“根性焼き”が男子生徒自らが腕につけたのであるならば、
それは“脅し”と見做せるが、いじめによって他の生徒からつけられた“根性焼き”が原因で
何故被害者の方が退学しなければならないのか全く意味が不明であり、この高校の
国語の授業が正常に行なわれているのかどうかが気になってくる。
女子マラソン、民主党並みマニフェスト!最低でも入賞はいずこ…(夕刊フジ) - goo ニュース
女子マラソン部長の武冨豊コーチは「チームとして戦わないと、個人でやっていたら(海外
勢に)取り残される」として、代表として危機感を共有し、6~7月に米フラッグスタッフで初の
合同合宿を行い、給水を融通できるようボトルの中身も打ち明け合ったようであるが、
あくまでも個人競技のマラソンが、水泳や卓球や体操やフェンシングのように“団体競技”
と見做していいものかどうか疑問が残る。合同で練習してしまうと、予期しない出来事に
対して同じような対応しか取れないために、総崩れしてしまう危険性が高まるように思う。
やはりマラソンは有森裕子や高橋尚子や野口みずきなどの“変わり者”こそが強いのであり、
代表選手の選考の仕方も性格なども考慮する必要があるだろう。
間諜X27
1931年/アメリカ
愛憎の証しとしてのピアノ曲
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
主人公のX27ことマリー・コログランを演じるマレーネ・ディートリッヒの、作品冒頭のガス自殺を図ってアパートから運び出される白い布がかけられた娼婦の死体を見つめる視線から、ロシアのクラノウ大佐を逃走させた罪で目隠しを拒絶して銃殺される際の視線に至るまでクールに装うのであるが、決して冷徹ではないことを彼女はピアノを弾くことで証明する。
ヒンダウ大佐を自殺に追いやり、クラノウ大佐と接触を試みるあたりまではイヴァノヴィチの「ドナウ川のさざなみ」やベートーヴェンの「月光」を弾いているのであるが、クラノウ大佐を追うようにして、キャサリンという偽名を使って、家政婦として将校宿舎に乗り込んだ時には収集した情報を暗号に変えて楽譜に書き込む。その曲に「ロシアの大佐を躍らせて」とタイトルを付けた大佐は、ピアノが弾けないという大佐の言葉を信じて既成の曲を弾いて誤魔化そうとするX27の代わりに自ら弾き始め「1つの音符が1000人の兵の死を意味するのだろう」とつぶやき、やがてその楽譜を燃やしてしまう。黒猫を抱きながら、そのような大佐の言動を見つめ、あくまでも冷静を装うマレーネ・ディートリッヒ。後に暗譜していた曲を情熱を込めて弾きながら楽譜に書き起こす彼女の記憶力は1000人の敵兵に対する憎悪と同時に、一人の男性に対する愛情によって強化されていたはずであり、燃やされた楽譜の炎は怨念と情念が入り混じった比喩であったことを私たちは遅ればせながら知ることになる。
『アダムとイブ』(1963-67年)
もう終わってしまったが、5月6日まで東京都現代美術館で催されていた靉嘔の展覧会
「靉嘔 ふたたび虹のかなたに」は素晴らしいものだった。レインボーを利用した緻密で
ありながらユーモアにも溢れた作風で、個人的には1993年頃に制作されたオリンピックを
テーマにしたものが良かった。81歳の靉嘔は間違いなく現代アートの第一人者であるが...
埼玉県立近代美術館で5月20日まで催されていた「草間彌生 永遠の永遠の永遠」は
今年83歳になる草間彌生の、ここ2、3年の間に制作された新作が展示されており、その
バイタリティーだけでも凄いのであるが、ヴィデオで草間は「ピカソやウォーホルよりも
有名になりたい」と宣言していた。精神病院を拠点に活動しているアーティストに勝てる人は
いない。
ROAD TO NINJA -NARUTO THE MOVIE-
2012年/日本
思いがけない‘遭遇’
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
今回は原作者自らが企画からストーリー、キャラクターデザインまでを手がけた劇場版完全新作ストーリーで、特に主人公のうずまきナルトと両親の「思いがけない再会」という本作の設定について、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ロバート・ゼメキス監督 1985年)に影響を受けていると語っているようだが、ナルトと春野サクラの立場が代わったり、登場人物の性格が正反対になったりするところなどは、『決死圏SOS宇宙船』(ロバート・パリッシュ監督 1969年 )というカルト作品を思い出させたりもする。
メインの登場人物が亡くなった両親と再会するという設定は同時期に公開されている『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's』(草川啓造監督 2012年)と奇しくも被っている。『魔法少女リリカルなのは』の八神はやては両親と再会しても「幸せな夢」と見做してドライに対応するのであるが、ナルトは夢であることは分かっていても、自分をうずまきメンマと呼ぶ両親を目の前にして完全に舞い上がってしまう。同時期に製作されながら、死んだ両親に対する態度の相違が主人公の性別から来るものなのか、あるいは観客層に応じたものなのか、それとも‘魔法’と‘忍術’の違いによるものなのか興味は尽きないが、個人的にはナルトの気持ちがよく分かる。忍者への道は厳しい。
東電OL殺害、再審確定…検察が特別抗告断念(読売新聞) - goo ニュース
2012年6月30日のスポーツニッポンの江川紹子の「私の快答」というコーナーの内容に
驚いた。検察側が解明していない問題点を挙げ、有罪立証が尽くされていないことを指摘
した一審が無罪だった東電OL事件は、二審(高木俊夫裁判長、飯田喜信裁判官、芦沢政治
