MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ある少年の告白』

2019-05-21 12:57:44 | goo映画レビュー

原題:『Boy Erased』
監督:ジョエル・エドガートン
脚本:ジョエル・エドガートン
撮影:エドゥアルド・グラウ
出演:ルーカス・ヘッジズ/ニコール・キッドマン/ラッセル・クロウ/ジョエル・エドガートン
2018年/アメリカ

「わずかな友情」の尊さについて

 『ビューティフル・ボーイ』(フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン監督 2018年)や『ドント・ウォーリー』(ガス・ヴァン・サント監督 2018年)では上手く機能していたキリスト教の教えではあっても、2007年頃のアメリカでさえLGBTには厳しく、そもそも自然に身についているものを無理やり変えようとすることに無理があるのだが、主人公のジャレッド・エモンズの父親のマーシャルは車のディーラーを営む傍らでバプテスト派の牧師という立場上、息子の性癖を赦すことができずに、ジャレッドを更生施設に送ってしまう。
 しかしやがてそんな父親たちの考えに反対するのはジャレッドの母親のナンシーで、要するにキリスト教の教えというものは男性原理だということである。マーシャルがジャレッドに対して誤解していることはジャレッドはゲイではあるが、友人に強姦されそうになったとしてもまだ男性経験はないということである。例えば、淫乱と言われる男性経験の無い女性を想像してみれば分かるのだが、淫乱の要素があるとしてもまだ経験はないのだから淫乱と呼ばれるのは不本意であることを、せめて両親は理解するべきなのである。
 ところで原題の「消された少年(Boy Erased)」とは誰を指しているのか勘案するならば、厚生施設の主任セラピストであるヴィクター・サイクスがジャレッドを折檻しようとした際に、電話を受けて迎えに来たナンシーにジャレッドを引き渡したキャメロンではないだろうか。キャメロンが折檻を受けていた時に唯一キャメロンの肩に手をあてて慰めたのがジャレッドで、二人の友情はそれだけなのであるが、そのわずかな友情こそが尊い理由は、その後、キャメロンは自殺したことにされたが、実際はサイクスたちに殺されたはずだからである。


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『ドント・ウォーリー』

2019-05-21 00:09:59 | goo映画レビュー

原題:『Don't Worry, He Won't Get Far on Foot』
監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:ガス・ヴァン・サント
撮影:クリストファー・ブローヴェルト
出演:ホアキン・フェニックス/ジョナ・ヒル/ルーニー・マーラ/ジャック・ブラック/ウド・キア
2018年/アメリカ

ギャグを理解することの難しさについて

 ドラッグとアルコールの違いはあるものの、本作は『ビューティフル・ボーイ』(フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン監督 2018年)の「後日談」のように見える。いずれにしても最後に頼むのはキリスト教の教えなのである。
 本作の主人公のジョン・キャラハンは実在する漫画家なのであるが、泥酔して自動車事故に遭遇し四肢麻痺になったのが21歳の時で、漫画家として活躍するようになるのは20代後半頃からである。
 キャラハンは親に捨てられたことが原因で若い頃から飲酒を始めたと本作では描かれているのだが、実際は、8歳の頃に養護院の修道女に性的ないたずらをされたことが原因で飲酒を始めたらしい。事実と異なるのは話が複雑にならないようにするためだろうか?
 ところで個人的に興味深かったシーンは、ペントハウスに初めて自分の風刺漫画が掲載され、その雑誌を持って馴染みのレストランに行った時で、その作品には壁だけが描かれ、その壁には「危険(Danger)」「不法侵入者たちは告訴される(Trespassres will be prosecuted)」「立入禁止(KEEP OUT)」「警告! このエリアはレズビアンたちによって巡回されている(Warning! This area patrolled by lesbians)」と書かれている。
 キャラハンは友人たちに見せて、この風刺漫画のどこが面白いのか訊ねるのである。一般的な解釈であるならば、レズビアンたちが巡回しているのならば男たちが不法侵入しても気に留めないだろうというものだが、訊ねられた者たちはレズビアンは普通の警備員よりも怖いからとかそれぞれ解釈が違うのである。
 つまり例えば日本人がスヌーピーの漫画を見てそのユーモアが理解できないことは多いが、ネイティブスピーカーでさえギャグの面白さを必ずしも理解しているわけではないのである。
 因みに原題の意味は「心配するな。彼は歩いて遠くまでいけない」という自虐ギャグである。このギャグには「歩いては遠くまで行けないが、車イスを使えば行ける」という含みを持たしているのである。


