大阪市西成区山王3丁目5-25にある料亭・鯛よし百番。現在は予約制で鍋料理などを食べさせる店となっているため、撮影しても大丈夫だ。大正期の建築といわれる元遊廓は昼間見るのとは随分印象が異なる。暗闇に浮かび上がる姿は実際よりも大きく見えるのだ。
鯛よし百番は平成11年に国の登録有形文化財に指定された。料亭の斜向かい(南西の一角)には遊里絡みの石碑が建ち並ぶ。フラッシュを焚いた時に「飛田(遊郭)新地料理組合の歴史」というタイトルだけは確認できた。
明治四十五年一月十六日午前一時ごろに難波新地(南の大火)の
火災が発生。十一時間以上炎上し一帯を焼き尽くした。
その後、府下東成郡天王寺村大字天王寺東松田西松田の一部
原っぱ同然だった二万坪に通称「飛田遊郭」が
大阪府告示一〇七号貸座敷免許地として指定される。
大正七年には、飛田の一部で一六〇件~二〇〇件一戸当たり娼妓数十名
余りの店が営業開始(つまり、失業した貸座敷業者の救済)の目的
飛田遊郭を経営者は阪南土地会社であったが、大阪土地建物会社が
対等条件で合併し飛田遊郭の家屋賃経営を引き継いでいた。
大正七年前後に新たに開発された飛田は戦中に大きな被害を受け、
戦後は赤線として復興が進められる。
貸座敷はお客さんの宿泊は認められていたが
しかし、昭和三十三年『売春防止法』によって飛田は大きな転機を迎え
その後、当時の新地組合長・協同組合理事長・帳場長の三者により
会議を重ね、料理組合として誕生。
鯛よし百番は平成11年に国の登録有形文化財に指定された。料亭の斜向かい(南西の一角)には遊里絡みの石碑が建ち並ぶ。フラッシュを焚いた時に「飛田(遊郭)新地料理組合の歴史」というタイトルだけは確認できた。
明治四十五年一月十六日午前一時ごろに難波新地(南の大火)の
火災が発生。十一時間以上炎上し一帯を焼き尽くした。
その後、府下東成郡天王寺村大字天王寺東松田西松田の一部
原っぱ同然だった二万坪に通称「飛田遊郭」が
大阪府告示一〇七号貸座敷免許地として指定される。
大正七年には、飛田の一部で一六〇件~二〇〇件一戸当たり娼妓数十名
余りの店が営業開始(つまり、失業した貸座敷業者の救済)の目的
飛田遊郭を経営者は阪南土地会社であったが、大阪土地建物会社が
対等条件で合併し飛田遊郭の家屋賃経営を引き継いでいた。
大正七年前後に新たに開発された飛田は戦中に大きな被害を受け、
戦後は赤線として復興が進められる。
貸座敷はお客さんの宿泊は認められていたが
しかし、昭和三十三年『売春防止法』によって飛田は大きな転機を迎え
その後、当時の新地組合長・協同組合理事長・帳場長の三者により
会議を重ね、料理組合として誕生。