裁判官)が、さまざまな状況証拠をマイナリ有罪説の立場で解釈し、組み立てて有罪とし、
原則とは逆の「疑わしきは被告人の“不”利益」という手法を取り、最高裁(藤田宙靖裁判長、
金谷利広裁判官、浜田邦夫裁判官、上田豊三裁判官)も追認してしまう。不法残留で有罪が
確定していたマイナリは、一審無罪の判決直後、入管施設に移送され、そのまま強制送還に
なるところを、検察側が待ったをかけ、拘留を申し立てた際に、地裁、高裁と相次いで退けた
が、控訴審の担当となった高木裁判長らが、3度目の申し立てを認め、最高裁もこれを
追認した。この二審の高木俊夫裁判長は、足利事件でも控訴審の裁判長を務め、菅谷利和
の無実の訴えを退け、無期懲役の一審判決を維持するなど冤罪作りに加担していたにも
関わらず、退官後は、瑞宝重光章を受けている。故人に文句を言っても仕方がないのだが。
エイトレンジャー
2012年/日本
ギャグとストーリーの奇妙な比重
総合
0点
ストーリー
0点
キャスト
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演出
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ビジュアル
0点
音楽
0点
『劇場版 SPEC~天~』(2012年)が制作費を無視したままストーリーをむやみやたらに膨らませてしまったために、内容がスカスカになっていたことと比較するならば、本作は身の丈にあったヒーローたちの活躍を見ることはできる。キャプテン・シルバー役の舘ひろしから「敗者の条件」の著者である猫ひろしを経て、懐ひろしの選挙ポスターの‘ひろしシリーズ’、青田典子から青木さやかの‘青シリーズ’や、ジョニー・ウォーカーならぬ「Johnny's Winter」というスコッチ・ウイスキーなど相変わらずの堤幸彦監督作品に頻繁に現れる‘親父ギャグ’の健在が良いことなのかどうか見慣れてしまったためにもはや冷静な判断ができないのであるが、どうしても理解できないことはキャプテン・シルバーと鬼頭桃子の関係である。結果的に桃子の母親を警察に‘売って’しまい、死に追いやってしまったキャプテン・シルバーは、その後警察を辞めてヒーローとして活動することになり、母親を失ってしまった桃子が自分を必要とする時にはいつでも助けにこれるようにと桃子に鈴を素顔を曝して直接渡しているにも関わらず、キャプテン・シルバーがマスクを脱いで正体を現しても桃子が驚くことなくシルバーに苦しみを与えられる桃子の心理が不可解で、シルバーの正体を知っているならば鈴を鳴らして呼び出せばいいだけなのに市内にある石油コンビナートを爆破すると脅す意図が掴めない。
しかし『劇場版 SPEC~天~』と同様に本作も続篇があり、テロリスト集団であるダーククルセイドの全貌などまだ明かされていない事実があるようなので評価は控えておくが、アイドルの関ジャニ∞がマスクをしなければならないという設定に本作の限界を感じるし(自身の正体が公にされることに絶えず逡巡しているバットマンとは裏腹に、本作にはヒーローがマスクを脱ぐことに対するカタルシスが全く感じられない)、主役の関ジャニ∞よりもベッキーの悪役の方が妙にハマっているように思う。
向井理は髪の長い女性がお好き?マニアックな発言も飛び出した「ガール」初日舞台挨拶(ハリウッドチャンネル) - goo ニュース
私の関心は「ガール」という映画にはなくて、この日に司会を務めていたTBSアナウンサーの
加藤シルビアにある。7月31日の「女子アナの罰」という番組で、TBS女子アナウンサーの
私服チェックという企画をしていた。残念ながら加藤シルビアの私服は部屋着の類のもので
あったが、加藤の鞄の中にはとんでもないものが入っていた。何と慶應義塾大学教授の
小熊英二の「私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集」だったのである。とても私には
小熊英二の文章を読み続けることができないので、加藤の頭の良さに感心してしまった。
小熊英二を愛読するような女子アナウンサーが今後どのようになるのか見守っていたい。
まさか毎日新聞社から出版されているからという“宣伝”ではないよね だって加藤が所持
していた本は図書館から借りたものだったから。
マダガスカル3
2012年/アメリカ
3Dとサーカスの相性
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
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演出
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ビジュアル
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音楽
0点
『マダガスカル』シリーズの3作目にして初の3D作品は、物語のメインとなるサーカスと抜群の相性の良さを見せている。その青を基調としたカラフルさもさることながら、サーカスの実技ならではの重力を無視したシュールなイメージのつらなりが観る者を最後まで飽きさせないところまでは良かったのであるが、例えば、おんぼろサーカスのリーダーであるビターリが、燃え盛るピンキーリング抜けに失敗してトラウマを抱えているのであるが、アレックスとの短い会話のやり取りで、オリーブオイルからヘアーコンディショナーに代えてトラウマを簡単に克服してしまう呆気なさがストーリーを薄っぺらいものにしている気がする。そのような心の‘葛藤’を排除してでもストーリーの軽快な流れを優先したというのであるならば、それは良しとしてもいいと思う程の出来である。