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『ビューティフル・ボーイ』

2019-05-20 00:56:12 | goo映画レビュー

原題:『Beautiful Boy』
監督:フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン
脚本:フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン/ルーク・デイヴィス
撮影:ルーベン・インペンス
出演:スティーヴ・カレル/ティモシー・シャラメ/モーラ・ティアニー/エイミー・ライアン
2018年/アメリカ

ストレスを生み出す「家族の肖像」について

 『ローリング・ストーン』などの雑誌でフリーランスのライターをしている主人公のデヴィッド・シェフの息子のニック・シェフは成績優秀な学生だったが、ドラッグに手を出し、「クリスタル・メス(いわゆるヒロポン)」の過剰摂取で完全なジャンキーに落ちぶれてしまう。
 デヴィッドはニックの母親のヴィッキーとニックの社会復帰に懸命に努力するのであるが、施設に入って1年以上クリーンでいられたものの、デヴィッドと父親の再婚相手のカレン・バーバーとジャスパーとデイジーの2人の異母兄弟と過ごした後に、ドラッグに手を出してしまうのである。
 使用したり止めたりを繰り返すニックが最後にどのようになるのかと思っていたら、デヴィッドはニックを救うことは出来ないことになり、デヴィッドとカレン自身が、そのような薬物中毒者を持つ家族が集う会合に出席し、薬物中毒の回復のため(To addiction recovery)の「The 3C」、つまり「自分たちは原因(Cause)ではない、治せ(Cure)ない、コントロール(Control)できない」ことを学ぶことになるのである。
 しかしニックの場合を勘案するならば、幼少時に父親が母親と離婚して再婚したことが要因であるだろう。父親の再婚を喜ばなければならず、新しい家族に対しても良い顔をしなければならないことにストレスを感じるからこそ、家族との再会後にドラッグに手をだしたはずなのである。


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『僕たちのラストステージ』

2019-05-19 12:57:29 | goo映画レビュー

原題:『Stan & Ollie』
監督:ジョン・S・ベアード
脚本:ジェフ・ポープ
撮影:ローリー・ローズ
出演:スティーヴ・クーガン/ジョン・C・ライリー/シャーリー・ヘンダーソン/ダニー・ヒューストン
2018年/イギリス・カナダ・アメリカ

色々と考えさせられる「年齢」について

 1937年はスタン・ローレルとオリヴァー・ハーディのお笑いコンビ「ローレル&ハーディ」は人気絶頂の頃なのだが、彼らのプロデューサーであるハル・ローチと契約問題でローレルがこじれてしまう。コンビで売っていたのだが、何故かローレルとハーディは個々でローチと契約していたのである。おそらく個々で契約した方がコンビで契約するよりも安く済むというローチの考えだったのであろうが、ローレルは我慢できずに裁判沙汰になる。ところがハーディはローチと契約を続けたために2人はしばらく別々に活動することになるのは、ハーディがギャンブル好きですぐにでも現金が欲しかったかららしい。
 時代は1953年に移って映画館で上映されている『凸凹火星探検(Abbott and Costello Go to Mars)』に主演している「アボットとコステロ」が人気をさらっているのだが、この2組は年齢的にはそれほど違いはない。ただ芸風を最初に作ったのはローレル&ハーディの方である。
 ローレル&ハーディが舞台で披露した「ハードボイルド・エッグとナッツ」の話を補足しておくと、右足を吊って入院しているハーディの病室にローレルが訪ねて来るのだが、ローレルがハンフリー・ボガートを気取って「ハードボイルド風」にやって来ることと、「ナッツ(nuts)」には「狂った」という意味があるから面白みが増すのである。このようなローレルの繊細なネタにバスター・キートンは感服したのである。
 エンドクレジットでローレル&ハーディのその後が短く紹介されている。ハーディは1957年、65歳で、ローレルは1965年、74歳で亡くなっているのだが、驚くのは彼らのプロデューサーだったハル・ローチでローチは1992年、100歳まで長寿を保ったのである。


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『ビリーブ 未来への大逆転』

2019-05-19 00:59:15 | goo映画レビュー

原題:『On the Basis of Sex』
監督:ミミ・レダー
脚本:ダニエル・スティープルマン
撮影:マイケル・グレイディ
出演:フェリシティ・ジョーンズ/アーミー・ハマー/ジャスティン・セロー/キャシー・ベイツ
2018年/アメリカ

