寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

笠岡市笠岡の地福寺に寄り真角踏切を渡る

2012年02月01日 | 
古城山を下りて光明山地福寺に寄る。高野山真言宗のお寺は浜街道から少し上がった所にあった。

笠岡市笠岡の光明山地福寺

地福寺門前から伏越地区を望む

境内に設置された伝道掲示板の張り紙に目を通し門前からJRの路線を望む。大磯まで行くべきか、それとも昼ご飯を食べに笠岡駅前に戻るべきか。時間の余裕は少ないのだ。結論が出ないまま南東に向かって歩く。

笠岡市笠岡の伏越(ふしごえ)地区

伏越地区から大磯地区へ向かう道(左へ曲がる)、ガードレール側に真角踏切はある

伏越地区を示す標識の先で道は緩やかにカーブしていた。このまま行くと大磯地区に入るが、ガードレール側に真角(まかど)という踏切があった。

JR山陽本線・真角踏切から南方を望む

JR山陽本線・真角踏切の表示

結局私は早く駅前に戻るコースを選択した。真角踏切を渡って南下。線路沿いの細い道筋は山陽本線の電車を撮影するには絶好のポイントである。

倉敷方面に向かう電車を真角踏切の西側から撮影

遮断機が下りる音が聞こえたので暫く待って倉敷方面に向かう黄色い車両をカメラに収めた。ここから西へ向かうと戦前の歓楽街跡地に出る。

戦前の盛り場(跡地)への西からの入口

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笠岡市の古城山公園から干拓地を見下ろす

2012年02月01日 | 
稲富稲荷神社から更に上を目指す。途中に鏡石と呼ばれる松尾芭蕉の句碑や休石などがあった。

芭蕉の歌碑の内容

招魂社

川柳公園を通り過ぎて古城山公園に到着。笠岡城の遺構が残っていないのは明治の末に山の頂を削り取って未新田(ひつじしんでん)の埋め立てに使用したためである。私はまず招魂社の前に立ち戦没者の御霊に手を合わせた。

鯉が泳ぐ池

たくさんの鯉がいる池の畔で親子連れが遊んでいた。私は母親と少し話をして檻の中のサルを観察した後、展望台に上がり笠岡市街を見下ろした。

笠岡港を望む

笠岡港、伏越港と番町地区の形状がよく分かる。計画的に干拓が進められた歴史を目に焼き付けるためにはここまで来なければならないのだ。この日は晴天に恵まれ飛行船まで見ることができ得をした気分だった。

伏越港と番町地区を望む

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