本日のあっぱれ!熟年ファイターズ(広島ホームテレビ制作)は戦前の地図を手にして広島市中区の十日市・土橋・舟入界隈を訪ね歩く企画だった。野暮用で前半を見逃したのは残念だったが、舟入町の料亭・羽田別荘を紹介する場面には間に合った。
![昭和14年の広島市の地図(あき書房による復刻)より小網町・舟入町(広島市西遊廓)辺りを拡大、まだ土橋電停から南へ路線がのびていないことが分かる](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a6/d3f1bbd5c35b656dc9c1f576bf2dfd10.jpg)
広島市西遊廓のすぐ南にあった料亭は原爆投下によって焼失。僅かに残ったトンネル(奥には女将の住まいなどがある)の映像から戦前の華やかな様子を振り返る手法が見事であった。羽田別荘少女歌劇団(ハダカゲキ 大正7年に誕生し昭和16年に解散)で踊っていた女性(91歳 唯一の生き証人)の証言を挟む辺りは流石だ。
彼女の話からは戦前を生きた人たちがどんなに窮屈な世の中になっても楽しみを見い出そうとしたことが伺える。「戦前≒暗黒の時代」では決してないことを視聴者にさり気なく伝えていた。
私は番組を見てJR福山駅周辺の活性化へのヒントがあるように思った。現在、駅前の空洞化を懸念する声があるのは事実だが、福山市民が中心となって打開策を見つければいい話である。例えば戦災を免れた建物や石碑を巡るツアーを企画して多くの人たちに関心を持ってもらう、藩校跡地にできた中央図書館・まなびの館ローズコムの蔵書、展示などをもっとPRする、新たな祭りの開催、など色々なアプローチで市外・県外からのお客さんを呼び込むことも重要だ。
リピーター(観光客)は戦前の町並みだけを期待してやって来るのではない。古さと新しさの組み合わせ(つまりバランス感覚)が勝負の鍵である。広島市同様に廃墟から立ち上がった苦難の歴史を考えれば、様々な知恵を結集して克服できる問題だろう。それだけのレベルが福山人にはある、傾斜地だらけの暑苦しくて香ばしい田舎町(頭塵虚臭のメッカw)で暮らさざるを得ない連中とは違って(笑)
![昭和14年の広島市の地図(あき書房による復刻)より小網町・舟入町(広島市西遊廓)辺りを拡大、まだ土橋電停から南へ路線がのびていないことが分かる](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a6/d3f1bbd5c35b656dc9c1f576bf2dfd10.jpg)
広島市西遊廓のすぐ南にあった料亭は原爆投下によって焼失。僅かに残ったトンネル(奥には女将の住まいなどがある)の映像から戦前の華やかな様子を振り返る手法が見事であった。羽田別荘少女歌劇団(ハダカゲキ 大正7年に誕生し昭和16年に解散)で踊っていた女性(91歳 唯一の生き証人)の証言を挟む辺りは流石だ。
彼女の話からは戦前を生きた人たちがどんなに窮屈な世の中になっても楽しみを見い出そうとしたことが伺える。「戦前≒暗黒の時代」では決してないことを視聴者にさり気なく伝えていた。
私は番組を見てJR福山駅周辺の活性化へのヒントがあるように思った。現在、駅前の空洞化を懸念する声があるのは事実だが、福山市民が中心となって打開策を見つければいい話である。例えば戦災を免れた建物や石碑を巡るツアーを企画して多くの人たちに関心を持ってもらう、藩校跡地にできた中央図書館・まなびの館ローズコムの蔵書、展示などをもっとPRする、新たな祭りの開催、など色々なアプローチで市外・県外からのお客さんを呼び込むことも重要だ。
リピーター(観光客)は戦前の町並みだけを期待してやって来るのではない。古さと新しさの組み合わせ(つまりバランス感覚)が勝負の鍵である。広島市同様に廃墟から立ち上がった苦難の歴史を考えれば、様々な知恵を結集して克服できる問題だろう。それだけのレベルが福山人にはある、傾斜地だらけの暑苦しくて香ばしい田舎町(頭塵虚臭のメッカw)で暮らさざるを得ない連中とは違って(笑)
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