「女性化」した夫の功績について

 本作はアメリカ合衆国最高裁判事となったルース・ベイダー・ギンズバーグの弁護士時代に経験した実話を基にしている。『ブラック・クランズマン』(スパイク・リー監督 2018年)が人種差別の問題を扱っているのに対して、本作は男女差別の問題が問われている。
 ルースはコロンビア大学でトップで卒業したにも関わらず、法律事務所に所属することができず、ラトガース大学ロースクールで教員として働くことになる。そのような中で夫のマーティンがルースに持ち込んだ案件が興味深い。働きながら母親を介護するために、介護士を雇いたかったのだが、未婚の男性であるという理由でその分の所得控除が受けられない状態だったチャールズ・モリッツという男性の案件だった。もしも女性の案件であるならばフェミニズムの問題、つまり女性の社会的地位向上の問題にすり替わっていたかもしれないのだが、男性の案件を通じて男女差別を争点にできたところは幸運といっていいと思う。
 もう一つ興味深いのはルースの夫のマーティンが精巣腫瘍を患ったということである。これはもちろん偶然ではあるが、マーティンの「女性化」が結果的にルースの法律家としてのキャリアを築き上げたのである。


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『ブラック・クランズマン』

2019-05-18 22:10:22 | goo映画レビュー

原題:『BlacKkKlansman』
監督:スパイク・リー
脚本:スパイク・リー/デヴィッド・ラビノウィッツ/ケヴィン・ウィルモット/チャーリー・ワクテル
撮影:チェイス・アーヴィン
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン/アダム・ドライバー/ローラ・ハリアー/トファー・グレイス
2018年/アメリカ

白人国家主義者の「耳の悪さ」について

 エンターテインメントとしてよく出来ていると思うが、ここでは時代設定を考えてみたい。
 実話を基にした本作は1979年の出来事なのであるが、居酒屋の壁に掛けられている「Now More Than Ever」という惹句の後にリチャード・ニクソンの顔が写っているポスターがあることを勘案するならば、アメリカ合衆国大統領選挙がおこなわれた1972年になる。
 スパイク・リー監督が何故敢えて1972年に時代設定を変えたのか推測するならば、その後ニクソン大統領は1974年にウォーターゲート事件で辞任に追い込まれたからであろう。ウォーターゲート事件とは1972年の大統領選挙期間中に民主党本部で起こった盗聴侵入事件なのであるが、本作も白人になりきって電話をした黒人のロン・ストールワース刑事の声をクー・クラックス・クランの最高幹部だったデービッド・デュークが「聞き破れない」物語で、白人国家主義者が「聴き損なう」ストーリーが描かれているのである。
 珍しくエマーソン・レイク&パーマーの曲がサウンドトラックで使われていたので「ラッキー・マン」を和訳しておく。最後のヴァースに皮肉が込められている。

「Lucky Man」Emerson, Lake & Palmer 日本語訳

彼には白い馬と女性がたくさんいた
女性たちは全員サテンをまとっており
ドアのそばで待っていた
彼はなんて幸運な男なんだろう

彼女たちは白いレースと羽毛でベッドを仕立て
黄金で覆ったマットレスの上で
彼は横たわった
彼はなんて幸運な男なんだろう

彼は母国と王様のために戦争へ行った
人々は彼の名声と栄光のために歌うのだ
彼はなんて幸運な男なんだろう

一発の弾丸が彼を捉え
彼が叫んだ時には流血していた
お金で彼を救うことはできず
彼は横たわると息絶えた
彼はなんて幸運な男なんだろう

Emerson, Lake & Palmer - Lucky Man (Official Lyrics Video)

Emerson, Lake & Palmer - Lucky Man (Live)

Emerson, Lake & Palmer - Lucky Man (Live at California Jam, 6th April 1974) [Official Visualiser]


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『レゴ(R)ムービー2』

2019-05-18 00:50:46 | goo映画レビュー

原題:『The Lego Movie 2: The Second Part』
監督:マイク・ミッチェル
脚本:フィル・ロード/クリストファー・ミラー
出演:クリス・プラット/エリザベス・バンクス/ウィル・アーネット/ステファニー・ベアトリス
2019年/アメリカ

