昔の年寄りは会話の中でよく隠語を使い笑いを取っていた。我が国の諺で犬という単語が出てくるものはほとんどが悪い意味だが、備後の年寄りも畜生の名を用いることを得意としていた。中でも『犬のク○』は傑作だ。
本能のおもむくまま同じことを繰り返す畜生が捻り出す固形物(左おねじり)が「臭いだけで肥料にもならぬ」ことから「役立たず」とか「ろくでなし」という意味になっていた。実際、隠語で貶されるのは世のため人のためにならぬ掃き溜め共だった(笑)
犬つながりでスピードを競いあった道路での出来事を思い出した。昔、通勤で港へ向かう長い直線道路(滑走路状)を走っていたが、法定速度を遥かにオーバーした車ばかりだった。そこへ薄汚れた犬(や猫)が横断しようと飛び出て跳ねられることが多かったのである。横っ腹からソーセージを出してヒクヒクしている小動物に容赦なくカラスやトビが襲い掛かった…
そして晩に同じ道を通るときれいに(引き取り手のない)なめし皮になっていた。一部の人間のわがままによってホカされた哀れな生き物が衝突事故で間引かれ、そして猛禽類によって掃除される現象を見るたびに「世の中はうまく出来ているな」と思ったものだ。さて近い内に行われる総選挙もこれと似たような状況になるだろう。先送りすればなめし皮の数が増えるだけである。
本能のおもむくまま同じことを繰り返す畜生が捻り出す固形物(左おねじり)が「臭いだけで肥料にもならぬ」ことから「役立たず」とか「ろくでなし」という意味になっていた。実際、隠語で貶されるのは世のため人のためにならぬ掃き溜め共だった(笑)
犬つながりでスピードを競いあった道路での出来事を思い出した。昔、通勤で港へ向かう長い直線道路(滑走路状)を走っていたが、法定速度を遥かにオーバーした車ばかりだった。そこへ薄汚れた犬(や猫)が横断しようと飛び出て跳ねられることが多かったのである。横っ腹からソーセージを出してヒクヒクしている小動物に容赦なくカラスやトビが襲い掛かった…
そして晩に同じ道を通るときれいに(引き取り手のない)なめし皮になっていた。一部の人間のわがままによってホカされた哀れな生き物が衝突事故で間引かれ、そして猛禽類によって掃除される現象を見るたびに「世の中はうまく出来ているな」と思ったものだ。さて近い内に行われる総選挙もこれと似たような状況になるだろう。先送りすればなめし皮の数が増えるだけである。
明治生まれの祖父と大正生まれの祖母がいたため私は小さい時から世の中のカラクリ(賂と見返りなど)について学習することができた。よって私は胡散臭い人物や学説にかぶれることなく進学した。
高校でナンタラ教育を推進する輩の裏には(江戸時代から続く)利権があった。利権を守るためには生徒を巻き込み洗脳してもよいという身勝手な考えに振り回されることほど馬鹿らしいものはない。
私は彼らが蛇蝎の如く嫌われる要因を「毛並みの異なる(所謂優秀で真っ直ぐに育った)人間と付き合えない心の貧しさ」と分析した。自分をかわいそうな人間だと語る者ほど実は疑わしいということを経験的に知ったのである。
「恫喝を生業とする、やねこい連中がいつまで経っても蛸壺から出てこんのは墓に入るまで旨み汁を吸いたいからじゃー」と言う孫に祖母は「えげつないことばーしとるアレらにはそのうちほんまに大バチがあたるわ」と返すのが常だった(笑)
高校でナンタラ教育を推進する輩の裏には(江戸時代から続く)利権があった。利権を守るためには生徒を巻き込み洗脳してもよいという身勝手な考えに振り回されることほど馬鹿らしいものはない。
私は彼らが蛇蝎の如く嫌われる要因を「毛並みの異なる(所謂優秀で真っ直ぐに育った)人間と付き合えない心の貧しさ」と分析した。自分をかわいそうな人間だと語る者ほど実は疑わしいということを経験的に知ったのである。
「恫喝を生業とする、やねこい連中がいつまで経っても蛸壺から出てこんのは墓に入るまで旨み汁を吸いたいからじゃー」と言う孫に祖母は「えげつないことばーしとるアレらにはそのうちほんまに大バチがあたるわ」と返すのが常だった(笑)