レゴで学ぶ兄弟愛について

 前作はレゴで描かれる物語と実在の物語が上手く嵌っていないと感じたが、本作は兄と妹の兄弟喧嘩の暗喩をレゴにより上手く昇華できているように思う。本作は主人公のエメットがスウィート・メイヘム将軍により連れていかれたバットマンなどの友人たちをレックス・デンジャーベストと共に救出に向かうのだが、エメットは状況の劇的な変化により、すっかりその状況を元に戻してくれるのを手伝ってくれるレックスを信用してしまう。しかしレックスが「もう一人のエメット」だとエメット自身が気がついた時、それは「我儘」だということにエメットは理解するのであり、その気付きが兄の妹に対する愛情に変わるのである。
 しかし本作の本当の見どころはエンドクレジットのふざけ具合で、冒頭でふざける作品ならば『レゴバットマン ザ・ムービー』(クリス・マッケイ監督 2017年)や『劇場版 銀魂 新訳紅桜篇』(高松信司監督 2010年)などがあるが、エンドクレジットでは初めてのように思う。


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『えいがのおそ松さん』

2019-05-17 00:48:41 | goo映画レビュー

原題:『えいがのおそ松さん』
監督:藤田陽一
脚本:松原秀
撮影:福士享
出演:櫻井孝宏/中村悠一/神谷浩史/福山潤/小野大輔/入野自由/遠藤綾/鈴村健一/國立幸
2019年/日本

スパイダーマンに全く歯が立たないおそ松さんについて

 『スパイダーマン:スパイダーバース』(ボブ・ペルシケッティ/ピーター・ラムジー/ロドニー・ロスマン監督 2018年)と同時期に公開されたことが本作の最大の不幸である。全体的に青味がかった作風のみならず、6人のキャラクターが活躍する点も『スパイダーバース』と被ってしまい、世界が「崩れる」というストーリー設定ならば『映画 妖怪ウォッチ 空飛ぶクジラとダブル世界の大冒険だニャン!』(ウシロシンジ/横井健司監督 2016年)で既に描かれており、驚きがない。
 無理して長編の物語を紡ごうとするあまりショートストーリーで見せていたギャグの切れ味が全くなくなってしまっている。本当に作品冒頭のスキットだけで終わった方がよかったと思うぐらいである。


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『スパイダーマン:スパイダーバース』

2019-05-16 12:56:40 | goo映画レビュー

原題:『Spider-Man: Into the Spider-Verse』
監督:ボブ・ペルシケッティ/ピーター・ラムジー/ロドニー・ロスマン
脚本:フィル・ロード/ロドニー・ロスマン
出演:シャメイク・ムーア/ジェイク・ジョンソン/ヘイリー・スタインフェルド/マハーシャラ・アリ
2018年/アメリカ

モダンアートとしてのスパイダーマンについて

 本作を観てつくづく思うのはストーリー以上に作画の斬新さである。例えば、『アリータ: バトル・エンジェル』(ロバート・ロドリゲス監督 2019年)が実写にアニメーションを近づけようという試みだったとするならば、本作はリアルを限りなくアニメーションに近づけようという試みにさえ見える。
 さらにメインのスパイダーマンの他に異次元から「ピーター・パーカー(ピーターB)」「スパイダーグウェン」「スパイダーマン・ノワール」「ペニー・パーカー」「スパイダー・ハム」が現れるのだが、それぞれのキャラクターの描写が違うのである。ラストにおいては当初(1967年)の頃のスパイダーマンが2人現れ、指を指すなと言い争っているシーンを挿入してスパイダーマンのタッチの「進化」を見せ、タッチが違うキャラクターたちがメインのスパイダーマンの世界の中で縦横無尽に躍動する光景を見た時、これでは『未来のミライ』(細田守監督 2018年)が賞レースで適うはずもなく、何故このような作品が日本で生まれなかったのだろうと内心忸怩たる思いを抱いた。


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花田優一の絵の実力

2019-05-16 00:58:29 | 美術

 テレビ朝日で4月14日に放送された『松之丞カレンの反省だ!』という番組に靴職人の花田優一がゲストとして出演していた。花田優一のことを詳しくは知らないのだが、神田松之丞に「滝沢カレンの顔」というお題で絵を描くように言われた花田は、靴を制作よりも絵の方が先だったと言っており、どうやら絵の方が得意らしかったのであるが、花田は「絵に描き方などない」と啖呵を切り、画面に映った限りでは筆を使わずに指を使って描いており、どのような作品に仕上がるのか楽しみに見ていたら、上のような仕上がりなのである。
 まず人間の顔には見えない(オレンジ色で目と鼻を、赤で唇?)し、唯一理解できるのは右上に描かれている黒いカラスなのであるが、人間の頭(?)の上にカラスを描く神経が理解に苦しむ。絵の下手な人間が下手であることを悟られないように誤魔化すセンスの微塵も感じられない「抽象絵画」のお手本のようなものだとは思う。


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